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2015/05/12(火曜) 16:47

人づきあいの位置づけ(3)

人づきあいの位置づけ(3)

これまで数回にわたり、人付き合いについてお話し、訪問しあう事、特に困難に遭遇した際の家族や親戚、友人との関係作りなどの重要性について説明いたしました。さらに、家族や社会における個人的、全体的な効果についてもお話しました。


さて、ここでパーティーに行ったり、開いたりすることの必要性に関して指摘し、イスラムの教えにおけるこの素晴らしい習慣について見て行くことにいたしましょう。

客をもてなす習慣は、はるか昔から色々な民族の間に存在してきました。イスラムも、この素晴らしい伝統を認め、強調しています。それは、この習慣により快適で親密な生活になるからです。もてなし好きであることは常に、あらゆる信条や考え方を持つ人々の間でよい性質とされてきました。個人や社会が持つ倫理上の美徳という話題となれば、普通はまずこのもてなし好きな性質が挙げられます。
親切で誠実なイランの人々も、もてなし好きであることで知られています。イランの人々の間には、「来客が日々の糧を運んでくる」という、有名な言い伝えがありますが、これはイスラムの伝承からとられたものです。また、イスラムの預言者ムハンマドの伝承・ハディースにも、「客人が日々の糧を授けてくれる」と記されています。
来客は、神からの恩恵であり、客をもてなすことも人間に与えられる恩恵です。預言者ムハンマドは、後継者シーア派初代イマーム・アリーに対する遺言の中で、次のように述べています。
「近隣の人々とよい関係を持ち、客を丁重にもてなすことである」
また、次のような言い伝えもあります。ある時、イマーム・アリーは悲しみに沈んでいたとき、ある人から「なぜそんなに悲しんでいるのか」と聞かれました。これに対し、イマーム・アリーは次のように答えたのです。「もう1週間もの間、私の家に客が全く来てくれないのです」
イスラム文化では、来客は神からの贈り物であり、日々の糧を増やし、神からの罪の赦しを受けられる要因とされています。
これについて、預言者ムハンマドの伝承の中に次のようなものがあります。ある時、預言者ムハンマドが次のように述べました。「神がある人々によいことをしようと考えたとき、彼らには尊い贈り物が送られる」 ここで、ある人が、「それは、どんな贈り物でしょうか?」と尋ねました。預言者ムハンマドは、こう答えました。「それは、客である。来客は、もてなす側の日々の糧を増やし、その家庭の罪を自らと共に運び去り、その罪が赦されるようにしてくれるのである」
イスラムは、正しい付き合いによる社会的な結びつきを強調しています。これについて、シーア派6代目イマーム・サーデグは次のように述べています。
「人々と交流しなさい。人々の集まりの場に参加し、何かの折に彼らを助けるがよい。決して、社会から距離を置いて孤立してはならず、常に社会との交流の中で神の命を実行せよ。それは、コーラン第2章、アル・バガラ章「雌牛」、第83節に次のように述べられている通りである。"人々に良い言葉で話し、親切に接しなさい"」

イスラムの伝承では、次のことが強調されています。それは、大きな家を持っていることや、金銭的に恵まれているといった神の恩恵への感謝は、他人に施しをし、パーティーの場を設け、恵まれない人を助けることを意味し、それを行わない場合、富や財産、名声が問題の原因となるということです。客人の集まりの場で、イスラムのしきたりやマナーが守られれば、招かれた人々は迷惑や苦労の原因にならないのみならず、恩恵や喜びのもとになるのです。それではここで、パーティーのマナーについてみていくことにいたしましょう。
イスラムで最も美しい行動のマナーとされているのは、他人に会った時に挨拶をすることです。神の名前の一つは、平安を意味するサラームという名称です。他人に会った時に挨拶をすることは、相手の平穏を願うことを意味します。この習慣は、家の中に入るときにも守るべきだとされ、個人の家に足を踏み入れるときにも挨拶をすることが奨励されています。例えば、イマーム・サーデグは次のように述べています。
「あなた方のうち誰かが、自分の家に入るとき、そこに誰かがいれば必ず挨拶をすべきである。もし、誰もいなければ、神から私達に平安が送られるますように、という言葉を唱えるがよい。コーラン第24章、アン・ヌール章「み光」、第61節では、次のように述べている。 "これは、神からの聖なる清らかな祝福と挨拶の言葉である"」
パーティーや人と会う時の、もう1つの好ましいマナーとは、感じのよく接することです。預言者ムハンマドは、ある伝承において次のように述べています。
「預言者たちとその教友の特質とは、互いに顔を合わせた時に常に晴れやかな表情であること、握手をすることである。神のために、他人に会いに行く人は、相手から大切にされる」

