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2015/12/31(木曜) 21:57

イランの絵画と文学の繁栄(5)

イランの絵画と文学の繁栄(5)

これまで、イランにおける絵画芸術の長い歴史についてお話するとともに、現在よりもはるかに広大だったイランの領土において、絵画が広まっていたことについても説明しました。

 

さらに、イランの絵画が時の経過とともに大きな変貌を遂げ、様々な特徴を持つ流派と最も重要な流派についてお話しました。このシリーズの最終回となった今夜は、イランが誇る偉大な細密画家マフムード・ファルシュチヤーン画伯についてお話することにいたしましょう。

 

イランの絵画における細密画と、その正しい定義について

一部の資料や有効な文献においても拡大している誤りについて、ここで指摘することにいたしましょう。こうした資料では、イランの絵画をミニアチュール、即ち細密画と呼んでおり、多くの人々もこれらの資料を根拠として、イランの絵画について語る際にこの用語を使用しています。ミニアチュールという言葉は、中世時代の写本の赤色インクに鉛丹が使われていたことにちなみ、ラテン語で鉛丹を意味するミニウムから派生したものです。この言葉は、中世における装飾的な絵画をさしています。その例として、当時はイスラム書道の書体の1つ・ナスフ体による装飾には赤系統の暖色が使われています。

イランとヨーロッパ諸国の交流が拡大するにつれ、次第にミニアチュールという単語がオリエント学者や研究者の間に広まり、この単語がイラン式の絵画に対する名称として使用されるようになりました。古い画集や小さめの書物に残されている1ページ単位の絵画は、ミニアチュールという単語が当初、手書きの写本に類似した一部の例に使用されていたことを示しています。しかし、その後の時代においては、一般的にイランの絵画を指すようになりました。もっとも、正確な研究からは、これが誤りであり、イラン式の絵画を指すのにイラン的な言葉や表現以外は用いることはできないことは明らかです。

 

イランの絵画の特徴

イランの絵画では、絵画と現実の世界との類似性はありません。立体的な画法、光や影さえも使用されず、遠近法には従っていません。また、人物の表情のほとんどは若々しく描かれており、それらは時には性別のないように見えますが、それらの中には性別のはっきりしない人間の顔は存在しません。また、肖像画のほとんどには、春の日の光が差しています。たわわに実をつける樹木は、花と緑の葉で生い茂り、緑の葉のない樹木はほとんど見られません。

イラン式の絵画では、たいてい横向きの馬が描かれており、ごくまれに正面を向いた、あるいは後ろ向きの馬も見られます。画家たちは、これらの絵画の傍らで、素描も行い、これを非常に重視していました。これらのデザインは、非常に細やかで美しく、長い曲線で描かれており、時には金色とともに1つあるいは2つの色を使用して、作品を完成させています。

これらのデザインを見てみると、色彩よりも曲線とその様々な状態が重視されていることが分かります。それらにおいては、様々な線があたかも動き出そうとしている、あるいは決まった方向に動き、何かを示そうとしているように思われます。とにかく、これらの曲線は見る者の目を惹きつけ、その動きから取り残されることはできません。これらの線は、時には画面の上の部分でらせん状に渦巻き、雲をイメージさせたりします。もっとも、こうした動きはイランの絵画や素描だけに見られる、ということはありません。

一方で、イランの絵画は色彩の利用の点でも、非常に多様性に富んでいます。精神性を表す色は普通、細く細やかなデザインに使われ、制作者の人間性や穏やかな感情を物語っています。それはまた、人間の本質的な清らかさを根源とする感情や、内面を表すために使用されています。

イランの絵画で使用されるもう1つの色は、不透明な色です。この種の色彩は、より濃厚で安定感があり、作業工程の多い作品の製作に使用されるとともに、人間的で繊細な感情に反する状態や特質を再現します。様々な動物や鳥を描いた寓話的な絵画は、樹木の枝葉や花、唐草模様、中国的な模様が描かれ、重要な部分を構成しています。これらの多くは、周辺部やふちの部分がそうした模様で装飾されています。多くの場合において、この種の装飾は制作過程の最後に行われ、それによって1つの絵画作品の制作の全過程が終了します。

