ラマザーン月 http://japanese.irib.ir Fri, 20 Oct 2017 16:08:55 +0900 ja-jp 人間の再生、断食明けの祝祭 http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56382-人間の再生、断食明けの祝祭 http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56382-人間の再生、断食明けの祝祭

 

イスラム暦のラマザーン月が終わり、シャッワール月に入りました。シャッワール月1日は、断食明けの祝祭の日です。1ヶ月に及ぶ断食を終え、この日は喜びに溢れた祝祭の日です。

今回の番組では、この断食明けの祝祭の様々な特徴や恩恵についてお話ししましょう。

イード・フェトルと呼ばれる断食明けの祝祭は、イスラムの大きな祝祭の一つです。1ヶ月間、飲食や多くの悪い行いを控えてきたイスラム教徒は、今、神にその報奨を求めます。シャッワール月1日の断食明けの祝祭には、断食が解かれ、敬虔な人間は日中にものを食べることができるようになります。フェトルという言葉は、アラビア語で食べることや飲むことを指し、「飲食を始めること」も意味します。

祝祭の日の朝、明るい雰囲気が町を包み、人々は神への称賛と感謝を口にします。

様々な年齢の人々が肩を並べて立っています。体が浮いたように感じ、敬虔さと神への服従の雰囲気に包まれます。これは、真の敬虔な人々が味わう、1ヶ月間に及ぶ断食の報奨です。人々は、一年の他の時期にも、大小の様々な罪によって、自分たちの生活が穢されないよう望みます。

イスラムは、肉体的な側面を超えて行動するような人間を作ろうとしています。それは、他人や恵まれない人への奉仕、援助の中に、神への礼拝を見出すような人間です。言い換えれば、断食明けの祝祭の後、人間は、よりよい社会を作り、恵まれない人々の状況に配慮するために、神に好まれる行動や努力を心がけます。このような人間は、それまでの人間とは異なり、より幅広い理解力を持って生活します。神への服従の精神により、優しく穏やかな感情を持つようになります。断食により、貧しい人々の苦しみを知った人は、宗教的な試練によって手にした、目的のあるまなざしによって行動します。そのため、その人の安定が増し、忍耐とバランスが成長します。このような人間は、内面に深い変化を感じ、完成や向上へと向かいます。断食明けの祝祭の日の朝、人々はこの日の喜捨を行い、神の名を唱え、礼拝を行うとき、個人的な問題を超えて他人のことも気遣い、利己主義を離れることを誓います。

神は、創造の初めから、全ての人間に成長という恩恵を与えています。しかし、人間自身が、自分の行いによって、そのような成長の力を失ってしまいます。シーア派6代目イマーム、サーデグは、「罪は重りのようなものであり、それらの存在によって空へと飛
ぶことが妨げられる」としています。

今日、イスラム諸国は、それぞれの文化に従い、特別な伝統や慣習によって、この共通の宗教的な祝祭を祝っています。イスラム諸国では、この日に壮麗な礼拝が行われ、特別な料理が作られ、身だしなみが整えられ、親戚や知り合いを訪問し、子供たちがプレゼントを受け取ります。神の慈悲と赦しへの希望に溢れた喜びは、イスラム教徒の心を互いに近づけます。

イランのシーア派最高権威、ジャヴァーディ・アーモリー師は、断食明けの祝祭の日のイスラム教徒の集団礼拝などの動きは復活を想い起こすものだとし、復活の一部が断食明けの祝祭の日に具現されるとし、次のように語っています。

「この月に断食を行い、宗教義務を果たした人のうち、神から報奨を得る人には3つのグループがある。一つ目、この月の義務をきちんと終わらせ、夜通し祈祷を行った人は、天使から、火から救われるという報奨を得る。また、天国にいくために断食月の義務を遂行した人は、慈悲深い天使から天国に行くという報奨を得る。三つ目のグループは、神にいたるために礼拝を行った人々で、彼らは神へと立ち返り、神から尊厳と愛情という報奨を得る。神から愛される存在となったとき、地獄に落ちることを免れ、天国の美徳に授かる。そのため、断食明けの祝祭の日に受け取る報奨は、非常に重要であり、1ヶ月だけでなく、ほかの11ヶ月の問題をも解決できるものである」

イスラムの祝祭は、他人と一体となって喜び、他人の運命に影響を及ぼすとき、壮麗なものとなります。断食明けの祝祭の壮麗さは、ザカートと呼ばれる喜捨とこの日の礼拝において明らかになります。フェトルのザカートとは、敬虔な人間が、至高なる神に服従し、その恩恵に感謝を表して、恵まれない人々に与える贈り物、施しです。ザカートとは、成長、発展、善や清らかさを意味します。そのため、礼拝と同じように、精神を強化し、魂を清め、他人との絆を強める要素となります。

実際、断食明けの祝祭の重要な教えの一つは、イスラム社会においてイスラム教徒が力を強め、イスラムを中心に据えることに注目することです。全てのイスラム諸国で調和を取りながら行われる断食明けの祝祭の礼拝は、イスラムの連帯と団結の象徴と見なされます。特に世界の大国がイスラム教徒に敵対し、厳しい攻撃を行っている現在の状況ではなおさらです。世界の利己的な大国は、メディアの力を借り、これまで以上に、他国の国民を支配し、イスラムのイメージを歪めようとしています。このような状況の中で、イスラム世界は、自らの偉大さと力を示す機会を必要としています。断食明けの祝祭の礼拝では、イスラム教徒の大勢の男女が、信仰に溢れた心と強い意志により、イスラム教徒の力を示します。この力は、断食月によって培われたものです。礼拝者たちは、清らかな心と決意に溢れた表情で、唯一の神の前にひれ伏し、共にあらゆる支配や圧制を否定します。この礼拝の際に唱えられる「神は偉大なり」という言葉は、イスラム教徒の反覇権主義の精神を示しているのです。

