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2015/03/29(日曜) 15:33

革命後の青少年向け映画の成長

革命後の青少年向け映画の成長

前回から、イランの青少年向けの映画についてお話しています。イランで青少年向けの映画の制作が始まったのは、1969年代のことでしたが、イスラム革命後に大きな変化を迎えました。予算や可能性が整い、青少年向け映画の映画祭が開催され、若い監督たちが、この分野の活動を始めたこと、それらが、この種の映画の制作の目覚しい成長を促し、青少年向けのイラン映画が外国でも評価を受けるようになりました。今週は、革命後の青少年向け映画の成長の流れについてお話しすることにいたしましょう。

 

現代の世界において、家庭と教育機関は、子供の精神的な教育を担う最も重要な場所となっています。将来に備えた子供の能力を伸ばすこと、それは家庭や教育機関による様々な教育を通して行われます。文学、演劇、映画、絵画、ゲームは、子供たちを夢中にさせながら、様々な事柄を教えます。こうした方法は、影響力を持つと共に、子供の興味をひきつけ、親や教育機関の責任者にとっても好ましい土台となっています。

映像は有益な手段の一つであり、物語を映像化し、人間の知覚にうったえ、数々の要素を利用することから、見る者の興味をひきつけます。映像は、教育的なものから、テレビの番組、宣伝や娯楽のためのアニメまで、様々な形で子供たちに影響を与えることができます。

映画や映像は、理想的に言えば、子供たちの好奇心を掻き立て、彼らの疑問に答えることができます。世界のさまざまな神秘や驚異にひきつけられる青少年は、映像を通して、カメラと共に世界を探検し、それに夢中になります。空想の世界に浸ることは、子供の生活の重要な部分を占め、子供にとっては芸術活動の基盤になるものですが、それに教育が伴えば、その価値も高まります。

イランの青少年向けの映画は、ほぼすべてが、この年代の子供たちの敏感さを考慮し、作品の教育的な側面や道徳的、精神的な健全性を強調しています。イランの子供向けの映画は、常に、生き生きとした現象として、教育という枠組みの中で制作され、子供の教育制度の一環をなすものとなるような努力が行われてきました。中には、それほど成功したとは言えないものもありますが、その原因は、一部の関係者の正しい認識の不足にありました。

子供の教育を第一に考えること、それはイランの芸術家が昔から努めてきた事柄です。昔の人々の記述や書物の中でも、子供の教育が優先に据えられ、真剣に捉えられてきました。例えば、13世紀のペルシャ詩人、サアディは、代表作「ゴレスターン・薔薇園」で教育の問題を扱い、その中で、子供の教育に関する細かい点に触れています。

子供の教育の重要性により、詩や物語、演劇といった過去の芸術作品には、多くの教訓やたとえ話が含まれており、それらは聞き手や読み手、見る者に何らかの教育を施す目的を持っています。映画は、比較的新しい芸術ですが、芸術家の間に文化として広まっているこうした形の影響を受け、多くが教育的な側面を有しています。表面的には、単なる娯楽のための作品であっても、その中には何らかの教えを施そうとする傾向が見られます。

イランの青少年向けの映画における教育というテーマについて、それがいかに影響を受けやすいものであるかを知った上で分析すると、子供の世界の特徴を知らずに、メッセージを伝える上で節度が守られていないため、一部の作品は悪影響を受け、最終的な目標から遠ざかってしまっています。例えば、「人形泥棒」という映画では、大人の視点からで良しとされることが求められているため、押し付けられたステレオタイプの教訓が述べられており、興味深い形で始まっている、映画の空想的な雰囲気が失われてしまっています。イランの映画監督で、評論家でもあるイーラジ・キャリーミー氏は、これについて次のように語っています。

「映画の内容と構成のバランスは非常に大事である。世界の児童映画で最も優れた作品は、物語や空想の世界が、生き生きとした形で描かれ、メッセージが、映画の世界の自然な結末であるべきだということを示している」

彼は続けて、様々な事柄が自然の成り行きで起こり、作品全体の流れに沿って、見る者が結論を下すことのできる作品を例に挙げています。この評論家は、「トラベラー」という映画を挙げ、それは映画の物語の随所にメッセージがこめられ、そのメッセージを受け取り、結論を下すことが、それを見る子供に委ねられている作品だとしています。

この映画は、サッカーの試合を観戦するために、小さな町から首都に出てくる少年の物語です。この少年は、色々な問題を乗り越えながら、スタジアムに行き着きますが、そこで疲れて眠ってしまい、目が覚めたときには、試合が終了し、観客たちがスタジアムを去っています。映画「トラベラー」は、直接的な教訓は一切省き、正しく慎重な表現を選ぶことで、この分野で成功した作品のひとつとなっています。

1980年代から90年代にかけて、イランの映画監督は、子供たちが喜ぶ内容を扱い、貴重な作品を創作し、世界の映画評論家を驚かせてきました。この頃に制作された数多くのイラン映画の中でも、青少年向けの作品は上位を占めており、そのことは、青少年向けの映画を制作したイラン人監督の成功を物語っています。革命前には、この分野の映画は数も少なく、子供たちが本当に必要としている事柄も扱われず、観客をひきつけることができませんでした。

青少年向けの映画作品の制作は、1980年代に最高潮に達し、興行成績の点でも、優秀な作品の点でも、上位を占めるようになりました。それにより、ファジル国際映画祭の開催が始まった後、青少年向け映画専門の国際映画祭を開催する基盤が築かれました。第1回の映画祭が1982年に開催された後、特にイランで制作された、優れた作品の上映により、少しずつ、世界的に知られるようになり、毎年、この映画祭が開催されるイラン中部のイスファハーンには、世界中から、映画監督や子供向けの芸術に携わる関係者が集まるようになりました。

イスファハーン児童映画国際映画祭と共に、教育映画国際映画祭についても、触れておく必要があります。この映画祭は、革命前に始まったものですが、それが盛り上がりを見せたのは、革命後のことです。この芸術・文化イベントでは、青少年や両親、教育関係者のために教育映画が上映され、教育的なメッセージを効果的な形で提示する作品が高い評価を得ています。

イランで、青少年向けに制作された映画作品を総体的に見てみると、教育的な側面が、この芸術の根本を成していることが分かります。とはいえ、この重要な要素は、心理学的な原則と芸術的な方法が伴われたときにはじめて、その価値を見出します。マジード・マジディ監督の「太陽は、僕の瞳」や「運動靴と赤い金魚」の他、「マジードの物語」、などが、イランの優れた児童映画作品となっています。

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