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2015/03/14(土曜) 19:53

預言者ユーソフとエジプトの王妃

預言者ユーソフとエジプトの王妃

神の預言者ユーソフは、波乱に満ちた人生を送りました。聖典コーランは、預言者ユーソフの人生の物語を、最も美しい物語として挙げています。ユーソフは子供の頃、兄弟たちから嫉妬されて井戸に投げ込まれてしまいましたが、神の恩恵によって救われました。その後、奴隷としてエジプトの王の宮廷で働くようになりました。しかし、預言者ユーソフが青年になったとき、エジプトの王妃に寵愛されました。そのため、多くの誘惑や罠を仕掛けられ、罪を犯すのに十分なきっかけが作られました。とはいえユーソフは、信仰の力によって、それを遠ざけました。彼は清らかさを守ったがために、投獄されてしまいます。しかし神は、ユーソフが己を制したために、その牢獄を、彼が成長するためのはしごとしました。こうしてユーソフは、エジプトの支配者となるのです。

 

エジプトの王妃、ゾライハーは、1人で座っていました。どうしたら自分の愛を叶えることができるでしょうか。ゾライハーが考えていたのは、ユーソフのことでした。ユーソフは信仰に篤い清らかな青年で、信頼できる誠実な召使いでした。ゾライハーは、神を信じる男性たちを誘惑し、欲望の罠に陥れるのが、いかに難しいことであるかを知っていました。それでもゾライハーは、毎日、陰謀を企て、ユーソフに近づくにはどうしたらよいかを考えていました。

その日、エジプトの王は宮殿にいませんでした。ゾライハーは、口実を使ってユーソフを自分の許に呼び出しました。ユーソフが部屋に入ってくると、ゾライハーはすぐに扉を閉めました。若いユーソフは驚いて言いました。「私は神に助けを求めます。神は私を育ててくれた方であり、私に好ましい立場を与えてくださいました。圧政者たちは救済されることがないことを知っていますか?」 それからユーソフは、扉の方へと駆け寄りました。ゾライハーは理性を失っていました。彼女は急いでユーソフを追い、彼の襟首をつかみました。すると、そのせいでユーソフの服が破れてしまいました。ちょうどそのとき、エジプトの王が部屋に入って来ました。

ゾライハーは驚いて真っ青になり、不安に駆られました。しかし、すぐに気を取り直し、狡猾にもこのように言いました。「ユーソフが今、あなたの妻の聖域を侵しました。あなたの妻に対して悪いたくらみを抱いた人間は、牢獄に入れてしまうか、それとも痛ましい責め苦を与えるべきでしょう」 ユーソフは驚いて言いました。「それは事実ではありません。あなたの奥様が私を引き寄せようとしたのです。この私のシャツが、私の言葉が正しいことを証明しています」
エジプトの王は、信じられない様子で二人を見つめていました。王様はユーソフがどんな人間であるかを知り尽くしていましたし、また妻の言い分をあっさりと認めることもできませんでした。王様の顔は怒りで真っ赤になりました。そのとき、王様と一緒にいた側近の1人が、こう言いました。「少し考えれば、事実を明らかにすることができるでしょう。もしユーソフのシャツが前から破れていたら、ユーソフが罪を犯したことになります。しかし、もし彼のシャツが後ろから破れていたら、あなたの奥様が嘘をついていることになります」

こうしてエジプトの王は、妻の不貞を知ることになりました。しかし、王様は王妃のことを愛していたため、彼女に罪を悔い改めるよう求めました。またユーソフに対しても、この出来事を誰にも言わないように求めました。しかし、ゾライハーのユーソフへの想いは、少しずつエジプトの貴族の女性たちの間に知られるところとなりました。皆がゾライハーを非難し、彼女は明らかな迷いの中にいると噂していました。ゾライハーは、自分がユーソフに想いを告げたというのに、それを受け入れてもらえず、ユーソフに辱められていたため、ユーソフを牢獄に入れて苦しめてしまう計画を練りました。こうしてユーソフは牢獄に入れられましたが、そこでユーソフは神に祈りを捧げて言いました。「神よ、私にとって、牢獄は、私が汚名を着せられるよりも好ましいところです。もしこのような女性たちの策略を私から遠ざけてくださらなければ、私は愚かな人間の一人となるでしょう」

ユーソフの祈りは、魂の深いところから起こったものでした。そのためその祈りは、神に聞き届けられました。ユーソフは長い年月を牢獄の中で過ごしました。しかし、とうとう、ユーソフの無実と清らかさが全ての人に証明され、彼は再び、エジプトの王の許で高い地位と名誉を得たのです。

この物語は、コーラン第12章ユーソフ章ヨセフで語られています。この物語の中でも美しい箇所は、ユーソフの言葉です。ユーソフは、神のみを頼りにし、神の助けによって、人間は心の欲望から解放されるとし、次のように語っています。「私は決して、自分を罪びとだとは考えない。なぜなら、私の中にも、そして全ての人間の中にもある欲望は、常に私たちを悪へといざなうからだ。誰でも欲望の罠に陥る可能性がある。ただし、神の恩恵にあずかり、罪を犯さない人間は別である。私は、神が自らの僕たちに対して、どれほど寛容で慈悲深い方であるかを知っている」

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