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ラマザーン月 Sat, 18 Jul 2015 00:05:52 +0900
断食月・ラマザーン(4) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56391-断食月・ラマザーン(4) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56391-断食月・ラマザーン(4)

 

これまでの番組では、ラマザーン月に人々は礼拝、宗教的な集会や説教に参加したり、コーランを読む会に出席したりするということをお話しました。ラマザーン月の精神的な雰囲気作りは、罪を回避したり、社会の腐敗を戦ったりするために人々を動員する下地となります。このためこのつきには社会には特別な穏かさが広まり、社会には大きな変化が生まれます。人々はこれまで以上に善行に向かい、他者を思いやるのです。

概して、ラマザーン月には精神的な雰囲気が広まり、断食をすることのできない人々も公共の場所や通りでは、断食者を敬い、飲食を控えます。

ラマザーン月には、一部の職業は営業時間を変えます。外食産業も、ラマザーン月を尊重し、日中は営業を停止します。レストランや食堂は断食明け後にサービスを開始します。町のバザールもまた変化します。この月にバザールのモスクは、特別な盛況を見せます。

ラマザーン月の断食や礼拝に向けた人々の情熱は、子どもにも影響します。未成年の子どもたちの中には、大人の真似をして、また両親の勧めによって、夜明け前に一緒に起き、断食をする子どももいます。子供たちにとって夜明け前に起きて、食事をすることは非常に楽しいことです。これらの子どもたちの断食はたいてい昼まで行われます。子どもたちには初期の断食が楽しい思い出となるよう、贈り物が贈られます。ヤズド州のアルダカーンでは、断食をした子どもに必ずご褒美を与え、庭を持っている人は、果物の木を子どもに与えます。

昔から、イランの一部の地域では、ラマザーン月の夜に、青少年のための特別な儀式が開かれ、今もイランの村ではこの習慣の一部が残っています。例えば、イラン中部の町、カーシャーンでは、ラマザーン月の3日の夜から15日まで、若者は各家を訪問し、一人がコーランの第91章アルシャムス章「太陽」を読み、残りがそれについて読み上げます。この後、その家の主人に祈りを捧げます。そして次の家を訪問するのです。この儀式の中では様々な詩が読まれます。イラン各地ではこの儀式に似たようなものが行われています。

ラマザーン月の終わりは、フェトルの祝祭です。フェトルの祝祭は世界のイスラム教徒にとって最大の祝祭であり、シャッワール月1日に行われます。イスラム教徒は1ヶ月の断食と神への崇拝を経て、この日を祝います。祝祭の朝、すべての町や村では、フェトルの祝祭の礼拝が盛大に行われます。断食をしてきたイスラム教徒は、フェトルの祝祭に参加します。今回の番組では、イラン各地のフェトル、断食明けの祝祭についてお話しすることにいたしましょう。

ラマザーン月の新月を確認し、それに関連して行われる儀式については、これまでの番組でお話しました。これと同様、イランの多くの地域では、シャッワール月の新月を確認するため、ラマザーン月の最終日の夕方に、屋根などの高い場所に上ります。イラン西部の町サナンダッジの人々は、フェトルの祝祭の前日を「祝祭の兄弟」と呼び、すべての作業を祝祭の夜までに終えなければならないと考えています。このため、祝祭の数日前に家の大掃除をし、新しい服を用意し、客人を迎えるための準備をします。

イランの多くの地域では、ラマザーン月最後の日の日没前に、フェトリーエと呼ばれる断食明けの祝祭の際に渡される金品を分け、貧しい人に与えるのが習慣となっています。フェトリーエやザカートと呼ばれる喜捨は、それぞれイスラム教徒が貧しい人に施す金品のことです。フェトリーエの規模は年間のその人の食料の消費に従い、一人当たり3キロの小麦や米、あるいはその他の食料が施されます。

イラン北西部の町、ウルミエでは、ラマザーン月の最終日の夜、人々はモスクに行き、夜明けが近づくまで祈祷したり、コーランを読んだりします。シャッワール月の訪れの知らせを聞くと、すべての人がモスクに足を運び、断食明けの祝祭の祈祷や礼拝を行います。

イランの多くの都市では、ラマザーン月の最終日の夜、新婚の女性に家族から贈り物が贈られます。この贈り物には、食料、お菓子、果物、服などが含まれています。

フェトル、断食明けの祝祭の日は、イランのイスラム教徒、断食者にとって特別なものです。イランの多くの都市では、断食明けの祝祭に際し、人々は新年のように新しい服を着て、喜びに溢れ、町の礼拝所やモスクなどに向かい、フェトルの礼拝を行います。世俗から離れ、純粋な心で並び立ち、神に祈りを捧げる礼拝者の集団は、非常に壮大な光景を生み出します。礼拝が終わると、人々は互いに祝辞を述べ合います。この日は通常、年少者が年長者のもとを訪ね、昼食やお菓子が振舞われます。また、断食明けの祝祭の日には、家族を亡くした人のもとを訪れます。この中では布や服といった贈り物が贈られます。

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ラマザーン月 Wed, 15 Jul 2015 20:28:14 +0900
ラマザーン月と共に(17) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56356-ラマザーン月と共に(17) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56356-ラマザーン月と共に(17)

 

至高なる神はコーラン第51章ザーリーヤート章、撒き散らすもの、第55節で、預言者に対して、絶えず信者に通知し、助言するよう指示しています。なぜなら、人間への助言、通知は利益のあることだからです。預言者ムハンマドは、実際この方法を人々を導くために使用した他、イスラム教徒に説法会の開催を勧めています。

