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2015/05/17(日曜) 20:35

イランの児童・青少年映画(1)、フルーゼシュ監督

イランの児童・青少年映画(1)、フルーゼシュ監督

今回は、イランの青少年向けの映画の監督の一人、イブラヒーム・フルーゼシュ氏についてお話しましょう。

 

イブラヒーム・フルーゼシュ氏は、イランの児童・青少年映画の分野で長年に渡って活躍してきた監督、及び、脚本家の一人です。彼は40年以上も、青少年向けの映画を制作してきました。フルーゼシュ氏をよく知る人たちは、彼を、児童・青少年映画の発展に尽力してきた、穏やかで賢い人物だとしています。彼は農村の独自の雰囲気に大きな関心を持ち、その作品の中で、農村地域の人々の生活や彼らの物語を描こうとした監督の一人です。

イブラヒーム・フルーゼシュ氏は、今から73年前にテヘランに生まれました。30歳のときに芸術大学の監督学科を卒業し、青少年思想育成協会・映画研究所の責任者となりました。そこでの彼の7年間の活動は、この研究所にとって、最も実りの多い時期となりました。この間、イランの優れた映画監督がこの研究所に集まり、およそ70本の短編・長編映画が制作されました。実際、イブラヒーム・フルーゼシュ氏は、イランの児童・青少年映画の先駆者であり、"青少年映画"という枠組みがまだ存在しなかった時代に、彼は青少年思想育成協会の運営によって、映画監督たちをひきつけると共に、脚本の執筆によって、青少年向けの映画の強化に努めました。

イブラヒーム・フルーゼシュ氏の最初の作品は、1972年、イラン南東部の都市バムの歴史的な遺跡、バムの城塞に関するドキュメンタリー映画でした。その後、脚本執筆の分野で活動を始め、イランの優れたアニメーション映画の監督である、アリー・アクバル・サーデギー氏の作品の脚本を手がけました。この映画は、制作から40年が経った今も優れた作品とされており、ストーリー、脚本、製作方法の点で、非常に優れた作品の一つとなっています。イランの文化遺産や民族的アイデンティティといった問題が、子供にも分かるような簡単な言葉で描かれていること、それがこの作品の優れた特徴のひとつです。

イブラヒーム・フルーゼシュ氏は、1979年のイスラム革命後、より真剣に映画制作に取り組みました。子供たちの独立を求める精神について描いた映画、「私は私自身」や、人形映画の制作について描いたドキュメンタリー映画、「視線」は、彼の革命後の作品です。

フルーゼシュ氏は、1986年、「鍵」というタイトルの最初の長編映画の制作を演出しました。この映画のストーリーは非常にシンプルです。母親が、幼い2人の子供を家に置いて買い物に出かけてしまいます。上の息子は、弟の面倒を見る中で、様々な問題に直面します。近所の人が、彼らの危うい状況に気づきますが、誰も扉を開けることができません。なぜなら、家の鍵は、子供たちの手の届かないところに置かれていたからです。

映画「鍵」は、子供たちのことを描いているものの、象徴的な内容が含まれているため、革命後の作品の中でも、最も社会的で重要な映画となっています。この映画は、感情に溢れており、心の動きがつぶさに描かれ、シンプルなストーリーながらも、ドラマティックな構造を持つ作品の一例となっています。

1992年、フルーゼシュ氏は、1992年、フーシャング・モラーディ・ケルマーニーの物語をもとに、「大きな壷」という映画を制作しました。イランの映画評論家の多くは、この映画を、フルーゼシュ氏の最高傑作のひとつと見なしています。

映画「大きな壷」は、寂れた場所にある農村の学校の物語です。そこで唯一の水を手に入れる手段は、ひびの入った大きな壷でした。教師は生徒たちに、その修理に協力するよう求めますが、様々な解決法を試してみるものの、どれもうまくいかず、ついに村の老婆が、村の人々から金を集め、町から別の壷を持ってきます。

映画「大きな壷」は、生き生きとした感情に溢れた映画であり、砂漠に住む人々の生活環境を描いています。この映画では、水のない荒涼とした土地での壷のシンボル的な価値が明らかにされています。これは実際、人間のニーズを物語っており、フルーゼシュ監督は、独自の撮影法によって、その雰囲気をかもし出すことに成功しています。

