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2015/12/24(木曜) 20:48

イランの絵画と文学の繁栄(4)

イランの絵画と文学の繁栄(4)

今回も引き続き、イランの絵画の様式を紹介する中で、絵画芸術の重要な流派についてお話ししましょう。

 

今回、イランの領土における絵画芸術の輝かしい歴史についてお話いたします。当時のイランの領土は、現在よりも広大なもので、当時から残っているイランの文化は、成熟した芸術と過去におけるその側面を示すものでした。

 

ヘラート派について

ヘラート派とは、タブリーズ派とイスファハーン派の重要な前段階の一つとされています。ヘラートの大きな図書館で活動していた画家や書家は、新たな様式の作品をもたらし、それはイランの芸術史において、ヘラート派として知られています。ヘラート派の基礎は、ティムール朝の王シャーロフの時代に遡ります。この様式は、ティムール朝のスルタン・フサイン・バイカラの時代に大きな発展を遂げましたが、その成長は、1507年、ウズベク族の攻撃によって停止してしまいます。

この画派で創造された作品の中でも最も重要なものとしては、バイスングルによるシャーナーメの写本を挙げることができます。この作品は、1430年にシャーロフの息子のバイスングル・ミールザーと、孫のティムール・グールカーニールの注文によって制作されました。この書物にある絵画は、色の組み合わせや構成のバランスの点で、最高の美しさと力強さを持っています。

ヘラート派に見られる快活さと躍動感は、ジャラーイェリー派の絵画における潤いや魂のない作品とは完全に正反対です。また、絵画の上部の端に場面を据えていることも、深みを増しています。緑や青に近いトルコブルーの下地が、ヘラート派の絵画で使われる主な色となっています。

ヘラート派の特徴の一つは、極東の要素が使われていることで、恐らくイランと中国の間の人々の行き来によるものだと考えられています。ヘラートの芸術家たちが、政治団体と共に北京を行き来していたのは有名な話です。その中に、ギヤーソッディーン・バイスングルという画家がいたということです。

 

キャマーロッディーン・ベフザードについて

キャマーロッディーン・ベフザードは、ヘラート派の巨匠で、この芸術を広げ、彼以前には使われていなかった手法を生み出しました。キャマーロッディーン・ベフザード・へラヴィーは、1455年、現在のアフガニスタンのヘラートの町に生まれ、ヘラートの図書館で教育を受けた後、すぐに絵画、肖像画の高い技術を習得しました。

色使いと絵の輝きは、ベフザードの色に対する深い思い入れを物語っています。こうした傾向から、ベフザードは青や緑といった寒色を好んでいましたが、それと共にオレンジなどの暖色を使うことで、バランスを保とうとしていたことが分かります。

絵画のそれぞれの部分が全体と調和していることは、驚きに値します。花をつけた木の枝、装飾のついたじゅうたんやタイルは、ベフザードの繊細さと情熱を表しています。ベフザードの名声により、何世紀もの間、多くの人が彼の多くの作品を模倣し、彼の名前を作品に記してきました。そのため、彼の本物の絵を見分けることが難しいほどです。しかし、彼の作品をそれ以前のものよりも優れたものとしているのは、何よりも彼の現実的な見方だと言えます。このような特徴は、特に、宮廷のためだけに描かれたのではない、一般の人々の普通の生活を描いた絵画に見られます。畑で馬が仔馬に乳をやっている姿、他人の領分を侵す人を罰する姿、食べ物を持ってくる召使い、耕作地にいる農民などがそれにあたります。

ベフザードの作品に見られる別の特徴に、人間の顔が人形のような、それまでの絵画の単調さとはかけ離れていること、それどころか、それぞれの顔がその人の性質を示しており、そこに生活や躍動感が見られることです。休んでいる人々も、自然な姿、状態で描かれています。

ベフザードの名前で書籍などに見られる数多くの絵画については、専門家の間で意見が大きく異なっています。しかしいずれにせよ、これらの多くは、たとえベフザード本人のものではないにしても、彼の画派に関連するものです。ベフザードの芸術がもたらした最も重要な変化は、絵画に見られる人物への注目です。ベフザードは、一人の人物の肖像画を描いたイランで最初の画家です。彼はその作品の中で、書物からは独立した絵画を生み出しました。