ラマザーン月の集会への参加により、イスラムの知識が身につき、さらに人生を続けていくための宗教の偉人たちの言葉や助言が思い起こされます。この集会に参加しなければ、人間は神の知識や人間としてのふさわしい道徳から離れることになります。この月に各地で開かれる聖職者による集会は、預言者の真の知識を用い、イスラムの指示や戒律に対する宗教の知識や見識を高めるための絶好の機会なのです。

イスラム教徒の聖典コーランもまた、助言や訓戒に溢れています。説法会の他、信者はこの月に、少なくともコーランの一部を朗誦し、コーランの光り輝く節について考えることで、コーランの多くの助言を活用しようとします。コーランの物語、圧制的な世俗主義者の運命を読み解くこと、また神の預言者たちの生涯の物語を朗誦することは人間が正しく生きる上での道を開き、教訓を与えてくれるものです。これに加えて、こうした日常的な朗誦は、その後もコーランを読むことを継続する下地を整えます。

断食の主なメッセージの一つに、飲食の節制があります。シーア派初代イマーム、アリーは、このように述べています。
「食べることにおいて節度を保ちなさい。なぜならこの行為は浪費からは程遠く、身体にとってさらなる健康につながり、礼拝をさらに促すものだからである」

節度ある飲食は、礼拝を行う上での人間の力の増強につながります。さらに食べすぎによるだるさや心臓・体への負担をなくします。一方、何よりも重要なのは思想の育成と心の浄化です。預言者はこのように述べています。
「腹を空に保つ者は、思考が鍛えられる」
人間の思考が正しい道において鍛えられた時、宗教の知識は光のように、人間の心を清々しいものにするのです。

断食は、思考やその鍛錬のための絶好の機会です。断食している人は、自分がどうあったか、どうあるべきかについてわずかに考えることで措置を講じ、断食の灯火によって道を見つけ、自らを物質的な生活の危険に満ちた山道から守るのです。

現代イスラム法学者であるミールザー・マレキー・タブリーズィー師はなぜ神は自らの客人を受け入れるために空腹を選んだのかということについて、このように記しています。

「ラマザーン月の節食は心を浄化させる良い機会である。なぜなら満腹は脳の働きを鈍くし、人間を精神的な思考における満腹から遠ざけるからだ。こうした中、節食により心が浄化され、憐れみの心を持ち、その心は知識に到達するための準備をする。空腹の中では光が感じられる。空腹の利点の一つは神に対して人間が謙虚になることだ。なぜなら、言動の罪の多くは、満腹や過食から来ているからだ。空腹により、罪が減少し、その結果危機を免れることになる」

ミールザー・マレキー・タブリーズィー師は、空腹の利点についてこのようにも語っています。「空腹や小食の利点の一つは、欲求を抑えることだ。そして睡眠時間を短縮させる。長時間の睡眠は人間の人生を破滅させる。こうした利点を知っていれば、なぜ神が客人を受け入れるために空腹を選んだのかが分かるだろう。神に近づき、知識を得ること以上の恩恵はない、空腹はこうした目的を手にするための最も重要な手段なのである」

ある日、二人の若い男が師匠の元にやって来て、尋ねました。「問題に直面することと、その問題の解決策を見出すことの間にはどれほどの距離がありますか?」。師匠は少し考えてから言いました。「それはその人の膝から地面までの距離ほどだ」。二人の若者は困惑しながら、師匠のもとを去ると、議論を始めました。一人が言いました。「地に座るのではなく、立ち上がるべきであり、個人的に問題の解決策を見出すべきだという意味だと思う。一つの場所に留まり、悲しみを抱えていても何の問題も解決しない」
もう一人は少し考えて言いました。「でも、深い知識を持っている長老の助言にはもっと深い意味があり、そう簡単には説明できるものではない。あなたの言っていることは数千年も前から言われてきたことであり、皆がそれを知っている。師匠の言っていることには別の意味があるのではないか」。二人は師匠の元に戻って、彼に真意を尋ねてみることにしました。師匠は二人の姿を見ると、微笑んで言いました。「人間が問題に直面したときに、まずは自らをゼロの地点に持っていくべきだ。ゼロの地点は人間が生命の創造主の前に跪き、彼に対して助けを求める時である。この地点の後に人は立ち上がり、信念をもって神の導きにより、行動に移すことができる。こうした信念や信仰なくして、何の問題も解決されないだろう。だからこそ、人間が抱えている問題とその解決策には人間の膝と地面ほどの距離があるのだ」

時間厳守、物事に秩序と規律を与えることは、イスラム文明の象徴であり、発展の重要な要素です。イスラム教は完全な世界的宗教として、生活における秩序と計画に多くの重要性を与えており、信者にすべての活動において計画を立て、秩序を持って行うよう、無計画を避けるよう勧めています。イスラムの戒律、義務などもまたこの方向で、イスラム教徒の計画に秩序を与えるために設定されています。

イスラム教において、秩序は、シーア派初代イマーム、アリーが自らの遺言書の中で、すべての信者に語りかけているほど重要性を持っています。イマームアリーはこのように述べています。
「あなた方、すべての子どもたち、血縁者、私の遺言を受ける者すべてに対し、活動の中に敬虔さと秩序を保つことを勧める」
イマームはさらに、自らがエジプトの為政者に任命したマーレク・アシュタルに秩序の遵守に関してこのように勧めています。
「期限が迫っている作業に関して急ぐこと、できることを怠ること、曖昧な事柄に固執することを避けよ。あらゆる事柄を適切に行い、時間厳守に努めよ。」

