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2015/05/19(火曜) 20:53

社会の人々との交流

社会の人々との交流

前回は、お呼ばれとおもてなしのマナーについてお話いたしました。今回は、家庭や親戚の周辺の交流の範囲を超えて、私たちの意思にかかわりなく関係してくる社会集団や近隣の人々を含めた、社会の人々との交流についてお話することにいたしましょう。

 

まず、本題に入る前に、社会的な交流の重要性と必要性についてお話いたしましょう。社会的な交流の意味は、家族関係や近所の関係、同じ町や国、宗教などの範囲を超えた、1人の人間としての他人との付き合いを指します。言い換えれば、人間は人類の一員として、他人に対し倫理上特定の責務を負っていることになります。イスラムは、こうした交流を強調し、これに関するイスラム教徒の生活様式や、人間関係全体の枠組みを定めています。今回は、社会的な付き合いの原則をめぐるイスラムの教えについてみていくことにしましょう。

私たちの周りには必ず、他人との付き合いを避ける人々がいます。こうした人々は、孤独な生活を望み、そうする理由も存在します。例えば、彼らが考える人付き合いを避けることの利点の1つとして、悩み事なしに落ち着いた精神状態で神との対話である礼拝に集中でき、他人の誹謗中傷や誤解、疑い、悪意などを受けずに済むことが挙げられます。しかし、こうした考えとは逆に、他人との建設的な関係や交流は、人間の最も重要で基本的な精神面でのニーズであるといわなければなりません。
人間は本質的に、社会生活を好み、普通の状況においても一人で生きていくことはできません。人間は、社会の中でこそ存続でき、生活レベルを向上させることができるのです。人間は、出生時のみならず、その後の人生のすべての段階において他人を必要としています。また、他人との交流の中でこそ、自分についてよく知り、自分のできることと出来ないことを判別して、自分を正しく現実的に捉えられるようになるのです。
ここで、次のことについて考えてみてください。犯罪者にとって、独房に収監されることが最も耐え難い刑罰であるのは何故なのでしょうか?それは、独房に入れられることで、他人との会話や交流が制限されるからに他なりません。独房に収監された囚人が、他人から隔離されることで味わう苦しみは、食べ物や衣服を与えられないことによる苦しみよりも、遥かに耐え難いものなのです。
他人との関係が、特別な位置づけや重要性を持つもう1つの理由は、人付き合いによりその人の倫理的な長所や欠点が現れるということです。社会生活や人付き合いにより、公正さ、善意、自己献身、寛大さ、誠実さ、貞節さといったその人の倫理的な美徳が明らかになります。さらに、他人の権利の蹂躙、他人への不当な支配、利己主義、傲慢さ、裏切り、うそをつく癖、陰口、妬み、他人のものを横取りする性質といった好ましくない要素も、人付き合いの中で現れます。もっとも、こうした悪い性質とは断固として戦い、美徳を広めなければなりません。また、他人の経験を活用することも、人々との交流なしには得られないものです。

イスラムの教えに視点を投じてみると、社会的な付き合いに関して次のことが分かります。それは、全ての人と完全な形で交流することは奨励されていないと共に、禁じられてもいないということです。人付き合いの全てが本質的に好ましいものとは言えず、付き合いの良し悪しはその目的や、それがもたらす影響によって決まります。
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人付き合いの最も重要な目的は、宗教的な倫理を広めて、倫理的な美徳を他人から学びとり、自分を教育することで進歩することです。このため、人付き合いにより罪となる行動をとり、幸福や導きという本筋から逸脱したり、またはこれに反対する場合には、そうした付き合いは本来の目的に反するため、差し控えるべきです。逆に、誰かと付き合うことで神に近づき、信仰心や宗教面が強化されるなら、その付き合いは維持し発展する必要があります。このため、イスラムは社会的な付き合いに関して特定の様式を提示しています。
イスラムは、あらゆる種類のお付き合いを奨励してはおらず、中には害悪となるものもあるとして、そうした付き合いを止めるよう求めています。これについて、イスラムの預言者ムハンマドは、教友の1人であるアブーザル・ガッファーリーに対し、次のように述べています。
「善良な人間との付き合いは、孤独や孤立よりよいが、そうでない人間と付き合うなら一人でいた方がより良い」

付き合いの1つに、出身地が同じである人々との付き合いがあります。私たちは、出身地が同じ人々とは特別な付き合いを持つものであり、それは別の土地の生まれの人々との付き合いにはないものです。私たちは、自分と同じような人や、自分と出身地や宗教が同じ人の中から、一部の人を友人に選び、より親密な関係を築きます。このことから、私たちには倫理上特別な責務が課されます。この種の付き合いは、その人の人格に非常に大きな影響を及ぼすことから、イスラムやその指導者、倫理学者に注目されており、イスラムの多くの伝承もこのことに触れています。
一部の伝承では、ある人の道徳や信仰を知るための1つの手段は、その人の交友関係を調べることだとしています。さらに、ある人の人格を判断する上で第1の判断材料となるのは、その人の交友関係です。イランの偉大な詩人サアディは、これについて非常に興味深い詩を残しており、次のように述べています。
「先ず、あなたが誰と付き合っているかを述べるがよい。そうすれば、私はあなたがどういう人であり、何を考えているかを当てよう」

明らかに、悪い友人との付き合いは、無意識のうちに、また否応なしに人間を悪い方向へと引き込みます。基本的に、自分が付き合う友人の特徴は、間接的に自分にも伝わります。これについて、シーア派初代イマーム・アリーは次のように述べています。
「悪意を抱く人間とは付き合わないようにしなさい。なぜなら、あなたの気づかないうちに、あなたの性質が彼らの性質の影響を受けるからである」
彼はまた、教友に宛てた書簡の中で、友人の選び方について次のように述べています。
「意思が弱く、行動が好ましくない人との付き合いを避けなさい。そのような人は、全ての人を自分の友人と見なすものである」
イスラムが社会的な付き合いについて強調している原則の1つは、自分が他人からされて嫌だと思うことを、他人にしないようにする、ということです。
ある日、遊牧民のアラブ人が預言者ムハンマドのところにやって来て、次のように述べました。「どのようなことすれば天国にいけるのか、お教えください」 預言者ムハンマドは、彼がいつも自分のところに来て指示を仰ぐことができない状態にあることを考慮し、倫理的な価値観に基づいた行動を示さなければなりませんでした。つまり、天国に入れる人の行動の基準を示す必要があったのです。そこで、預言者ムハンマドは次のように答えました。
「あなたが、他人からこうしてもらいたいと思ったことを、他人にも実行するがよい。逆に、自分が他人からされて嫌だと思ったことは、他人にもしてはならない」

イマーム・アリーが自分の子どもに宛てた書簡の一部には、次のように述べられています。
「自分と他人を同じように考えなさい。即ち、自分が他人からしてもらたいことを他人にも行い、自分が不快感を感じることは、他人にとっても不愉快であると考えるがよい。自分が抑圧を好まないならば、他人を抑圧してはならない。また、他人から自分によくしてもらいたいならば、あなたも他人によくしてやるがよい。即ち、自分にこうして欲しいと期待することを、他人に対して行いなさい。そして、自分の聞きたくない言葉を、他人に聞いてもらいたいと考えてはならない」

 

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