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2015/05/24(日曜) 18:50

モハンマド・ビン・ダギーギー

モハンマド・ビン・ダギーギー

西暦の10世紀にあたるイスラム暦4世紀は、イランの文学が最高の繁栄を見せた時代とされています。多くの研究者や思想家は、これほど多くの偉大な詩人が存在していた時代は他にほとんどないと考えています。ほとんどの詩人や多くの作品は、10世紀に属しています。その中で最も優れた人物に、ダギーギー・トゥースィーがいます。


モハンマド・ビン・ダギーギーは、サーマーン朝時代の優れた詩人です。彼が生まれた年ははっきりとは語られていませんが、10世紀前半から半ばごろにかけて、イラン東部のトゥース、或いは現在のアフガニスタンのバルフ、トルクメニスタンのマルヴのいずれかの町に生まれた可能性が高いとされています。研究者は、ダギーギーが若いころから詩作を始め、若くして召使に殺害されたと考えています。彼は詩を書き始めたころには韻文や抒情詩を詠み、晩年に『王書』の執筆をはじめ、それを完成させることができないまま死去したと思われます。
ゴシュタースプの書として知られるダギーギーの王書は、イランの王の一人、ゴシュタースプについて書かれた本です。ダギーギーのこの本が、イランの国民的な英雄伝の中で最も面白いもののひとつとされており、また、彼の短い生涯が謎に包まれていることから、イラン文学史における彼の人物像は特別な魅力あるものとなっています。このため、一部の研究者は、ペルシャ語の一種であるダリー語の詩の始まりについて話す際には、ダギーギーについて触れないわけにはいかないほどなのです。
ダギーギーの韻文や抒情詩、詩の断片は、歴史書、文学書、伝記の中に残されており、これらすべては彼が詩人とし卓越していたことを示しています。しかし、ダギーギーの最も重要な著作は、先にあげた「ゴシュタースプの書」で、これはゾロアスター教の開祖であるゾロアスターの出現や、ゴシュタースプとアルジャースプの宗教戦争について描かれていますが、ダギーギーは1000行を記したのみでした。『王書』の著者として知られるフェルドゥースィーは、この1000行を自身の『王書』に残し、これをダギーギーの作であると記してから、実際その続きを詠んだのです。
研究者や文学者によると、ダギーギーの詩集も存在しましたが、時代の経過と共に失われたとされ、現存するのはごく僅かのみです。証拠資料によりますと、11世紀の詩人アミール・ホスローの時代までは、ダギーギーの詩集が存在していたということです。しかし現在、いくつかの抒情詩やこの詩集の一部が残っています。
ダギーギーは詩の中ではシンプルかつ流麗な表現を用いており、簡素で飾り気がないという特性は、彼が名声を博した性質のひとつとみなされています。彼の比喩表現は単純であり、簡単にイメージができます。これら全ての特性により、ダギーギーの詩は理想的な特質を有しています。ダギーギーは自分の思想や信条を語るのに、頌詩と抒情詩という方法を選んでいます。彼のわずかに残っている頌詩は、詩人のパトロンに関する賞賛や誇張、自然に関する記述表現を含んでいます。彼の抒情詩もシンプルで流麗な表現を持っていました。しかし、一部の評論家によれば、ダギーギーの詩はシンプルではあるものの、その全てが流麗でメロディアスだというわけではなく、それは彼の若さや未熟さの象徴だと考えています。
ダギーギーの詩集で現存する詩からは、彼が抒情詩でも頌詩でも、当時一般に使われていた文学的な技法に従っていなかったことが分かります。彼の詩には、技巧派の文学者からは欠陥とみなされる例が数多く存在しているのです。また、彼の詩からは、短い生涯を喜びの中ですごしていたことも伺えます。彼はずっと旅をしており、様々な場所を渡り歩き、総督や為政者の頌詩を詠んで生活していたのです。
