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2015/04/15(水曜) 21:32

神を知ること

神を知ること

イスラムでは、唯一神信仰と神を知ることは最も重要で基本的な信条とされています。今回の番組では、「神を知ること」についてお話を続けることにいたしましょう。

 

人間が考えるところでは、あらゆる現象には原因があります。どんな現象も理由なしには自然発生しません。これは原則であり、全般的な規則です。シーア派6代目イマーム、サーデグは原因の規則、あらゆる結果は原因を必要としているということについて語っています。「神の慣習によれば、すべてのものは原因という道から流れている。それゆえ、あらゆるものには原因があるのである」

前回の番組で指摘したように、シーア派初代イマーム、アリーは、神の徴についてこのように語っています。
「創造の徴とその英知の現れは、斬新な被創造物の中にある。被創造物は、神の存在を立証するものである。創造物は主張しないが、それ自体が神の清らかな本質によるものであることを物語っている」
これにより、世界で見られるあらゆる驚くべき秩序は、原因を有しているのです。それはこれらすべてが、熟練した画家の手によらずに、存在するということは考えられないからです。ここで例を挙げてみましょう。

建物は技術的な原則に基づいて建てられています。この建物は、設計者がいて、技術的に正確な原則に基づいて出現したものです。建設の技術や知識なくして、お気楽にレンガを積み上げ、設計図もなく偶然に美しい近代的な建物ができるはずはありません。もしこのような主張を行う人がいれば、精神の健康を疑われるでしょう。小さな秩序であっても、それを目的や計画のない偶然の産物だとみなすことはできません。それならば、さらに広いレベルでの、世界の驚くべき大きな秩序が、賢明な設計者の存在なしに、偶然にできたものと考えることが出来るでしょうか?世界を取り巻く正確な秩序や存在物の組み合わせやシステムは、それらを生み出したのが、英知ある神であることを証明しています。

創造主である神を知るための明らかな方法は、神が創造した世界に注意深くなり、思考することです。世界の現象に好奇心を持って、世界を運営し、存在物に命を与えた英知の意志を探るのです。イマームアリーは、「神は目に見えないが、確かに存在する」と語っています。こうした中、時に人間は自分たちが目に見えない、感じられないものを否定します。ここで、もし我々が科学的な経験の中で、何かの存在が目に見えないからといって、その存在を否定すべきなのでしょうか。あるいは、今もその存在は目に見えないと答えるべきでなのでしょうか?賢明な、学術的な人間は目に見えない、感じられないものを否定することはありません。そうでなければ、感覚や経験の枠内に含まれない学術的に認められた原則の多くは学術の枠外に追いやられてしまうでしょう。例えば、磁力や電子、中性子は目に見えませんが、人間は結果から、それらの動きや存在を知り、この現象を否定する人はいません。生命の世界において、見えないものはたくさんありますが、現代における科学的な発展は、目に見えないこの存在物に関する多くの真理を物語っています。

人間の目は、ある場合には一部の物理的な現象を見ることができません。例えば、光は、その波長が一定のスペクトルの間にある時にのみ目に見えます。このため、紫外線や赤外線は目にすることができません。これらの光線は世界に存在し、特別な効果があるにもかかわらず、です。さらに、私たちの回りにある空気は重さを持ち、私たちの体を絶えず圧迫していますが、これらの圧力は体内からの圧力によって無効になることから、痛みや不快感を感じません。これは私たちが感じることのできない科学の明らかな事実です。このためもし人間が持てる手段で何かの存在を感じることができなくても、その可能性を覆す科学的根拠がない限り、それを否定することはできないのです。

ある日、物質主義的な思想を持ったエジプト出身者が、イマームサーデグと討論する機会がありました。イマームは討論の初めに、彼にこのように尋ねました。「これまで地下には行ったことがありますか?」。エジプト人は「いいえ」と答えました。イマームは、「地下には何があるか知っていますか?」と尋ねました。エジプト人は「私にはわかりませんが、地下には何もないと思います」と答えました。イマームは続けて言いました。「空の上には行ったことがありますか?空には何があると思いますか?」。エジプト人は答えます。「わかりませんが、何もないと思います」。するとイマームは彼の答えから結論付けて、このように述べました。「あなたは東にも、西にも、地下にも空にも行ったことがない。どのようにしてそこにあるもののことを否定することができるのです?どんな賢い人間も自分が知らないことを否定することはできません。私たちは神の存在に疑いを持っていない。太陽と月は(自転し)軌道をそれることなく回り、昼と夜を作り出している。もしそれらが自ら行ったきり戻ってこない力を有しているのなら、それらはなぜ戻ってくるのだろうか?実際それらは無意識に動いているのであり、この現象を支配し、運営しているものこそが神なのだ。」

生物は、この世界の驚きであり、様々な色や形、人間、動物、植物、その他の生物という形として現れています。実際、こうした意志は神の導きであり、生命の驚くべき奇跡を多くの特徴と共に、命のない物質に与え、それから命のある生物を生じさせています。創造主の驚くべき奇跡を目にすることで、真理を見出そうとする人間はすべての生命の中に神を見るのです。

イマームアリーは、神が目に見えなくても、理性や知性は、人間の限定的な感覚を助け、人間を神に親しませると言っています。私たちは目に見える物質の枠組みの中にあり、神の存在を自らの想像力によって理解することはできない、ということを忘れるべきではないでしょう。このため、感覚の世界での調査や認識の方法が実験や経験であるように、非物質、形而上学における真理の認識の手段は、思考なのです。それゆえ、理性の誘導なしには創造世界の真理を理解することはできないのです。

ある人が、イマームアリーに尋ねました。「あなたは神を見たことがありますか?」。イマームは答えました。「見たことのない神を崇拝はしません」。その人は尋ねました。「どのようにして神を見たのです?私たちに説明してください」。イマームは、言います。「神は目に見えないが、信仰心で神を見ているのだ」。イマームはこの言葉の中で私たちに思考の道を開き、これによって私たちを神の認識に導いています。預言者たちが人類を崇拝に呼びかけた唯一神は、実際に目には見えないですが、その意志や力は世界中に現れています。自然の現象はその全知全能の神の存在を表すものなのです。

 

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