ベフザードの影響力は、何よりも、彼の門下生たちの作品の中に見ることができます。門下生の中には、その師匠の技術のレベルに多かれ少なかれ到達した人もいました。サファヴィー朝時代は、ミニアチュール様式が再び変化を遂げましたが、ベフザードが亡くなってから半世紀がたっても、彼の影響力は画家たちの作品の中に見られていました。一部の画家の移住により、ベフザードの絵画の様式は、インドにまで広がりました。

 

サファヴィー朝時代のイランの絵画

サファヴィー朝時代、イランの芸術、特に絵画の中心地はタブリーズに移りました。芸術家の中にはガズヴィーンに留まった人もおり、またイスファハーンも、イラン芸術の中心地の一つでした。この時期、絵画は少しずつ、以前の様式から離れ、新しい道を歩もうとしていました。サファヴィー朝時代の画家たちは、新しい様式を生み出しました。それを打ち立てたのはレザー・アッバースィーで、絵画の手法に多くの変化をもたらしました。この時期のデザインは、イランの画家たちのデザインの中でも最も美しいもので、彼らの趣向を示しています。この時期に描かれた絵画はどれも、書物を装飾するためだけに描かれたのではありません。サファヴィー朝様式は、ヘラート派、特にモンゴル的な様式よりも穏やかで、優れたものとなっています。

サファヴィー朝時代の画家たちの絵画には、彼らの技術が明らかに見て取れます。その最良の例は、イスファハーンのチェヘルソトゥーンとアーリーガープー宮殿の建物に見られるものです。サファヴィー派の絵画のテーマは、この時代の華やかさと美しさです。それらの絵画の題材は、多くが皇帝、貴族、美しい宮殿、美しい景色や森林となっています。これらの絵画の中で、人間は華やかな衣服を身にまとった美しい姿で描かれています。サファヴィー朝時代の絵画の特徴は、画家たちのより多くの自由、技巧、注意深さが好ましい結果を生み出したことを物語っています。

サファヴィー朝時代の芸術家たちは、多くが全体的な原則にのっとり、不必要な細かい要素を省いています。単純な線、感情の表現、様々なテーマの混在が、サファヴィー派の絵画の特徴です。この時代の末期には、細かい色使いに独創性が生まれ、一部の絵画の中には、ヨーロッパの様式の出現のしるしを見ることができます。

 

ガージャール朝時代のガフヴェハーネ派

ガージャール朝時代の絵画は、ヨーロッパの古典派とサファヴィー朝時代の細密画の技巧が組み合わさったものとなっています。この時代、キャマーロルモルクというイランの著名な画家が、ヨーロッパの古典派をイランに広めました。さらに、この時代には、ガフヴェハーネとして知られる様式が生まれました。この種の絵画は、イランの芸術史における新たな現象です。ガフヴェハーネ派は、大衆に好まれ、歴史的なテーマや伝説を題材としています。その多くが戦争の場面、文学者や国民的な英雄の絵で、中には宗教の偉人の人生や宗教的な詩を描いたものもあります。

ガフヴェハーネとはもともと、イランの昔ながらの喫茶店を意味し、ガージャール朝時代にだんだんと一般の人々の間に広まり、そこでは宗教物語や英雄物語が語られていました。画家たちも、ガフヴェハーネの壁にそれらの物語の絵を描いていました。かつては、皇帝や貴族が画家たちを支えていましたが、この頃になると、芸術家は一般の人々の要請を受けてそうした絵画を壁に描いていました。

多くのガフヴェハーネでは、人々の要請によって壁に絵画が描かれ、それが保存されていました。その後、この種の絵画に大きな変化が起こり、壁の表面ではなく幕の上に描かれ、片付けたり、再びかけたりすることができるようになりました。こうした絵画の最も美しい例は、テヘランの一部の博物館や国内外の博物館に保管されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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