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2015/06/25(木曜) 18:08

ラマザーン月と共に(6)

ラマザーン月と共に(6)

社会に不満をもたらす要素の1つは階級制度、富裕層と貧困層の格差です。社会の人々の間の不平等や格差が広がるほど、社会的に弱い立場にある人々にとって生活条件が厳しくなります。他人への思いやりや共感の薄い社会では、恵まれない人々は物質的な困難に加えて愛情面で多大な苦痛と困難に遭遇します。しかし、彼らが裕福な人々に注目され支援を受けられれば、彼らは生活上の困難にも耐えやすくなるのです。


イスラム法は、社会正義の原則に依拠し、社会の人々の関係の調整に最大限に尽力しています。人々の間に平等を徹底させるための、イスラムの戒律の1つが断食です。断食の実施により、富裕な人々は恵まれない人々の置かれた状況や、彼らが受けている経済的な困難や社会的な圧力を理解し、彼らの苦しみを緩和するために努力するようになります。この行動により、社会からは不足不満の思いや動揺した雰囲気が消え去り、人々の間に同胞愛の精神や同調する傾向が見られるようになります。今夜は、ラマザーン月が持つ数多くの意義にさらに触れると共に、イスラムに入信して間もないある人の体験についてお話しすることにいたしましょう。

断食による明白な効果の1つは、恵まれない人々や困窮している人々に対する同情心が生まれることです。何不自由ない生活を送り、空腹や貧困の苦しみを体験したことのない人々は、恵まれない人々の置かれた状況に気づいていない可能性があります。断食は、富裕な人たちを恵まれない人々の苦しみに気づかせます。それにより、富裕な人々には貧しい人を支援する意欲や彼らへの同情心が芽生えることになります。シーア派6代目イマーム・サーデグは、彼の教友ヘシャーム・イブン・ハキャムから断食の広まりの理由について尋ねられた際、次のように述べています。
「断食が義務とされているのは、富裕な人々と貧しい人々との間に平等を徹底させるためであり、このことにより富裕な人は空腹の苦しみを体験し、貧しい人々を助けたいと考えるようになる。なぜなら、恵まれている人は普通、欲しいものは何でも手に入るからである。神は、僕たちが皆平等となり、恵まれている人々が社会的に弱い立場にある人や飢餓に苦しむ人々に情けをかけるよう、富裕な人々に空腹の苦しみを体験させようとしている」
宗教の指導者たちは、イスラムの伝承においてラマザーン月を援助の月であるとしています。ここでいう援助とは、宗教上の兄弟たちと日々の糧を分かち合うことを意味します。この意味において、ラマザーン月はイスラム教徒たちが互いに親切にしあう援助の月となっています。人間的に価値あるこの側面を鍛錬することにより、イスラム社会は貧しい人々は富裕な人々を憎むことはなく、宗教上の全ての兄弟が共に神の恩恵にあずかっています。イスラムでイフターリーと呼ばれる、日没後の夕食を人々に振舞い、貧しい人々に援助の手を差し伸べることが奨励され、また現在、人々に食事を振舞うことが一般的な文化として広まっていることは、イスラム社会における情愛の精神を示すもう1つのしるしといえます。
断食をすることのもう1つの効果は、恵まれない人々への共感を生み出すことです。実際に、空腹や喉の渇きにより貧しい人々の苦しみが理解されます。こうして、裕福な人が貧しい人に近づき親切にし、より多くの施しをし、社会が助け合いの精神を学び取ることになります。裕福な人々は、常に何不自由ない生活をおくり、十分な食事をしているため、空腹の苦しみを味わうことはありません。このため、彼らは必然的にラマザーン月には恵まれない人々の状況に気づかされることになります。預言者ムハンマドは、ラマザーン月に入る前の説教で、人々の注目をこの点に向けさせており、次のように述べています。
"おお、人々よ、ラマザーン月に自分の性格を正した人は、天国に直行する正しい道の通行許可を得たことになる。また、この月に目下の者に厳しくしない人は、その人に対する最後の審判の日の神の査定が厳しくならずに済む。また、人々に悪いことをしないようにした人は、最後の審判の日に神のお怒りに触れることはない。又、ラマザーン月に親のいない子どもを大事にした人は、最後の審判の日に神から大切にされる。そして親戚をはじめとした人々と盛んに交流した人は、最後の審判が行われる場所において神の慈しみを受けることができる"
預言者ムハンマドが提唱したラマザーン月の建設的なプログラムの1つは、恵まれない人々に対する任意の寄付でした。また、イマーム・サーデグも、神に好まれるこの行動を奨励し、次のように述べています。
「ラマザーン月に任意の寄付を行う人は、神によって70種類もの災難から守られる」
このため、預言者ムハンマドに忠実に従う人々は、ラマザーン月は恵まれない人々にとってみずみずしい春のような月になるよう努力します。彼らは、恩を売ることなく誠実に恵まれない人々の生活を支援することで、そうした人々の苦しみや悲しみを拭い去るのです。
断食は、人々の間に恵まれない人々への同情や彼らとの連帯感を目覚めさせます。断食をする人は、一時的な空腹や喉の渇きに遭遇することで情愛に目覚め、飢えに苦しむ人々や恵まれない人々の立場がより良く理解できるようになり、自分より弱い立場にある人々の権利を侵害せず、彼らの苦しみを忘れないような人生を歩みます。恵まれない人々を誠実に支援することで、私たちの至らない点が補われ、罪の一部が赦されることになるのです。
ラマザーン月は、イスラム教徒が集まって自らの団結や同調を示すためのチャンスです。この月には、人々が互いに心を通わせ、断食がきっかけとなって、イスラム教徒たちが互いの近況を確認しあうことになります。中でも、モスクに足を運び、集団礼拝を行うことが増え、多くの人々がラマザーン月には集団で、しかもなるべく早いうちに礼拝を行い、このチャンスをより効果的に活用しています。彼らは、集団での礼拝や、断食終了後の夕食を出すため、各地にあるモスクに向かい、イスラム教徒の力強さを示します。イスラム教徒は整列して礼拝するとき、神を思い起こすことのすがすがしさと精神性の輝き、社会の大きさを明示し、心が安心感と安らぎを得るのです。

