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2015/04/15(水曜) 23:28

家庭における親の位置づけと権利(2)

家庭における親の位置づけと権利(2)

今回も前回の続きとして、家庭における両親の権利と位置づけについて考えていくことにいたしましょう。


今回はまず、皆様にコーランのある節をご紹介することにいたしましょう。コーラン第17章、アル・イスラー章「夜の旅」、第23節と24節には、次のように述べられています。
"あなたの主は、次のように命じられた。彼以外に何者をも崇拝してはならない。また、両親に親切に振舞うがよい。もし両親、或いはそのいずれかが、老齢に達した時には、たとえ僅かであっても彼らに侮辱的な言葉を使ったり、声を荒げてはならず、穏やかで慎重な言葉遣いで話しなさい。そして敬愛を込め、両親に対し謙虚に優しく接し、「神よ、彼らが幼い頃のわたしを育ててくれたように、2人に恩恵を与えよ」と祈るがよい"
コーランのこの節では、子どもが両親に対して礼儀正しく敬意ある態度で接するよう述べています。コーランは、支援や尊敬を必要とする年齢に達している、老齢の親について触れ、彼らに対し決して侮辱的な言葉を発してはならないと述べています。老年期の親は他人の助けなしに、自分の力で動いたり、立ち上がったりできなくなる可能性もあります。このような場合、子どもたちにとっての大きな試練が始まります。つまり、その時には、このような老いた親の存在を恩恵の源であるとするか、それとも苦痛と感じるのか。そして彼らに敬意を払いつつ、忍耐力をもって彼らの世話ができるか、それともとげのある侮辱的な言葉で彼らの心を傷つけ、親を苦しめるのかが試されるのです。
コーランはまた、年老いた両親に、わずかの不快感や嫌悪を表す言葉も、決して使ってはならないとしています。さらに、彼らに対し大声で罵倒してはならず、穏やかな話し方をすべきであるとし、これらの忠告は最終的に、言葉遣いの上で礼儀正しくあるよう伝えているのです。また、神は両親に対し謙虚な態度で接するよう命じており、こうした謙虚さが優しさや愛情を示していると述べています。そして、神は最後に、神に語りかける際には、親が健在であっても、亡くなっていても彼らを忘れることなく、彼らに慈しみを降り注ぐよう神に求めるべきであるとしています。これは即ち、理由を述べて自分の願いを示し、自分が幼い頃に両親が自分を育ててくれたように、彼らに恩恵を与えるよう、神に頼むことを意味します。
この解釈が用いられることで重要なのは、両親がどれほど年老いて、体の機能が衰え、自分の力では動けなくなったときには、自分が幼い時にはこのような状態にあり、彼らが自分に対するあらゆる支援や愛情を惜しまなかったことを忘れてはならない、ということです。このため、コーランは両親に対し敬意に欠けた言葉を一言も発してはならないとしています。

また、この節はシーア派6代目イマーム・サーデグの伝承において次のように解釈されています。
「神は子どもたちに対し、最小の侮蔑的な言葉以下の表現も発してはならないとした」
両親の状態を気遣い、彼らの満足を得ることは非常に重要です。確かに、イスラムでは聖なる戦いが最も重要な事柄の1つとされてはいますが、これは絶対的に必要なものではなくありません。即ち、聖なる戦いは自発的な行為のみで十分であり、両親に孝行することのほうが大切であって、両親の不快感の原因となる場合は認められません。これについて、次のような伝承があります。
ある男が、イスラムの預言者ムハンマドのもとにやってきて、自分は鍛え抜かれた若者であり、聖戦に行きたいが、母親がこのことで悲しんでいると述べました。預言者ムハンマドは、この男に対し次のように述べています。「母親の下に帰り、彼女のそばにいてやるがよい。私を現世に遣わした神に誓って、例え一晩でも母親と親しく過ごせば、それは神の道において1年間聖戦を行なうことよりもよい」
もっとも、イスラム国家が危険にさらされ、国の防衛に全員が参加する必要がある場合には、弁解や言い訳は一切許されません。