このため、預言者が指示したような形で人々と交流することは、常によいマナーが伴っていなければなりません。社会における共感や愛あるつながりは、まさにこうしたよい対応から生じます。また、相手を訪問する側のマナーの1つは、もてなす側の迷惑にならないようにすることです。訪問する側は、限られた時間の中でそこに招かれていることに注意しなければなりません。このため、訪問先での長居は控えるべきです。
これについて、イマーム・サーデグは次のように述べています。「あなた方うちの誰も、罪となる行いに引き込まれるために、訪問客として兄弟の家に入ってはならない」 ここで、ある人がイマーム・サーデグに対し、「どのようにして、罪となるのでしょうか?」 イマームは答えました。「それは、もてなす側に、客をもてなすための何かがないような時である」
パーティーに参加するマナーの1つは、相手側から招待されて参加することです。コーラン第33章、アル・アハザーブ章「連盟」、第53節には、次のように述べられています。
"招かれてから、中に入りなさい"
これは、お呼ばれや訪問のマナーの1つであり、これを守ることで招待者への敬意を示すことになる他、招く側とその家族に迷惑をかけることになりません。
イスラムの伝承によれば、予告なしの訪問は好ましくないとされています。このため、相手には訪問を事前に知らせるべきであり、また予告なしに訪問して相手側に受け入れの用意が出来ていなかった場合には、そこで不快になることなくすみやかに帰るべきです。それは、訪問客を受け入れるためには然るべき準備が必要であり、人間はいつでも訪問客を受け入れる用意が出来ているわけではないからです。さらに、倫理的な面からは、招待されていない人を客として連れて行くことは許されていません。
主催者側が守るべきマナーの一つは、招待客に対する接待が長引かないようにすると同時に、最高のもてなしをすることです。さらに、招待客に感じよく対応し、彼らがどんなものを食べたいかを聞いてみることです。もし可能であれば、彼らが好むものを用意し、出来ない場合にはお詫びをすることです。
招いた側が守るべきもう1つのマナーは、招待客と対面したときに感じのよい表情で応対することです。また、お客様が帰っていくときにも、招いた側は玄関口まで彼らを見送り、より親密感となるようにすべきです。

パーティーを開催するときに奨励されるもう1つの事柄は、招く側が浪費を控えるということです。中には、客のために必要以上に出費し、自分のみならず家族にまで迷惑をかけている人がいます。預言者ムハンマドは、これについて次のように述べています。「客をもてなすのに、自分の能力以上のことをしてはならない」
明らかに、このような方法は問題を伴います。たとえば、自分の経済力以上に金銭を使った場合、自分や家族に経済的な損害をもたらし、またその損害を補うために家族に迷惑をかけることになります。接待の場でバランスが保たれなければ、浪費となりますが、こうした事例の多くは他人に自分をよく見せたいという見栄によるものです。こうした問題により、もてなしの場は神からは好まれないものとなります。もてなしや接待の場は、神のために、また空腹な人を満たし、或いは宗教上の仲間を喜ばせ、親戚や友人関係を強化するものとなる時に初めて、価値あるものとなるのです。

 

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