研究者や思想家によると、ダギーギーがホラーサーンに滞在していた時代は、詩が繁栄していた時代でもあり、古代の伝統が再興していた時代でもありました。この時代、多くの詩人が過去の文化的な栄誉や作品を再生しようとしており、ペルシャ語詩はルーダキーやシャヒード・バルヒーなどの作品によって、優れた構造と特性を持つようになり、更なる繁栄を遂げました。なぜならこの時代、多くの詩人は、アラビア語詩の慣習のかわりに、忘れられた伝統と過去の遺産をすえようとしており、ダギーギーはそうした詩人の一人だったからです。
ダギーギーは短い生涯の晩年から、『王書』を詠みはじめたため、彼が作ることのできたこの作品の詩はわずか1000行に留まっています。この中では、ゴシュタースプの物語、ゾロアスターの出現、ゴシュタースプとアルジャースプの長きにわたる宗教戦争などが語られています。ダギーギーの死により、彼の『王書』は未完のまま終わり、もしフェルドゥースィーが生まれていなかったら、この1000行も、彼の詩集の一部も歴史から消え去っていたでしょう。なぜなら、フェルドゥースィーはダギーギーの『王書』の1000行を加筆や削除、変更を加えることなく、自身の『王書』の中でのまま伝えたからです。
フェルドゥースィーがダギーギーの1000行を完全な形で活用したのは、ダギーギーがフェルドゥースィーの夢の中で、ゴシュタースプの書を自身の『王書』に挿入するよう要請したからだとしています。フェルドゥースィーは夢から覚めた後、この約束を実行しました。つまり、ゴシュタースプの物語に入ったところで、語りがダギーギーに任されるのです。この1000行は、実際、イランの人々の古代の世界において、国民的な叙事詩と宗教的な叙事詩が結びつくことになった転換点なのです。
研究者や思想家は、ダギーギーとフェルドゥースィーの叙事詩が大きく違った要因とは、詩人としての作風や表現において、フェルドゥースィーの叙事詩の雄弁さや格調の高さにあると考えています。そのほか、この2つの叙事詩が大きく違う理由として、研究者はダギーギーの詩ではロスタムという英雄の存在を際立たせていないことを挙げています。このため、ダギーギーの『王書』は、伝説の歴史の中で、それにふさわしい名声を獲得しておらず、やや評価が低くなっています。しかし、ダギーギーの1000行すべても、『王書』の一部であり、研究する価値があります。
ダギーギーの『ゴシュタースプの書』は次のように始まります。
ロホラースプは王位をゴシュタースプに譲るとき、王冠と王座を渡し、バルフに赴き、苦行者のように行動し、祈りをささげるようになりました。新たな王となったゴシュタースプは国土の繁栄に努め、人々を、公明正大な神の宗教を信じるよう勧め、自身も正義と公正に基づいて行動しました。この時代、ゴシュタースプから貢物を受け取っていた中国の王アルジャースプ以外、すべての王はゴシュタースプに貢物を送りました。ゾロアスター教の開祖ゾロアスターが世に現れたことで、ゴシュタースプは彼の宗教、即ちゾロアスター教を信じるようになり、自らの領土にこの宗教を広めました。アルジャースプはこのことを知り、彼を滅ぼそうとしました。なぜなら、アルジャースプはゴシュタースプが新しい宗教に改宗したことで、中国に攻め込み、この宗教を広めようとすると考えたからです。そこでアルジャースプは彼を誘惑し、忠告を与えるため、彼に手紙を送り、多くの贈り物を届けましたが、ゴシュタースプがこれに動じることはありませんでした。このため、ゴシュタースプとアルジャースプの間で激しい戦争が勃発しました。この中で多くのトルコ人が殺害され、アルジャースプは敗走しました。
ダギーギーの『ゴシュタースプの書』は、ここで終わり、2回目の戦争はフェルドゥースィーによって記されました。

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