イスラムの義務を見てみると、イスラムが秩序や規律に注目していることがわかります。5回の礼拝をそれぞれ5回の特定の時間に行うことには、特別な美徳があります。礼拝の時間が定められていること、、集団礼拝においてそれぞれの列が整っていること、共に地に頭をつけて共に座ること、共に立ち上がること、時間前に礼拝を行わないこと、礼拝を時間外に行わないこと、これらはすべて秩序の現れです。ラマザーン月の断食もまた、この月の新月が見えることで始まり、次のシャッワール月の月が見えることで終わります。断食を行う時間もまた、早朝の礼拝の呼びかけから日没の礼拝の呼びかけまでの間であり、もし早朝の礼拝の呼びかけの後、あるいは日没の礼拝の呼びかけの前に食べてしまえば、その断食は無効となります。神が敬虔な人間の崇拝のために設定したこの秩序ある計画は、それ自体が教訓であり、イスラム教徒が秩序を持って、その生活を計画に沿って行うためのものです。

ラマザーン月は、1年間の生活に規律を与えるための最高の期間であり、人間は早朝の礼拝などの崇拝行為において秩序を整える他、個人的、社会的な事柄に規律を与え、その恩恵や効果を得ます。イランイスラム革命の偉大なる指導者、ホメイニー師は、その恩恵に溢れる生涯の中で、常に秩序や計画を個人や非個人の事柄の枠組みに据えていました。それは周囲の人たちが彼の生活の中に秩序や規律を感じることができるほどのものでした。ホメイニー師の支持者の一人はホメイニー師がいかに規律を守っていたかということについて、このように述べています。

「私たちがイラクを旅した際に、イマームアリーの聖廟で、数人の神学生たちと会話していた。その会話が終わった時、彼らは立ち去ろうとして、時計を見たが、みんな時間が異なっていた。聖廟の時計も我々の時計の時間とは違う。こうした中、そこにいたナジャフの聖職者の一人が、興奮した様子で言った。「あなた方の時計を合わせなさい。今はちょうど夜中の3時です」。私たちは驚いて彼を見、「どうして?」と言った。彼はそこを歩いていたホメイニー師を指差して言った。「あの人は毎日、夜中の3時ぴったりに聖廟に来るんですよ」

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ラマザーン月 Wed, 15 Jul 2015 10:00:51 +0900
断食月・ラマザーン(3) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56374-断食月・ラマザーン(3) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56374-断食月・ラマザーン(3)

 

イランでは、ラマザーン月の19日、21日、23日の夜、また一部では27日を「ガドルの夜」と呼んでいます。コーランは、これらの夜に預言者ムハンマドに下されました。このため、これらの夜には、イラン全土で特別な儀式が行われます。19日、20日、21日は、預言者の援助者であったシーア派初代イマーム、アリーの殉教を悼む日であり、この中でイスラム教徒、アリーを敬愛する人々は、悲しみに沈み、殉教劇を行ったり、哀歌を歌うなど、追悼の儀式を各地で行います。

ガドルとは何かをはかること、価値や信用をはかることを意味し、ガドルの夜とはつまり、評価の夜ということになり、ガドルの夜の重要性や価値はコーランの中で述べられていることに基づき、非常に高いものとなっています。コーランには「ガドルの夜は千の月にも優る」という記述があります。これらの夜は肉体や精神から罪を取り払い、物質的な帰属から離れ、慈悲深い神に許しを請い、イスラム教徒の間で献身と協力の姿勢を見せるときです。これらの夜、イスラム教徒は互いに手を取り合い、恵まれない人々を支援すると共に、施しを行います。

イランでは、ガドルの夜になると儀式が行われ、コーラン朗読や祈祷、礼拝といったことが行われます。ガドルの夜にはイスラム教徒は明け方まで礼拝し、コーランを読み、祈祷を捧げます。この儀式を行う日時も場所も人によります。ある人は家で、多くの人はモスクでこの儀式を行います。さらに、徹夜で祈祷を行う人たちもいます。これらの夜に行われる儀式の順は地域によって様々ですが、神に祈りを捧げ、許しを請い、コーランの節を読むことにおいては共通しています。

ガドルの夜には、徹夜の祈祷の儀式に参加しようとする人々は、日没前から、肉体や精神の浄化のため、全身を清め、断食明けの食事の後にモスクに行きます。この儀式に参加することには制限はありません。老若男女、階層や社会的な地位を問わず、すべての人がこの儀式に参加することができます。このコーランを読む儀式では、ラマザーン月の夜に読まれる祈祷のほか、特別な祈祷があります。これらの夜にふさわしい祈祷の一つに、ジョウシャン・キャビールの祈祷があり、これは、各部が神の10の名前で構成される100の部分から成り、この中では神の千の名前が唱えられます。

徹夜の祈祷の儀式の一つに、コーランを頭の上に載せる特別な儀式があります。儀式が始まる際には、精神的な雰囲気を作り出すため、明かりを消し、コーランを頭の上に載せ、清らかな心で神の御前で祈祷し、神の許しを請います。儀式の終わりには、他者や病人の問題が解決されるよう祈りが捧げられた後、明かりがつけられます。一部の地域では、ガドルの夜の、徹夜で行う祈祷の儀式が終わると、夜明け前の食事が出されます。ガドルの夜に、自宅で徹夜の祈祷の儀式を行う人もいれば、ナズリーと呼ばれる食事をモスクにもって行き、断食者に振舞う人もいます。イランの多くの都市では、ガドルの夜や徹夜の祈祷の儀式の後に夜明け前の食事を振舞うことは非常に良いこととされており、このため、儀式に参加できなかった隣人にも食事を届けるのです。

ガドルの夜に際して、イスラム教徒の間で数多くの習慣が広まっています。そのうち最も重要なものの一つに、死者のために他人への施しを行うことが挙げられます。自らの願いを叶えるためにその年、施しを行うことを誓った人々は、この夜その施しを行います。この施し物には様々な形があり、服、現金、食事、モスクなどの宗教施設に必要な道具だったりします。食材もまた、施し物として広く提供されています。恵まれない人々にスープを提供したり、羊をと殺したり、徹夜の祈祷の参加者に食事を用意したり、パンやナツメヤシ、各種のデザートやお菓子も配られます。金銭的に余裕のある人は、ガドルの期間には、恵まれない人や隣人、知人に断食明けの食事や夕食、あるいは夜明け前の食事を提供します。