ここで、イスラムに入信して間もない31歳のオーストラリア人女性、イヴェット・バルダッチーナさんをご紹介することにいたしましょう。彼女は、イスラムに関する研究により、導きの道を見出しており、次のように語っています。
「私は、聖書と共に育ちましたが、聖書の多くが神の言葉でないと感じていました。ずいぶん前から、様々な宗教や宗派の研究を始めていました。ある日のこと、私は部屋の中でイスラムの聖典コーランを開きました。まず私の目に飛び込んできたのは、第1章、ハムド章『開端』でした。私は、コーランの英訳を読み始めた時から、そこに書かれている言葉が人間の言葉ではないということに気づきました。コーランでの言葉の使い方や意味内容から、私は神の言葉の魅力と力を感じたのです。コーラン第112章、アル・イフラース章『純正』を読むことで、創造主なる神の唯一性を明白に理解できたのです。その時、私の混乱や曖昧な点はすうっと消え去りました。信じられないことに、私はその夜から朝までコーランを読みふけったのです。翌朝、礼拝の時刻を告げるアザーンが聞こえてきたとき、それは心に染みる心地よいものに感じられ、私もそれを口ずさみました。それからしばらくして、イスラム教徒の人々と共に集団礼拝に行きました。説教師が大きな声で、コーランの最初の開端の章を読んだとき、自分は唯一の神を見出したという感覚により、私は全身で喜びとすがすがしさを感じました。礼拝の際の最初の動作や、その時に唱える文句を、私は正確には知りませんでしたが、大勢の人々と共にあることの壮観さは、私の情熱をかきたてるものでした。私は、特別な憧れの気持ちに駆られ、礼拝の際に唱える文句を英語で紙に書きとめ、それを口ずさみました。自分も集団礼拝に参加した方がよいと感じました。なぜなら、それは私にとって興味深く、より好ましいものだったからです」

 

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