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2015/06/28(日曜) 16:59

ラマザーン月と共に(7)

ラマザーン月と共に(7)

ラマザーン月は、聖なる月であり、この月の恩恵の影響を真っ先に受けるのは、信心深い人やこの月に断食をする人々の心と魂です。人々の心は、普段の月よりも、ラマザーン月にこそ神とより親しくなり、精神的な恩恵を受けることになります。ラマザーン月は、善良な僕たちや神の預言者、その子孫であるイマームたちにとって、恩恵に溢れた月でありますが、それはこの月が全世界の創造主である神と語らい、祈祷を捧げる時期だからです。


今回は、これまでにお話した以外のラマザーン月の美徳と、この月に行なう祈祷の意義、及び位置づけについて考えてみることにいたしましょう。

人間は、いつでも神との関係や神への祈祷、そして神からの助けを必要としており、これは基本的なニーズの1つです。人間は、神の存在を感じず、神との関係がない場合には虚無感を感じ、困難や災いに耐える力を失ってしまいます。神を信じる敬虔な人は、最悪の状態にあっても自分の声を聞き届けてくれる絶対的な力の主が存在し、自分の呼びかけに答えてくれることを知っています。神は、コーラン第40章、ガーフィル章、「寛大なお方」、第60節において、人類に対し次のように呼びかけています。
"我に向かって祈るがよい。我はあなた方に答えるであろう" この節は、全ての祈祷には必ず答えが返ってくることを意味しています。
神に注目することや、神との関係は人間の疲れた体に新しい魂を与え、その人にとって人生を渇望に溢れたものにしてくれます。それは、神が最終的に自分を最高の進路に導いてくれるであろうことを、その人は知っているからです。また、祈祷は人間の心を神につなぎ、人間の命を精神性や爽やかさに溢れたものにしてくれると同時に、その人の意識や思考をも導いてくれるのです。
私達は決して、神との関係を軽視してはなりません。人間の全ては、この関係にかかっており、この関係こそが神以外の何者をも恐れないほどに、人間の心を強くするのです。しかも、この関係は性別や年齢、経済的に恵まれているか否かなどには全く左右されず、時間や場所にさえ制限されることはありません。人間は、あらゆる瞬間に神の方を向き、神に助けを求めることが出来ます。そのためには、特別な儀礼や条件も必要ありません。このため、神と人間の関係を強化するためのあらゆるチャンスを大切にするべきなのです。そうした最高のチャンスの1つが、ラマザーン月です。