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ラマザーン月 Tue, 14 Jul 2015 23:03:26 +0900
断食月・ラマザーン(2) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56333-断食月・ラマザーン(2) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56333-断食月・ラマザーン(2)

 

とくにラマザーン月の夜明け前の崇拝行為、礼拝、食事に関しては、都市や村でわずかに異なっています。しかしながら、通常、夜明けのおよそ2時間前に、断食者は目覚め、何よりも先にヴォズー、つまり顔と手を清めます。なぜなら、夜明け前の崇拝行為や食事は、このヴォズーによって、ご利益が増すと考えられているからです。ヴォズーは顔と手を洗い、頭と足を濡らしてこする行為で、イスラム教徒が礼拝を行う準備段階と見なされています。その後家族の年長者が夜明けの特別の祈祷を大きな声で読み上げ、残りがゆっくりと彼の後について読み上げます。とはいえ、ラマザーン月の夜明け前や断食明けの際には、ラジオやテレビによって祈祷が流されます。祈祷の後、食事が始まり、早朝の礼拝の呼びかけが聞こえる前に口をゆすぎます。

夜明け前の特別な食事は「サハリー」と呼ばれます。多くの人はサハリーに温かく、栄養価の高い食事をとります。ラマザーン月の食事は、都市と村では大きく異なっています。食事の用意は各地で家庭内で行われるのが通常で、煮込み料理とご飯となっています。とはいえ、各種のスープやハルワーやショレザルドといった甘いデザートも時々、夜明け前の食卓に並びます。またラマザーン月の夜明けには、紅茶も飲みます。

エフタールと呼ばれる断食明けの際には、断食者は礼拝を行った後、ナツメヤシと共に紅茶を飲むことでエフタールを始め、その後スープやその他のイランの料理をいただきます。夜明け前の食事にも出てくるハルワーといったイランの各種のデザートも、エフタールの食卓を飾ります。イランの各都市ではラマザーンの食事用に、各種の地元のパンを作ります。

断食明けの食事を振舞うことは、ラマザーン月の好ましい習慣のひとつです。この月、善行を行う人、またそうした余力のある人は、人々に断食明けの食事や夜明け前の食事を振舞います。断食明けの食事を振舞うことは非常に善い行為で、この行為を行う人は客人の断食という善行の中に加わり、神から多くの報酬を授かると考えられています。結婚したばかりの娘に父親の家族が、また婚約した女性に男性の家族が贈物を送ることは、一部の地域で昔から行われている習慣です。通常この贈り物には、食材やお菓子、布や衣服などが含まれています。

ラマザーン月には、イラン全国で特別な儀式が行われます。ラマザーン月にコーランが下されたこと、コーランの朗誦には多くのご利益があることから、この月にはコーランを読む集会が多く行われます。このためこの月は、コーランの春と呼ばれています。この月の夜には、男性も女性もモスクを訪れ、聖職者や説教師の話を聞きます。

ラマザーン月には多くのモスクや宗教施設、民家でコーラン朗誦の集会が開かれます。とはいえコーラン朗誦はラマザーン月だけに限られたことではなく、いつでも行われます。しかしながら、ラマザーン月には別の側面もあり、人々は男女、子ども分かれてコーランの集会に参加します。それらはそれぞれ独自の慣習を持っています。またラマザーン月に多く読まれるコーランの章というのもあります。

イラン人の多くの男女はラマザーン月に、多くの時間を礼拝を行い、コーランを読み、祈祷を行い、集会に参加することに費やします。イランの多くの都市では、人々は通常、エフタールの食事の後に友人や知人を訪問します。この訪問で、お互いの状況を知り、誰かが問題を抱えていればそれを解決するよう努力します。ハメダーンの人々は、ラマザーン月に貧しい人々の家に行き、彼らの様子を知り、何か必要があれば彼らのニーズに応え、慰めます。実際、この月の親戚回りは、イランの多くの地域で行われています。

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ラマザーン月 Mon, 13 Jul 2015 21:54:25 +0900
ラマザーン月と共に(16) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56383-ラマザーン月と共に(16) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56383-ラマザーン月と共に(16) ラマザーン月 Mon, 13 Jul 2015 19:30:55 +0900 ラマザーン月と共に(15) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56384-ラマザーン月と共に(15) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56384-ラマザーン月と共に(15)


