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2015/07/08(水曜) 05:27

イマームアリーの殉教日に寄せて

イマームアリーの殉教日に寄せて

イスラム暦40年ラマザーン月21日、西暦661年1月31日、シーア派初代イマーム、アリーの63年間の努力とジハード、崇拝行為が終わり、彼の死去により、大きな悲しみが人類に残されました。その2日前、狂信的で残酷な男、イブン・ムルジャム・モラーディが、メヘラーブの前で礼拝を行っていたイマームの上に毒のついた剣を振り落としました。医師はその深い傷を見て、治療を断念しました。

 

イマームアリーは何度も殉教の手前まで行ったことがありました。彼は殉教する寸前にこのように述べました。
エコー「私にとって死は招かれざる客人ではない。私の死は、のどの渇いた人が長い時を経て水に到達した状況、また貴重な失くし物を見つけた人の状況と同じである」

イマームアリーが死に親しんでいたこと、また彼の殉教を追い求める気持ちは、この神への深い信仰心から来ています。原則として世界で神が求めているように生き、来世のために十分な糧を得ている人は死を恐れないばかりか、それを追い求め、できるだけ早く神に会いに行こうとします。預言者ムハンマドがメッカからメディナに遷都した夜、敵にそれを気付かせないためにアリーが預言者の寝台に寝て、あたかも預言者がいるようにしていたとき、彼は大きな危険が迫っていることを察していました。しかしながら彼にとって神の満足とイスラムの預言者の命を守ることが重要でした。コーラン第2章アルバガラ章雌牛、第207節はイマームアリーのこの偉大な献身の後に下された節です。神はこのように述べています。
「人々の一部は自らの命を神の満足を得るために捧げる。そして神は自らの僕に慈悲をかける」

オホドの戦いの中で、イスラム教徒数人の不注意のために、クライシュ族の全面的な攻撃を受け、預言者のおじにあたるハムザを含む多くのイスラム教徒の戦士たちが殉教しました。この中で、イマームアリーを初めとするイスラム教徒のわずかな人々たちだけが、敵の危険な攻撃にもかかわらず、預言者の護衛に立ち上がり、彼をそこから救出しました。この中で神の偉大な天使ジブライールによるこの声が鳴り響きました。
「アリーのような勇気、(彼の剣である)ゾルファガールのような剣は他にない」

一方、戦争の後、およそ70人のイスラム教徒が殉教した中で、イマームアリーは自分が多くの傷を負っていたにもかかわらず殉教しなかったことを悲しく思っていました。こうした彼の状態に気づいた預言者はこのように言いました。「あなたに祝福あれ。あなたは最後には殉教するだろう」。しばらく後に、神の道において殉教したいと願っていたアリーは、預言者は以前、アリーは殉教すると言っていたのに、と指摘しました。預言者は優しく答えました。「その通り、必ずそうなるだろう。しかし、その時、あなたの忍耐や抵抗はどのような形のものだろうか」。アリーは答えました。「これは忍耐の例ではなく、むしろ吉報(と満足)の例です」
彼は殉教する2日前に、礼拝中に剣を振り落とされた後、言いました。「カーバの神に誓って私は救われた」
イマームアリーは神の道における殉教を救いと幸福と見なしていたため、それを恐れることはなかったのです。

死に関するイマームアリーの唯一の懸念は、その死の際に、イスラムの正しい道にあるかということでした。というのも、一部の預言者の教友は、預言者が生きている時代は敬虔で献身的な人々だったにもかかわらず、彼の死後、他の道を選んだからです。しかしながら預言者はこれに関して、義理の息子のアリーはそうならないと確信を与えています。預言者はある時、ラマザーン月の美徳と優位性について語っていました。アリーはそこから立ち上がって尋ねました。「預言者よ、この月において最良の行いとは何でしょうか」。預言者は答えました。「敬虔さとイスラム法で禁じられた物事を避けることだ」

預言者はイマームアリーを見ながら、(これから彼に降りかかるであろう)好ましからざる出来事を思い、泣き始めました。イマームがなぜ泣くのかと尋ねると、預言者は言いました。「アリーよ、私が泣いているのはこの月にあなたに加えられるであろう圧制や侮辱行為のためである。あなたが礼拝を行っているところに、最も残酷な者があなたの頭に剣を振り下ろすのが見える。あなたのひげが赤い血に染まるのが見える」
イマームアリーは取り乱すことなく、このようにだけ尋ねました。「その時、私の宗教は健全なものであり、守られるでしょうか」。預言者は言いました。「その時もあなたの宗教は健全なものだろう」。その時神の預言者は、美しく深い言葉によってアリーを自身の後継者と呼んだのです。

イマームアリーの殉教に関するイスラムの預言者の数多くの吉報により、イマームは常に神の道における死を待ち望んでおり、その人生の最後の日々においても、この長年の希望が叶えられることを知っていたかのように行動していました。イマームは殉教と神への到達、預言者の傍らにいられるという願いを持っていたにもかかわらず、現世の行いにおいて怠慢になることがなかったばかりか、現世での行いを神の満足を得るための手段としていました。

これにより、イマームアリーは、自分自身で生計を立て、生産活動においても成果を挙げた勤勉な人物でした。彼は多くの土地を開墾し、井戸を掘り、こうした作業を卑しいものと見なすことはありませんでした。スンニー派の学者、イブン・アルハディードはイマームについてこのように語っています。「彼は自らの手で仕事をしていた。土地を耕し、灌漑し、ナツメヤシの種を植え、開墾したその畑を貧しい者に与えた」。イマームアリーはさらに、多くの掘り当てた井戸をイスラム教徒に寄付していました。こうして彼は労働して多くの収入を確保していたましたが、それを貧しい人々に与え、自らの労働を来世の繁栄のための手段としていたのです。

イマームアリーの神の服従は、彼がカリフとして5年間の統治を行っていた時代に頂点を迎えました。イマームは、被抑圧者の権利実現、公正の確立に向け、宗教的な義務としてカリフとしての地位を負った後、自らのすべての努力をこの困難な道に注ぎました。こうした聖なる目的の推進によって、自らの利益が脅かされると見ていた人々は、イマームに対して攻撃を行い、社会におけるイスラムの価値の確立と公正の実現を妨害しました。しかしながら、いつものように神の指示を実行し、神の満足を得ることを何よりも好んでいたイマームは、殉教を恐れず、覇権主義者、日和見主義者、無明時代の狂信者に対抗しました。最終的に、宗教の真理を理解することができず、イマームの高い地位を理解しなかった無明時代の狂信者の一人の手により、イマームは殉教することになったのです。

イマームアリーの美徳と地位に関して、様々な思想家は興味深く有名な話を残しています。その中でも、イマームアリーの息子であるイマームハサンは、価値ある言葉を残しています。イマームアリーを埋葬した後、イマームハサンは人々をかき分け、ミンバルに上り、涙を流して嗚咽している中、このように述べました。

「昨夜、一人の男性がこの世から去った。イスラムの先駆者の中で、預言者ムハンマドを除き、彼ほどの人物はいない。彼は預言者の傍らで、ジハードを行い、預言者の旗を掲げていた。神の天使ジブライールとミカイールは彼を支援していた。コーランが預言者ムハンマドに下され、預言者イーサーが昇天した夜に彼は慈悲深い神のもとへと去っていった。私の父は家族への700ディルハム以外、この世の財産を残さなかった」

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