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2015/10/29(木曜) 17:44

追悼劇「キャラバンの太陽」の上演とともに25年

追悼劇「キャラバンの太陽」の上演とともに25年

今回は、シーア派3代目イマーム・ホサインを追悼する劇「キャラバンの太陽」についてお話することにいたしましょう。

 

モハッラム月の追悼行事の歴史

イスラム暦モハッラム月の追悼行事は、驚くべき壮大な儀式です。この儀式は、伝統やオリジナリティ、芸術を表現するとともに、追悼の精神や情熱を示しています。宗教的、儀式的な芸術は、遠い昔から、イランのイスラム教徒の人々とともにあり、イランの芸術史において重要な役割を果たしてきました。

現存する史料によりますと、追悼儀式の存在を示す最古の証拠は、シュメール人の文化に見ることができます。その後イラン高原にもスィヤーヴァシュの追悼行事が出現し、この地域の中部、南部、西部の周辺地域にまで広まりました。これらの習慣は、ほぼ同じ形式を有しており、イランでは、イスラムが伝わる前の数百年間で、人々の文化に伝わっています。これらの儀式は多くの場合、劇の上演を伴っており、公共の場所で観客とともに実施されてきました。

イランの追悼儀式タアズィーエ

タアズィーエと呼ばれる追悼劇は、一般的にシーア派3代目イマーム・ホサインの殉教を悼むイランの儀式とされています。この儀式は、西暦680年にイラク南部のカルバラーにおいて、イマーム・ホサインとその教友が、当時のウマイヤ朝の暴君ヤズィードと戦った出来事を再現したものです。観客が嘆き悲しむこと、馬を連れてくること、挽歌が朗誦されること、これらは、この殉教劇の特徴であり、世界の数ある追悼劇の中でも類まれなものです。

一部の研究者は、このタアズィーエの追悼劇を集団での挽歌の朗誦としており、これには悲劇の精神と伝説が込められ、毎年行うことでこれが人々に伝えられると考えています。この追悼劇はそのほかに、ある出来事の詳細を世界の一般的な事実と混ぜ合わせ、民間芸術を利用して、役者と観客の間を分け隔てることなく、しかも1人1人がこの劇に参加する、などの特徴を持っています。

タアズィーエは、古い時代の広大なイラン文化圏における、最も重要な儀礼的演劇と見なすことができます。これは地理的、政治的、社会的な変化や、国境の変化にもかかわらず、今なおアジアの広い地域で実施されています。興味深いのは、この伝統劇はほとんど変化しておらず、昔と同じように行われているという点です。

 

ホサインの殉教を扱った現代劇「キャラバンの太陽」の誕生の経緯

イラン各地やイランの近隣諸国で実施されるタアズィーエの他、演劇関係者も、モハッラム月やイマーム・ホサインのアーシュラーの殉教を特別視し、これまで長年にわたり、価値ある活動を行っています。アーシュラーの殉教をストーリーとする、イランの最も重要な演劇の1つは、「太陽のキャラバン」という演劇です。この演劇は、これまで25年間にわたり、モハッラム月とその次のサファル月に上演され、数千人規模の観客を動員しています。

演劇「キャラバンの太陽」は、イマーム・ホサインに関する有名な物語をモチーフとして、メフディー・モタヴァッセリー氏が書き下ろしを行っており、カルバラーの殉教だけでなく、この出来事の後についても扱っています。この演劇は、宗教的に価値ある題材を活用し、カルバラーの出来事で捕虜となった人々や、イマーム・ホサインの子供たちのその後の運命を再現しています。この演劇の主要な部分は、今から60年前にカルバラーでアブーバーセム・ハヤーダール氏により執筆された作品に基づいています。

この数年間にわたり、監督として劇団ファダクとともにこの劇を上演してきたモハンマド・ファルハング氏は、次のように述べています。

「一部の上演においては、観客はこの劇の上演により感化され、我を忘れるほどであった。この演劇は、イマーム・ホサインを慕う人々のために、追悼儀式の情景を表現することに成功した」