イスラムでは、両親が怒りや嫌悪を感じないよう注意することが強く奨励されています。これについて、イスラムの預言者ムハンマドは次のように述べています。「両親の怒りを買い、勘当されることを恐れるがよい。なぜなら、天国の香りは500年の距離からも漂ってくるが、親の怒りに触れた者にそれが届くことはないからである』 この言葉は、このような人が天国に入れないだけでなく、天国には決してそれに近づけないという微妙な点に触れています。
また、次のような伝承も存在しています。預言者ムハンマドの時代に、ある男が自分の母親を背中におぶって、メッカのカアバ神殿の周りを回り、母親が神殿の周りを回るのを助けていました。この時、彼は預言者ムハンマドの姿を見つけ、次のように尋ねました。「私は、こうすることで、母親の恩に報いたことになるのでしょうか?」
預言者ムハンマドは、こう答えました。「いいえ、あなたを生む時に母親が痛みに苦しんだうめき声の一声にも報いていない」
さらに、次のような伝承もあります。ある人が、預言者ムハンマドのもとにやってきて、子どもに対する父親の権利について尋ねました。預言者ムハンマドは、次のように答えました。「父親を名前で呼んではならず、お父さんと呼びなさい。また、父親よりも先に歩いてはならず、また父親より先に座ってはならない。また、人々があなたの父親を悪く言う原因になるようなことをしてはならない」
もっとも、時には両親がイスラムに反し、理不尽な要求をしてくる場合も考えられ、この場合には彼らに従う必要はありません。しかし、このような場合にも、彼らに論理的に接し、善行を勧め、最もよい形で彼らの要求を断るべきだとされています。

次に、イスラムの視点から見た、家庭内における高齢者や、老いることについて見ていきたいと思います。イスラムが注目しているのは、老年期の特徴、この年齢期に必要となるものへの注目、そして家庭における高齢者の位置づけです。
私達の周りにも老年期を迎えた人々が沢山見られます。彼らは、人生の冬の時期を迎え、白髪となり、長年にわたって多くの思い出を抱いてきた世代を代表しています。私達は、この世代の人々や、彼らの経験を強く必要としており、彼らに対する敬意を維持すべきなのです。
年を重ねることは、全ての人間が出来ることではありません。一部の人は、自分は他人の世話になるほど年をとりたくないと願っています。また、中には少しでも長く生きられるよう神に祈り、長寿は神からの恩恵だと考える人もいます。老いることは、人間の一生のうちの重要な部分を占めており、これは人間として完成する段階と見なすことができます。幼少期、青少年期、中年期を経て、人間には老年期がやってきます。世界の多くの国では、65歳以上の人々が高齢者と見なされています。
人間は、人生において様々な段階を経験します。その最終段階が老年期であり、この段階で様々な経験をつむことになります。老年期は、これらの経験が蓄積された時期であり、それ以前の段階をよい形で過ごしてきた人にとっては、心理学者が提唱した成長のモデルにそった形で、高潔な精神的需要が実現される時期となります。心理学者は、生涯を通して生活上必要としているものの一部が満たされなければ、老年期に入ってから社会的にバランスの取れた行動は期待できない、としています。

高齢者が様々な問題を抱えることは、ごく当然なプロセスです。なぜなら、彼らは時間の経過と共に体力や記憶力が衰えてくるからです。このため、一生のうちで老年期ほど問題や心配事の多い時期はないと思われます。ですから、高齢者は健康な状態で過ごすために、周りの環境に馴染む必要があります。老年期は、非常に重要な時期であり、長い年月を過ごした後に、それまでの人生で得たものを活用する時期なのです。このため、老年期は人生の終わりではなく、喜びと威信に溢れた、人生の極みの時期とも言えます。ですから、老年期を決して、病気に苦しみ、何も出来なくなる時期と見なしてはならないのです。
加齢と共に、人間の体には自然に多くの変化が現れますが、一部の事柄を守ることで、かなり多くの問題を防ぐことが可能です。老年期における生活様式は、健康や適度の運動、バランスの取れた食事に注目する必要があります。さらに、家庭や社会のイベントに積極的に参加することで、喜びと健康に恵まれた老年期を過ごすことができるのです。

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