イランの細密画の巨匠ファルシュチヤーン画伯の生い立ちと経歴

イランにおける絵画の様式は、非常に多様性に富んでいますが、それは著名な巨匠たちの1人1人が自分たちより前の方式に変化を加えて、新しい様式の基礎を築いたことによります。イランの絵画における卓越した巨匠の1人は、マフムード・ファルシュチヤーン画伯です。彼は1929年、イラン中部にある芸術と文化の都イスファハーンに生まれました。彼の父親は、じゅうたん商人であり、じゅうたんの製作にも精通していました。このため、ファルシュチヤーン画伯が芸術に出会い、彼の高尚なセンスが養われ、彼は就学年齢に達する前にすでに絨毯のデザインを手がけるようになりました。その後、ファルシュチヤーン画伯は次第に、絵を描くようになったのです。

ファルシュチヤーン画伯の父親は、イスファハーンの絨毯関連業の代表者であり、息子の才能に気づいたことから、彼を著名な画家のアトリエに連れて行きました。ファルシュチヤーン画伯は、数人の師匠の教えを受け、イスファハーンの美術学校で学んだ後、美術の勉学を続けるためヨーロッパに渡り、数年間を美術館での西洋美術の研究に費やしました。

ファルシュチヤーン画伯は、イランに帰国してからテヘラン美術総局での仕事を開始し、テヘラン大学美術学部の教授に任命されました。彼は現在、アメリカ・ニュージャージー州に在住しており、定期的にイランを訪れています。

 

ファルシュチヤーン画伯が打ち立てた独自の流派

ファルシュチヤーン画伯は、独自の流派を創設しました。それは、古典的な様式を守ったもので、イランの絵画の範囲をさらに拡大するための新たなテクニックを使用しています。彼は、絵画芸術に新たな命を与え、これをある程度歴史や文学との共存から切り離しました。その理由は、絵画にそれまでにはなかった独立性を持たせることだとされています。彼の新しい創造性が込められた力強い数々の作品は、躍動感や情熱にあふれており、伝統的、現代的な魅力を融合させ、彼独自の複合形式を生み出しています。

ファルシュチヤーン画伯の才能として、この上ない創造性、躍動感にあふれるデザイン、しなやかで力強い線、独特の色使いが挙げられます。彼の作品はどれも、新たに作り出されたものとオリジナルのよさを巧みに組み合わせたものであり、また古典的な文学、コーランなどの影響を受けています。しかし、何といっても大切なのは、この偉大な巨匠の作風が、深く精錬されたイメージの力によるものだということです。

 

ファルシュチヤーン画伯の功績と代表作

テヘラン北部のサアダーバード歴史文化博物館に、ファルシュチヤーン博物館が創設されたことで、イラン文化遺産機構は世界各国の芸術愛好家がこのイランの巨匠の作品を見学できる機会を作りました。この美術館には、ファルシュチヤーン画伯のおよそ70点の作品が展示されています。さらに、イラクの聖地カルバラにおけるアブ・アブドッラーの霊廟の柵や、イラン北東部の聖地マシュハドにある、シーア派8代目イマーム・レザーの霊廟の設計も、ファルシュチヤーン画伯の尽力により行われました。

ファルシュチヤーン画伯の最も重要な作品には、「アーシュラーの日の午後」、「鹿の保護者イマーム・レザー」、「天地創造の5日目」、「モウラヴィーとシャムス」などがあります。彼の最近の作品には、「賞賛」があり、彼自身によれば、この作品はコーラン第62章、アル・ジュムア章「集礼」第1節に述べられている、次のような内容を解釈したものだということです。エ;“天にあり、地にある全てのものは神を称える”

ファルシュチヤーン画伯は、国際舞台へのイラン芸術の紹介にも重要な役割を果たしてきました。彼は、数多くの大学や研究所でも講演を行い、自らの作品に関する多数の著作や論文を発表するとともに、その作品は全世界で名声を博し、イランの絵画の美しさを紹介しています。ファルシュチヤーン画伯はこれまでに、イランのほか国際的な芸術界からも賞賛、表彰されています。彼のそうした受賞歴には、アメリカの芸術祭での金メダル、イタリア芸術勲章、ベルギー国際芸術祭での金メダルなどが挙げられます。

 

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