 

追悼演劇「キャラバンの太陽」のあらまし

演劇「キャラバンの太陽」が描いている出来事は、イマーム・ホサインとその教友の殉教と、その後の出来事です。ヤズィード側の将軍シェムルは、カルバラーで捕らえたホサイン側の捕虜を修道院近くで拘留していました。修道院では、年老いた修道士が1人で祈りと労働に励んでいますが、彼の息子は聖書の中に出てきたもの、そして真理を理解したことで、現在のイラクの町クーファに赴きます。このとき、シェムルの軍が修道院に入り、兵士たち全員の目はホサインを殺害した犯罪者を呪う文句が石の壁に書かれているのに目が留まります。彼らは、鞘から剣を引き抜き、年老いた修道士を殺害しようとしますが、この修道士は、壁に書かれている文について自分は何も知らず、自分の先輩たちから、この碑文は500年前、つまりムハンマドがイスラムの預言者に任命される440年前から、この修道院にあったことだけを聞かされていると告げます。

この修道士は、ヤズィード軍と捕虜たちの一行の行動が理解できず、捕虜となった見知らぬ人々や子どもたちに同情し、せめて子どもたちだけでも修道院内に入り、水を飲み、パンを食べていくようにと強く勧めます。しかし、子どもたちは差し入れを拒み、自分の親たちと同様に飢えと空腹に耐え忍びます。ここで、修道士は彼らが誰なのか、アーシュラーの日がどのような日であるかを知り、聖典に出てくる話が彼らとその預言者に関するものだったことを悟ります。子どもたちは、傷やあざだらけの足を引きずり、疲労と喉の渇きから息絶えていきます。一方で、ヤズィード軍は、そこが聖なる場所とされているという修道士の言葉には耳も貸さずに、勝利の祝杯をあげます。

修道院に箱が運ばれたとき、修道士は好奇心にかられます。その中には非常に価値のある人間の首が入っていると聞かされたとき、彼はその箱の中に何が入っているのかを見ようとします。ヤズィード軍は修道士に対し、これはシーア派初代イマーム・アリーの息子で、宗教から離脱し、自分の仲間たちを殺害したホサインの首であり、これからこの首をヤズィードに献上して、褒美をもらうつもりだと告げます。そこで、修道士はヤズィード軍にしつこく頼み込み、自分の全財産を差し出して、一晩だけホサインの頭部を自分のもとにおいておきます。

夜になって、天使たちが、ホサインの頭部の上に舞い降りてきて、これにひれ伏し、まみえます。修道士が箱を開けると、そこから緑色の光が発しました。修道士は、驚き、うろたえて次のように述べます。

「あなたはなんと偉大なことか。あなたの光は、この修道院の長きに渡る暗闇を拭い去った」 ホサインの頭は、修道士に語りかけ、彼は気を失います。すると、ホサインの娘やそのほかの子どもたちが、父ホサインと語り、アーシュラーの日以後の出来事を語って聞かせます。この劇の終わりでは、夜が明けて翌日となり、ヤズィード軍が鎖につながれた子どもたちを修道院から連れ出し、修道士が真実を悟るというシーンで幕を閉じます。

演劇「キャラバンの太陽」の特色と現在の上演状況

演劇「キャラバンの太陽」は、イスラム的な音楽やキリスト教の教会音楽などの有名な音楽を取り入れ、それらを巧みに融合させるとともに、適切な装飾、特に役者の高い演技力により、観客を魅了しています。この演劇は長年にわたり、内容が変わることなく上演されています。

演劇「キャラバンの太陽」はこの24年間、イラン各都市の他にも、イギリス、オランダ、アラブ首長国連邦でも上演されています。今年もまた、この演劇はイスラム暦サファル月の終わりまで、テヘランにて上演され、イマーム・ホサインとこの偉人の殉教の追憶を、人々の心に蘇らせているのです。

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