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2015/12/03(木曜) 22:12

イランの絵画と文学の繁栄(2)

イランの絵画と文学の繁栄(2)

イランの絵画は、イスラム時代の数世紀に最も発展し、世界のイスラム芸術の1つとして知られています。今回は、イランの絵画の歴史についてお話することにいたしましょう。

 

イランの絵画芸術は、実際にはイランのイスラム期の様々な時代の作品を含んでいます。これらの作品の多くは、文学や科学・技術、歴史などの書物の他、一部の宗教書の挿絵に使用されています。それではまず、古代のイランにおける絵画の歴史についてお話することにいたしましょう。

 

古代イランとイスラム以前の壁画

イランの絵画の歴史は、他の国と同様に人類が穴居生活をしていた時代に遡ります。イラン西部・ロレスターン州にあるドゥーシェの壁画は、今から8000年以上前のものとされ、原始的な手段により110に上る絵柄が描かれています。この洞窟の存在は、紀元前だった当時に、イランに既に壁画が存在していたことを示しています。

さらに、イランの壁画として残っているものには、紀元前3世紀ごろのパルティア朝時代と、その後のサーサーン朝時代の芸術家の芸術性の高さを示しています。イラン中部カーシャーン近郊のスィアルクの丘で発見された壁画と、陶器の表面に図柄が施されたイラン西部のドゥーシェの洞窟は、それらの地域の人々が絵画という芸術に親しみを持っていたことを証明するものです。

さらに、現在のイラクにあたるチグリス・ユーフラテス川の北部の地域でも壁画が描かれており、これも数千年前のイラン人の祖先が絵画に精通していたことを伺わせます。これらの壁画の1つは、狩猟の場面を描いており、動物や動物に乗った人間の様子、そしてその作風は現代の絵画と非常に似ています。

また、紀元前6世紀ごろのアケメネス朝時代の絵画では、他のどのような図柄よりも肖像画が優先されました。この時代からは、色彩の美しさや均整が非常に目を引くようになります。紀元3世紀のイランの著名な画家の1人であるマーニーは、アルジャングというタイトルの書物において、驚くべき作品の数々を収集しています。

既にお話したように、イランの絵画の歴史は、イスラムが出現する前の時代に遡ります。ですが、イラン人が9世紀に当時のイスラム帝国であるアッバース朝の官僚として登用された時代には、イランの絵画は一定期間の停滞期を経て、再び盛んになりました。イスラム以前の絵画は神秘主義やイスラム哲学と融合し、このことから宗教的な側面が出現することが促進されたのです。アッバース朝時代には、貴重な絵画作品が制作されましたが、残念ながらそれらの多くは、13世紀から14世紀にかけてのモンゴル軍の襲撃により失われています。

イスラム以降のイランの絵画の特徴

イスラム以降は、富と権力が集中し、政治の本拠地とされるところにはどこでも、各地から芸術家たちが集まり、最高の傑作を生み出しました。王立図書館も、印刷・出版の中心地として、画家や書道家、製本や装丁の職人たちの集まる場となっていたのです。当時は、様々な芸術の流派がともに価値ある書物を製造することが可能となっており、これにより王立図書館は隆盛を極めました。普通、芸術家たちの中でも技術面と人格面の双方で優れた人物が図書館の監督者に選ばれ、ほかの芸術家の活動を監督していたのです。

イランの絵画の優美な世界は、驚きと秘密に溢れています。絵画は、表面的な特徴のみでは、その美しさと完璧さを見極めることはできず、それらの作品をより深く掘り下げて研究することにより、芸術家たちの精神的な思想や空想の世界をある程度理解できます。イランの絵画は、表面的、物質的な側面に加えて、精神的な世界をも有しています。

一方で、絵画の美しさは、イランの詩や文学作品、神秘主義者の思想を知ることなく理解することはできません。画家は、何かを描くために、物質的な世界よりも精神的な世界のほうに注目します。たとえば、1頭の馬を描くのに物質的な世界に存在する馬ではなく、物質を超越した世界にある存在物に注目するのです。このため、イラン人の画家たちは、光に溢れる景色を描いており、絵画の中には影や遠近法は存在しません。

おそらく、一部の人々は、イラン人の画家には遠近法を使用して絵画を描く能力がないために、そうしたアプローチに到達したと考えるかもしれません。しかし、これは完全な誤りです。イラン人の画家は基本的に、そのようなテクニックは必要がないと考えているのです。美学の専門家の多くは、この点をイラン人の画家の大きな長所とみなし、彼らの創造性を称えています。

芸術史を振り返ってみると、20世紀の西洋の社会では、多くの評論家や芸術家がまさにこの結論に達しており、芸術における様々なスタイルを生み出しました。しかし、実際にはイラン人の画家たちは数百年も前から、美や芸術性の極限に達したこのような見解を自らの作品に反映させていたのです。

書物の装飾と絵画においては、線が非常に重要であり、影を目立たなくして、時には全くなくすこともできます。絵画における筆のタッチは書道と非常によく似ており、それはそのいずれも困難な鍛錬と注意力を必要としているからです。絵画とデザインを区別する要素は、線の引き方であり、絵画では線に強弱を伴います。

イランの絵画では、実際の人間の顔面の均整とは非常に異なる顔が見られます。両目の間の距離は実際より短く、耳の位置はかなり高めです。また唐草模様のラインの中に顔が存在しており、少々注意してみれば、そのほかにも多くの事例が理解できます。

絵画では、顔の構成要素の1つ1つが特別な意味を持っています。画家たちは、昔から美しい眉毛が互いにつながった状態を好み、それを蝶に例えてきました。人間の瞳は、文学では水仙の花に例えられ、アーモンドのように細長く描かれています。また、唇も小さく描かれているとともに、多くの場合は閉ざされています。しかし、重要なことは、こうした描き方が愛の文学から起こっているということです。イランの絵画の発生と完成において、ペルシャ語詩人の役割を決して小さく見たり、また無視することはできません。

数百年に及ぶ時間の経過とともに、イランの絵画は大きな変貌を遂げ、多様な特徴を持つ流派が生まれました。その一部としては、バグダード派、シーラーズ派、ヘラート派、タブリーズ派、ガズヴィーン派、イスファハーン派などを挙げることができます。

 

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