祈祷とは、願い求めることであり、それは貧しさや必要性から求めるべきものです。神の御前における自らの貧しさという真実に気づいている人については、その人の願いが聞き届けられます。コーラン第25章、アル・フルガーン章「識別」、第77節では、神の御前での祈祷や助けを求めることの重要性と価値について、次のように述べられています。
"おお、我らの預言者よ、人々にこう告げるがよい。『あなた方が神の御前で祈祷しなかったならば、創造主もあなた方に目をかけては下さらなかっただろう』"
その理由は、祈祷すること自体、何ものをも必要としない神の御前で、自らが貧しく何かを必要としていることを示しているからです。他に類を見ないこの清らかな神の前で、自分の無能さを認めることにより、人間は完成度を高め、その人は神の存在する天上界へと押し上げられます。この階段、或いは人間の魂が高みに至る動きが、祈祷の秘密の1つなのです。
神は、全世界の真の所有者であり、全ての創造物に糧を与えるお方です。神が自分の僕たちに与えた恩恵の多くは、彼らから要求されたものではありません。しかし、一部の恩恵については、1人1人の可能性に注目した上で彼らに与えられています。こうした可能性や才能も、祈祷や願い事により得られるものです。
祈ることは、祈祷文を読むこととは異なっています。時折、祈祷は習慣的で繰り返しのもので、祈祷文として読まれます。この状態では、祈祷文を読む人に全く変化は起こりません。しかし時として、特に緊急事態や何か困難に巻き込まれたときに、人間は言葉上だけでなく、全身全霊をもって神に願い事をします。人間の生命と魂は神の御前では恐れ入ってひたすらこいねがい、神の名を呼びます。そして、自らの主に癒しを求め、願い求めることを決してやめません。神は、こうした行為をお喜びになります。
祈祷や祈りがかなえられる方法の1つは、自分を抑制し罪を犯さず、敬虔さを維持することです。なぜなら、コーラン第5章、アル・マーイダ章「食卓」、第27節が命じている通り、神は敬虔な人のみを受け入れるからです。
ここで、次のような言い伝えをご紹介しましょう。
ある偉人が次のような質問を受けました。それは、自分は神の名を呼び、願い事をしているが、それが叶えられないというものでした。これに対し、その偉人は次のように答えました。「あなたは、神の存在を知ってはいるが、神に従ってはいない。コーランを読んではいてもその内容を実行していない。神の恩恵を受けながら、これに感謝していない。天国というものが、神に従う人のために用意されていることを知ってはいるが、天国に行くことを求めない。現世と来世の境界線を知っているのに、それから逃げない。死というものが存在するのに、それに対する備えをしない。自分の生みの親を葬るけれども、そのことから教訓を得ることはない。悪魔が人間の敵だということを知っていながら、悪魔に敵対せず、逆に悪魔に迎合している。自分の欠点を直さないで、他人の欠点ばかりを咎めている。このような人の祈りは、到底聞き届けられるはずはない」
ラマザーン月には、人々の間に助け合いや協同の精神が広がり、他人の利益が利己主義よりも勝るようになります。これについて、イスラムの預言者ムハンマドは次のように述べています。
「ラマザーン月に、神の道において断食後の夕食を人々に与える人は、1人の僕を解放するようなものであり、その人の罪も赦される」
これに対し、預言者ムハンマドの教友の一部が、私にはとてもそのようなことはできません、と述べました。預言者ムハンマドは、次のように答えました。
「ナツメヤシ1つ、或いはその半分でも、断食の後の夕食として出すこともできる。それも無理だったら、断食をした人に対し、1杯の甘い飲み物を出しても構わない」
預言者ムハンマドの教友の一部は、ほかの移住者たちとともにメディナに移住しましたが、貧困のため、メディナには身を寄せるところがありませんでした。そこで、モスクの外に突き出た、スッファと呼ばれるテラスに繋がっていて屋根のある場所に暮らしていました。これらの人々は、次第にスッファの人々という名で知られるようになりました。スッファの人々は、お金がなく貧しかったにもかかわらず、非常に信仰深く神を崇拝していました。彼らは、戦争のときも、預言者の最もよい兵士たちとされていました。メディナの人々は、彼らの存在を知り、時折彼らの一部を昼食や夕食に招待しました。預言者ムハンマドも、彼らを非常に愛し、彼らの様子を頻繁に見に行っては、食事を差し入れていました。ラマザーン月のある日の夜のこと、メディナの人々はスッファの友のうち、およそ40人を断食後の夕食に招待しました。しかし、そのうちの30人は誰にも招待されていませんでした。彼らは、既に礼拝を済ませ、モスクの一角に座り、彼らの一部は壁にもたれていましたが、まだ断食後の夕食に手をつけていませんでした。この時、預言者ムハンマドが満面の笑みを浮かべながら、蓋をかぶせてある大きな器を持って、彼らの座っているモスクの一角に入ってきました。座っていたスッファの人々たちは、喜びいさんで立ち上がり、預言者の方にやってきました。預言者は座り、そして彼らも自分たち共同の食事用の敷物を広げ、それを囲んで座りました。預言者が器の蓋を取ると、ご馳走のにおいが辺り一面に広がりました。預言者は集まっていた人々1人1人に対し、食事をよそい、最後にいくらかの量を自分のためによそいました。預言者も、スッファの人々のように、まだ断食後の夕食を食べていませんでした。ラマザーン月の月光がメディナの町を明るく照らし、預言者の表情も、スッファの人々に囲まれて、月のように美しく輝いていました。

 

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