床屋は、「通りに出て、なぜ神がいないのか見てみれば十分ですよ。もし神がいるのなら、これほど多くの人が病気になるでしょうか。親のいない子供が出てくるでしょうか?もし神がいるのなら、痛みや苦しみは存在すべきではありません。すべてのものが存在することを許す、慈愛なる神を想像することができないのです。」と答えました。
この男性は、少し考えたものの、返答しませんでした。それは彼が議論するのを望んでいなかったからです。
床屋が髪を切り終えた後、この男性は理髪店を後にしました。
彼が店を出たとき、通りで、不潔でボサボサの長い髪と、伸ばし放題のひげを持った、汚い格好をした男性を見かけました。
男性は再び理髪店に入り、床屋に、「あれが何かわかるか、床屋はいない、と私は思っている」と語りました。
床屋は驚いて、「なぜそのようなことをいうのでしょう?私はここにいます。私は床屋です。私は今さっきあなたの髪を切ったではありませんか」といいました。
それに対してこの男性は、「いいや、床屋はいない。もしいたのなら、あの外にいるような、髪が長くて不潔で、ひげを整えていない男が見つかるはずはない」と答えました。
床屋はそれに対して、「床屋はいます。彼らが私たちの所に来ないのが問題なのです」といいました。
男性は、「まさにそうだ。ポイントはまさにそこに存在する。神も存在する。ただ人々が彼について省みず、彼を求めないだけなのだ。まさにそのために、現世にはあらゆる痛みや苦しみがある」
この数年間、ラマザーン月は夏の暑い時期に当たっています。このため、この期間の断食は、断食する時間が長い、この大変な暑さによりのどが渇くなど、いくつかの理由で耐え難いものとなっています。一部のイスラム都市では、気温が摂氏45度以上に上昇しますが、これらのいずれの理由も、イスラム教徒が断食を行わない口実にはなりません。
断食を行い、この暑さの中でかまどの傍らで仕事をすることは、大変な忍耐を必要とします。へダーヤトッラーは29歳のパン職人です。パンをかまどの中に入れるとき、こめかみに汗が流れます。彼は、「断食は、かまどの炎の熱気で顔がほてり、焼けるので、大変困難となるが、この困難な生活における断食の恩恵も、大きなものだ」と語っています。
ムハンマドは36歳です。、摂氏1500度にもなる炉のそばで仕事をしています。仕事を終えた時、工房のそばに座り、安全帽をとると、仕事場の暑さにより、肌が黒くなっているのがわかりました。ムハンマドは、「炉のそばで大変熱い中にいるとき、本当に水が飲みたくてたまらなくなる。こうした中で、唯一断食を続けられるのは、この困難の中で、神が自分を見ているということを感じているためだ。このため、大変つらいが、神の満足のために水を飲まずにいられるのだ」と語っています。
鉄骨をくみ上げる段階の建設作業の中、アサド教授という人物が安全靴と手袋を着用して、熱くなった鉄骨の上を歩き、溶接作業を行っています。炎天下の中、アサド教授の仕事場の周辺は、鉄骨の熱によって、頭が混乱するほど暑くなっています。しかし自身はこの暑さを気に留めず、鉄骨の上にすわり、溶接作業を行っています。彼はこの暑さの中、大変な仕事をこなしながら、断食を行っています。彼は次のように語っています。「この状況下でこの暑さに耐えることは、断食をする人にとってはつらいが、不可能ではない。この暑さの中で断食に耐えることは、望めば実現する、ということを理解するために、神が僕に与えた慈愛なのだ」
ラマザーン月におけるあらゆる努力や、この暑い中での断食が行われている中で、預言者ムハンマドのハディース・伝承では、「暑い中での断食は聖なる戦いである」と述べられています。
イランの哲学教授、ディーナーニー氏はこれに関して、次のように語っています。「夏の断食は簡単なことではない。だがこの苦しみに耐えることは、人間の喜びや完成の要因となる。つまり、ラマザーン月における断食や礼拝は、表面的には苦痛だが、この苦痛を耐えることで、幸福に近づく」
預言者ムハンマドは、「ラマザーン月に親のいない子供たちを支援したものは誰でも、神は最後の審判でその人を尊重する」と述べています。
親のいない子供に同情を寄せ、慈しむことは、イスラムの偉大な訓戒のひとつで、大変な努力を行うべき信徒の義務です。なぜなら、彼らは、明らかによりどころや保護者を持っておらず、神のみが彼らのよりどころとなっているからです。神はこのような子供の権利を大変に尊重し、彼らを慈しむことを強調しています。イスラム社会にとっての模範的な行動のひとつは、シーア派初代イマーム・アリーのこのような子供への対応です。イマーム・アリーは彼らを気にかけ、支援することについて語っており、「神よ、親のいない子供の腹を満たし、彼らを空腹にすることのないよう、彼らの権利を弱めないよう」と述べています。
イマーム・アリーは道の途中、貧しい女性の家の様子に気づきました。そこでは子供たちが空腹のために泣いていました。彼らの母親は子供たちを遊ばせ、その後子供たちを寝かしつけるために、なべに水を満たし、それを火にかけました。イマーム・アリーはそれを見て、奴隷のガンバルとともに急いで自宅に戻り、ナツメヤシと小麦の入った袋、それと同じぐらいの米袋、油を担いで、急いでこの女性の家に戻りました。その家に着き、家に入る許可を得て、油と米をなべの中に入れ、おいしい食事を作りました。子供たちをすぐに起こし、満腹になるまで食べさせました。その後、子供たちを楽しませるために、四つんばいになって彼らを背中に乗せて動き回りました。しばらくの間、子供たちを楽しませた後、彼らを寝かしつけるとイマーム・アリーはその家を出ました。奴隷のガンバルは、「わが師よ、今日は2つのあなたの行動を目にしました。ひとつの理由は知っていますが、もうひとつの理由はわかりません。まず、食料を入れた袋を自分で肩に担ぎ、私にそれを行わせませんでした。確かにそれはすばらしい報奨のためでしょうが、四つんばいになって子供たちを背中に乗せた理由が私にはよくわかりません」
イマームアリーは、これに対して、次のように答えました。「父親のいないあの子供たちが空腹で泣いており、その顔が汚れているのを見て、私はこう思った。私がこの家を出るときには、あの子供たちを満腹にさせ、またその埃にまみれた顔から父親のいない寂しさをぬぐってしまおうと。

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ラマザーン月 Sun, 12 Jul 2015 17:45:55 +0900
断食月・ラマザーン(1) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56272-断食月・ラマザーン(1) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56272-断食月・ラマザーン(1)

 

