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2015/06/24(水曜) 18:43

ラマザーン月と共に(5)

現在、イスラム暦のラマザーン月を迎えています。断食月の喉の渇きや空腹に耐えることで、世界で飢えに苦しんでいる人について考え、同胞に対して無関心にならないよう至高なる神に求めます。

 

今回の番組では、断食の効能についてお話するとともに、イスラム教徒になったばかりの人のラマザーン月の経験についてお話することにいたしましょう。

イスラム法・シャリーアは、人間の本能に調和し、その教義は人間の本能が真に求めるものです。イスラム教で否定され、蔑まれているものは、本能的な欲求に調和しないものであり、命じられているものはそれに一致したものです。このため人間の良心はイスラムの教えを受け入れ、自らのやり方をその教義に一致させ、決してそれを負担には思いません。

イスラムにおけるシャリーアの特徴の一つはその教義が容易だということです。至高なる神は教義において、個人の能力とその指示が実行できるかどうかを考慮します。イスラムの教義の基盤は、善と利益、害と腐敗の排除です。明らかに人間の本能に一致した法規が受け入れられ、人間自身の良心がそれを実行します。もし一部の人が個人的な目的や無知や愚かさのためにそれに対抗し、その法規を実行させなければ、残りの人たちがそれを支持し、それに反対することを非難するでしょう。

ラマザーン月の断食は人間の本能に従ったイスラムの計画の一つです。断食は日々飲食に慣れた人にとって辛いことであり、一種の苦行とも言えます。なぜなら他の鍛錬と同じように、それは人間の欲求に反するものだからです。しかしながらこの不一致は、病人が苦い薬を飲みたくないのと同じことです。とはいえ病人の本能や理性がこの薬を飲むことを受け入れ、それを飲むことは自分のために必要だと考えます。神は断食の中でも、難儀を求めてはいません。コーラン第2章アルバガラ章、雌牛、第185節には、断食の教義について述べられると共に、旅行者や病人は別の機会に断食を行うよう明示しています。そしてその後、このように述べています。
「神はあなた方に気楽さを求めている」

断食は過去の民族の中にも存在していました。ローマ人、インド人、そしてギリシャ人、エジプト人は断食を行っていた民族です。ピタゴラスやプラトンといったギリシャの哲学者たちも断食によって精神的な状態が生じると考えていました。さらにアメリカの先住民の多くは、断食は大きな精神性からの導きを得るために効果的であり、精神を浄化させるものだと考えていました。

ユダヤ教徒やキリスト教徒の間でも断食は行われています。ユダヤの聖法では神に近づくための方法の一つが断食だとされています。断食はユダヤ教徒の宗教義務の一つで、旧約聖書の中で何度も指摘されています。預言者ムーサーは十戒を得る前に、シナイ山で40日間断食を行いました。今日、断食は世界のユダヤ教徒の教えにおいて普通に行われている事柄であり、義務として、また自由意志で行われています。キリスト教でも断食は教会の暦の中で決められており、法的な慣習の一部とみなされています。新約聖書には、預言者イーサーは自らの信者に断食を命じたとあります。断食は預言者イーサーの使徒たちの特徴でした。

神は人間の存在の中に良心という名の輝かしい宝石を置きました。神はその良心に基づいて人間を創造しました。実際神は人間を創造したその時に、自らの生き生きとした魂を吹き込み、神の一連の恩寵が人間に与えられるようにしました。このためもし人間の真実が知られ、人間と天界との関係が正しく理解されるなら、もはや誰もラマザーン月を制限のある月だと考えることはないでしょう。むしろそれは人間的な完成と発展の要因になると考えられるでしょう。実際断食は人間が欲求を克服するための一種の鍛錬であり、欲求との戦いです。こうして人間は、人間が生きる最も重要な目的と哲学、つまり完成に達し、神に近づくことを実現させるのです。

宗教書の中で語られているイスラム教における神への服従の明らかなしるしや指示の一つは、断食の義務です。神は断食によって、人間が神に近づくうえで自らの潜在能力を発揮させるための機会を人間に設けています。この宗教義務は飢えを伴っています。伝承や言い伝えの中で指摘されている断食の効能は驚きに値します。それはまるで人間が完成に至るためには断食を行う以外にはないかのようです。預言者ムハンマドはこれに関してこのように述べています。
エコー「空腹の人はその思考力を増し、賢明な結果を手にする」

断食、飲食を控えることは、多くの恩恵や効能を有しています。その効能の一つに、知識の活用があります。人間の胃が満たされていると、体の機能はそれを消化しようとし、その結果人間の思考はよく働きません。このため人間は胃を空にしたときに、より高い習得力を有します。このような言い伝えがあります。ある人が法学者の一人に宗教義務を教えるよう求めました。そこで法学者が「あなたの食べ方はどのようなものか」と尋ねると、その人は答えました。「お腹がいっぱいになるまで食べます」。法学者はそれを聞くと答えました。「それは動物の習慣だ。まずは食べ方を学びなさい。それから宗教義務だ」

ラマザーン月と断食はイスラム教徒にそれぞれの結果をもたらします。ラマザーン月は特別な精神性と共に、被抑圧者との協力の精神を広めます。断食の最も明らかな英知の一つに、貧しい人や恵まれない人、孤児、お腹を空かせた人への支援があります。というのも人間は断食によって、飢えを経験することで彼らの状態を理解し、恵まれない人々のニーズを満つために努力しようとするからです。

ラマザーン月には、恵まれない人に慈悲をかけ、食料や金銭を与えることが非常に奨励されています。その一方で断食における空腹や喉の渇きにより、恵まれない人々の状況を知り、富める者が貧しき者に近づき、慈悲や寄付を増加させ、社会は同胞への支援を学びます。人々がシーア派11代目イマーム、ハサン・アスキャリーに尋ねました。「なぜ断食は義務なのですか?」。 イマームは答えました。「富める者が飢えている者の痛みを知り、貧しい人に注目を寄せるためだ」

アーノルド・ヴァン・ドーランは2013年にイスラム教徒になりました。彼は宗教的教義を経験することで、以前よりもイスラムとその指示に惹かれるようになります。彼は数年間、イスラム教徒と共に断食を行い、ラマザーン月を過ごしました。ラマザーン月の断食は彼にとって驚くべき経験となりました。彼は初めての断食の経験をこのように語っています。

「最初のラマザーン月は私にとって忍耐力の保持、そして困難に対する人間の力の発見でした。それはこれまで知らなかった事柄です。ラマザーン月にはそれまで他人から聞いていた、あるいは書物の中で呼んだ感情を経験しました。イスラム教徒は空腹や喉の渇き、日没後の食事に関してどのような共通の感情を持っているのか、今私はこの感情を自分自身で経験しています」

一方で、ラマザーン月はヴァン・ドーランにとって空腹や喉の渇きに耐えることだけを意味しません。彼は断食により世界中の食べ物が手に入らず、お腹をすかせている人々について考えています。彼はこれについてこのように語っています。

「私たちは断食を行い、日没後に食事をとりますが、そのとき世界にはお腹をすかせ、その解決に希望を見出せないでいる人々がいることを考えます。実際断食は、貧しい人々に心を寄せ、彼らの問題を解決するために歩みを進めようとするものなのです」

 

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