フルーゼシュ監督は、この作品の後、イスラム暦モハッラム月の伝統的な追悼儀式について描いたドキュメンタリー映画、「ナツメヤシ」や「石油の子供たち」など、数々の短編・長編映画を制作しました。この他にも、ホマーユーン、海、愛すべきとき、最初の岩、無秩序といった作品があります。この映画監督の作品は、これまで、数々の映画祭に出品され、国際映画祭では30個、国内でも数十個の賞を受賞しています。

フルーゼシュ氏は、物語の映画化、脚色に特別な注目を寄せていることを示しています。彼は常に、キユーマルス・プールアフマド氏と共に、イランの作家、フーシャング・モラーディ・ケルマーニーの物語の脚色を映画界に取り入れた最初の人物でした。ここで、この作家について簡単にご紹介しましょう。

フーシャング・モラーディ・ケルマーニー氏は、1944年、イラン南東部ケルマーン近郊にあるスィールチに生まれました。彼の名声は、児童書の執筆によります。モラーディ・ケルマーニー氏は、若い頃、メディアで物語を発表することで作家活動を始め、後に児童・青少年向けの物語を書き始めました。彼は1974年に、自分の少年時代の実際の生活をもとにした、「マジードの物語」を執筆しました。マジードは、優しい祖母と一緒に暮らす少年であり、様々な出来事を経験します。彼の作品は、ヒンディー語、アラビア語、英語、ドイツ語、スペイン語、オランダ語、フランス語など、様々な言語に翻訳され、国際アンデルセン賞など、数多くの賞を受賞しました。

モラーディ・ケルマーニー氏の作品の特徴のひとつは、人々の日常を描き、人々の間で使われている言葉で文章を書いていることであり、あらゆる階層、年齢の読者をひきつけています。また、ことわざや大衆の風俗習慣が取り入れられていること、韻文と散文が織り交ぜられ、詩的な情緒に溢れること、子供の純粋な空想が含まれていること、これらが、フーシャング・モラーディ・ケルマーニー氏の作品の特徴です。さらに、彼の作品は、風刺的で文章が簡潔であることにより、別の言語に翻訳されても、原文の魅力が、ほぼそのままに保たれています。

フーシャング・モラーディ・ケルマーニー氏は、おそらく、映画化されるほど優れた物語を記したイランで唯一の作家ではないかと思われます。テレビドラマ、「マジードの物語」は、革命後、イランで最も人気のあったドラマの一つでした。イブラヒーム・フルーゼシュ監督の映画、「恥」、「翌朝」、「パン」、「詩」などは、モラーディ・ケルマーニー氏の物語をもとに制作されました。また、モハンマド・アリー・ターレビー監督の「長靴」、「チクタク」、「米の袋」の3本の映画の脚本、マルズィーエ・ブルーマンド監督の「甘いジャム」は、このモラーディ・ケルマーニー氏の書いた児童向けの物語をもとに制作されています。

ダーリユーシュ・メフルジューイー監督が、モラーディ・ケルマーニー氏の「お母さんの客」という物語を映画化したことで、この作家の物語の映画化に新たな扉が開かれました。この映画は、児童映画ではありませんでしたが、彼の他の作品と同じように、風刺的な雰囲気に溢れ、子供の純粋さが描かれています。この映画は、評論家から高く評価され、多くの観客を集めました。この作品の後、「1本の木」や「イヤリング」といった映画作品が、モラーディ・ケルマーニー氏の物語をもとに映画化されました。

多くの映画監督が、モラーディ・ケルマーニー氏に注目した最大の理由は、彼自身の次のような考え方にあると言えます。彼はこのように語っています。「物語を書くとき、それが映画化されたらどのようになるかを考え、実際の物語を映像の形で想像する。そのため、私の物語をもとに制作された映画は、どれもすばらしいものになっている」
彼は児童文学の分野で自身が成功した理由について、次のように語っています。「子供の頃の性質が、私の中にはまだ残っている気がします。私は子供がそのまま大人になったようなもので、年齢を重ねるにつれて、子供のような性質が強まっています。子供らしさを失う人は、魂も失い、死んでいくのです」

 

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