ラマザーン月は神に近づく月です。イスラム教徒は飲食を控えることで、神の御前での客人となり、自らを試練の中に置きます。この月は幾つかの点から重要性を帯びています。ラマザーン月には預言者ムハンマドにコーランが下されたとされるガドルの夜が存在します。またこの月は、シーア派初代イマームであり、また預言者の友、援助者であるアリーが殉教した月でもあります。さらに、エイデ・フェトルは世界のイスラム教徒の最大の祝祭であり、ラマザーン月が終わったシャッワール月1日に行われ。これはイスラム教徒にとって注目に値するものです、イラン人もまた、ラマザーン月に認められている重要性や価値の点から、一丸となってイスラム法の義務を行うための準備を進め、自らの責務をラマザーン月の特別な慣習と共に遂行します。

ラマザーン月の前の数日間、人々は興奮に沸き立ち、自己形成と罪の回避、そして神に近づく月であるラマザーン月を受け入れるために準備します。毎年ラマザーン月の前には、人々が家や町、村を清掃し、飾り付け、町の様子が一新します。イランの多くの町や村では新年を迎えるときのように家の大掃除が行われ、家の中にあるものすべてがきれいに清掃されます。また家の清掃にとどまらず、モスクや宗教施設、公共の場所もきれいにします。モスクや宗教施設の清掃には、とくに若者たちが参加し、この作業はご利益のある作業とみなされています。その後、モスクの床に絨毯を敷き、壁をコーランの節や宗教的な言葉がかかられた布で覆います。

ラマザーン月の前には、一部の家庭は豆類、米、乾物、ナツメヤシ、肉類といった必要なものを準備します。イラン北西部のウルミエでは、女性はラマザーン月の始まる2週間前から必要なものを用意し始めます。米粉を用意し、ナンやお菓子を作ります。

目に見える外側の準備ができたら、次は内面の準備を行います。イランのイスラム教徒は通常、多くがラマザーン月の3日前、あるいは前の月の最終日から断食を行います。一部の地域では、2ヶ月前のラジャブ月から断食を始めるところもあります。

ラジオやテレビなどのメディアが広まっていなかった昔、ラマザーン月の新月の報告の際には特別な儀式が行われていました。イランの多くの町や村では、人々がシャアバーン月の最後の夕方に、屋根の上やモスクの尖塔など高いところに上って、空に新月を探しました。聖職者や資格のある人が新月の観測を確認すると、ラマザーン月が開始され、人々は断食のための前段階を喜びを持って開始します。一部の地域では、ラマザーン月の開始の報告を礼拝の時刻を告げるモスクのモアッゼンが行うところもあります。これは新月が確認された後に行われます。いずれにせよ、ラマザーン月を迎えると、人々は神の御前で感謝と崇拝の念を表し、断食と礼拝によって神に近づこうとします。

ラマザーン月に行われる好ましい習慣の一つに、和解があり、不和を抱えていた人々の間の和解の機会が整えられます。もし互いに不和であったり、憎しみを心の中に抱いていれば、彼らの礼拝は神によって受け入れられない、とイスラム教徒は考えます。このため、仲の悪い人がいれば、両者の信頼の置ける人が仲介に入り、彼らを和解させます。さらに病気の人がいれば、ラマザーン月の数日前から、近所の住民が見舞いに行き、お見舞いの品を渡し、神にその回復を祈ります。

この他、ラマザーン月の前段階の慣習に、宗教関係者が都市を訪れ、宗教的な事柄について話すとともに、社会的な日常の問題を人々に知らせる、というものもあります。

昔からイラン人は、ラマザーン月の夜明けに目覚め、夜明けの正確な時間を見極め、夜明けの義務を遂行するために、様々な手段を用いてきました。これらの方法の一部は今日も用いられており、その一部は注目に値するものとなっています。

夜明けを見分けるために最もよく行われていた方法の一つが、星の位置を見ることでした。ヤズド、ケルマーン、ファールスなど、美しい星空で知られるイラン南部の砂漠地帯の多くの町では、経験を持った多くの人が空の星の位置から夜明けを判断します。またこの他、人々は夜明けに起きるために鶏の鳴き声を利用していました。さらに、太鼓やラッパなども用いられていました。とはいえ、今日も宗教的な都市であるシーア派8代目イマームレザーの聖廟があるマシュハドでは、夜明け前に、聖廟やモスクの尖塔から祈祷の声や太鼓の音が響き、人々は夜明けの礼拝と食事のために目覚めます。

砲弾がイランに入ってきた時代から、人々を夜明けに目覚めさせるために使われてきた手段の一つに、砲弾の発砲があります。しかしながら、今日、ラジオやテレビといったマスメディアの存在により、この問題は解消され、人々は容易に夜明けの時間を知ることができるようになりました。多くの人が、モスクからの祈祷の声で目覚め、宗教義務を遂行し、夜明け前の食事の準備を行います。ラマザーンに近所の人々を目覚めさせる習慣は長い歴史があり、現代では、夜明けに事前に打ち合わせて友人や知人が電話で起こしたりもしています。

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ラマザーン月 Sat, 11 Jul 2015 20:26:03 +0900
イラン全国で、ガドルの夜の儀式 http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56217-イラン全国で、ガドルの夜の儀式 http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56217-イラン全国で、ガドルの夜の儀式 ラマザーン月 Wed, 08 Jul 2015 23:02:46 +0900 ラマザーン月と共に(14) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56162-ラマザーン月と共に(14) http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/ramzan/item/56162-ラマザーン月と共に(14)


とはいえ、イスラム諸国で一日の断食を終えてとる日没後の食事には共通点があります。今夜の番組では、ラマザーン月の一部利点についてお話しすると共に、この月の一部イスラム諸国の人々の慣習についてお話しすることにいたしましょう。

イランの人々の明らかな特徴のひとつに、民族や宗教の儀式や慣習を重視するということがあります。このイスラムの国において、ラマザーン月はイラン人の家族が長年維持してきた慣習を伴っています。エフタールと呼ばれる日没後の食事を施すことはこの期間に行われる好ましい慣習のひとつです。彼らはモスクで集団礼拝を行い、多くが二つの礼拝の間にエフタールをとり、毎晩のように願いをかける人から、ナツメヤシやお菓子を受け取ります。実際イランの多くの人が報酬が増すよう、エフタールに客人を招くことを望んでいます。

ラマザーン月の間、多くのモスクや家庭ではコーランの朗誦会が開かれます、男性のコーラン朗誦会はたいていモスクで開かれます。通常日々の礼拝が行われた後、集団礼拝に参加した多くの人々がモスクで輪になって座り、コーランの朗誦を始めます。女性のコーラン朗誦会は多くが女性の宗教家の家か、参加者の家で交代で行われます。コーラン朗誦会、及びその解釈会は、たいてい女性たちが時間のとれる午前中に開催されます。

マレーシアはその人口の多くがイスラム教徒で占められた国の一つです。つまりこの国の60%がイスラム教徒となっています。マレーシアのイスラム教徒はラマザーン月が訪れる前に自らをこの月に備えて準備し、モスクや家の清掃を行います。ラマザーン月が始まると、町の主要な通りは色とりどりの電灯で飾られ、繁華街はラマザーン月の到来を祝す旗が掲げられます。

ラマザーン月になると、マレーシアのモスクは、通常の時期と異なり、一日中開かれています。マレーシアの家族はこの月、コーランを朗誦し、民族衣装を着て、頭には長方形の特別な帽子をかぶります。女性も特別な衣装を着て、頭にスカーフをまきます。マレーシアの家族はまた、互いに贈り物や料理、お菓子を渡しあい、互いの間に愛情や親密さを増しています。

ラマザーン月は自己形成と善行の訓練の月です。偉人たちの言い伝えや残された言葉の中で、非常に強調されている問題の一つは、他人に対する良い対応です。この問題の重要性は、断食している人間が喉の渇きや空腹により、時に忍耐を失い、結果として精神的、社会的な混乱に対してほとんど力を持たなくなる時に明らかになります。夏の暑さや日中の長さの中で断食をし、夜遅くまで起きて朝は早起きするために睡眠不足になっているにもかかわらず、不穏に対してふさわしい対応を示す人は、必ず報酬を得るでしょう。

シーア派6代目イマーム、サーデクは、このように述べています。
「他人に対する良い対応は物事を易しくする」
そしてこのように述べています。
「ある日、イスラムの預言者ムハンマドがモスクにいると、アンサールと呼ばれるメディナの支援者の少女がやって来て、後ろから彼の服を引っ張った。預言者は何か用があるのだと思って、その場から立ち上がった。しかし少女は何も言わない。預言者も彼女に何も言わなかった。その後も二度三度と同じことが続き、預言者は何度も座ったり立ち上がったりした。ついに4度目に預言者が立ち上がると、少女は彼の後ろから、服を破って持っていってしまった。人々は彼女を咎めて言った。『神の報いをお受けなさい。三度も神の預言者を立ち上がらせ、何も言わなかった。一体どういう意味があったのか?』。彼女は答えた。『私たちは家に病人を抱えています。親戚が、預言者の服の切れ端をとってくれば、彼が来てくれて病気が治るからと私を行かせたのです。失礼なことだとは思いましたが預言者は気づいても何も言いませんでした。それで私はそれを実行することができたのです』」

信者の最大の望みの一つは、来世で慈悲深い神が、預言者の傍らにいられるという恩恵をその人に施すというものです。この恩恵を受けるためには、道徳的に善い行いをすることです。言い伝えでは、預言者はこれに関してこのように述べています。「私のもとで最も愛すべき人、あなた方の中で私に最も近い人は最後の審判の日に最も品行方正で、謙虚な人である」
すべての人を美徳に呼びかけるイスラムの預言者とイマームたちは、この美徳の突出した例でした。

ラマザーン月の効果の一つは連帯です。それは地球の東から西まで、イスラム世界の各地に住むイスラム教徒が関わっているものです。すべてのイスラム教徒は、ラマザーン月が彼らを、宗教儀式の一つ、イスラムの義務の一つを実践させるために集め、団結させていると感じます。この美徳に溢れた月において、すべてのイスラム教徒は自らを統一の取れた共同体だと見なし、唯一神の服従と献身を体現します。モスクはラマザーン月になると礼拝者と断食者で溢れ、この月の特別な礼拝はイスラム教徒の生活に新たな美しさをもたらし、誰もがこの喜びと美しさを感じることができるのです。

最近イスラムに改宗したドイツ人女性は、断食によってイスラムの教義の美しさや精神性を行動の中で実感しました。彼女は次のように語っています。

「ラマザーン月の中で、イスラム教徒の間の団結と連帯感は、私を非常に魅了し、また私自身もこの連帯を感じました、礼拝を行い、自らを神に近づける一方で、喜びを感じ、夏の暑さすらも感じませんでした。私は完全に私の断食が神に受け入れられたと確信しました。なぜなら私はそれを全身で感じていたからです」

断食は特定の期間に飲食を控えることであり、日没後の食事もまた決まった時にとります。モスクはこの月になると礼拝者や断食者で溢れます。この月においてイスラム教徒の連帯はさらに明らかな形で現れます。この月は共通の信条を有していることに加えて、コーランが下された月でもあります。その書物は、イスラム教徒のすべてがよりどころにし、あらゆる時代や場所に生きる上での指示書となってきました。イスラム教徒はこうしたものを享受することで、宗教的な統一を生きる上での基盤とするでしょう。これはイスラム教の世界観や永遠性を物語るものなのです。この宗教は、信者たちを互いの兄弟であるとし、優越性を清らかさと敬虔さの中に見出しているのです。

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ラマザーン月 Wed, 08 Jul 2015 15:21:55 +0900