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2015/05/25(月曜) 18:50

お付き合いでのイスラム的なマナーと原則

お付き合いでのイスラム的なマナーと原則

前回は、社交の重要性と必要性についてお話しました。人間はそもそも、社会的な存在であり、他人との付き合いから多くのことを学び取っています。また、人間の存続は、社会生活にかかっています。


さらに、社会生活の中では公明正大さや他人に尽くすこと、自己献身といったよい行いが身につくのみならず、他人への抑圧、人権蹂躙、利己主義、うぬぼれ、うそをつくといった卑劣な行動を避けようとする心構えが育まれます。今回は、お付き合いでのイスラム的なマナーと原則についてお話することにいたしましょう。

イスラムで強調されているお付き合いの原則の1つは、他人と折り合い柔和であること、言い換えれば他人に感じよく振舞うことです。イスラムは常に、他人に柔和で穏やかに接するよう求めており、荒々しい乱暴な振る舞いを禁じています。イスラムの聖典コーランは、預言者ムハンマドを称賛すると共に、人間として相応しい、彼の善良な性格にも触れています。
他人に明るい表情で接することは、社交において優しさが生まれ言葉遣いにも驚くべき影響を及ぼす、最も典型的な性質の1つです。このため、慈愛溢れる神は人々によりよい影響を与え、神の方向にひきつけるために、穏やかで柔和な人物を自らの預言者に選びました。これらの偉人たちは、穏やかに明るい表情で人々に接したことから、真理を求める人々を陶酔させ、清らかな導きを授けたのみならず、時には神に反対する人々の心持をも変化させ、恥じ入らせたこともありました。
これらの美徳を完全に証明しているのが、預言者ムハンマドの存在です。実に多くの人々が預言者ムハンマドを敵対、侮辱し、虐めようとして彼のところにやって来た例は数多くありますが、いざムハンマドの下にやってくると、彼らは預言者に嫌がらせをしなかったのみならず、完全な親しみをもってイスラムを受け入れ、その後預言者ムハンマドは彼らにとって最も親しみのある人物となったのです。
明らかに、人間は誰でも本質的に他人と折り合い、優しさや穏やかさを好むものです。このため、神の僕である他の人々への敵対心にまみれた人は、現世での物欲や利己主義、ひねくれた考え方に侵されて、人間としての本質から遠ざかっていることになります。神を愛するための必要条件は、神の創造物に愛情を注ぐことであり、神の創造物を愛するために必要なことは、彼らと折り合うことです。こうしたことはさておき、柔和であり人々と折り合うことは、社会生活の最も重要な原則となっています。
他人に無愛想で感じの悪い応対をすることで、一部の人が真実から逸脱する可能性があります。このため、イスラムの教えでは他人を正しい道にいざなう場合、さらには邪道にそれた人々や他人を抑圧する人々に対してであっても折り合い、穏やかに接することが奨励されています。神は、フィルアウンのような圧制者のもとに、預言者ムーサーとハールーンを遣わす場合にも、相手と辛抱強く穏やかに接するよう命じています。それは、最も強情でひねくれた人々をも、正しい道に引き戻せるのは、穏やかさと忍耐でしかないからです。神は、コーラン第20章、ターハー章「ターハー」、第43節と44節において、預言者ムーサーとハールーンに対し次のように述べています。 "あなた方両人は、圧制者フィルアウンの元に赴くがよい。誠に、彼は反逆者である。だが、あなた方が穏やかな話し方をすれば、彼は訓戒を受け入れるか、或いは神の責め苦を恐れるであろう"

シーア派初代イマーム・アリーは、息子の1人であるムハンマド・ブン・ハナフィーエに対し次のように述べています。
「知っておくがよい。神への信仰心の次に、知性の最も優れた証とされるのは、他人に譲歩することである。私は、人々の生活の手段であり、それによって人々の社交を形作っている全ての要素を、ある器に例える。その器の3分の2は感じのよい応対であり、残りの3分の1は他人の悪いところを黙って見逃す寛大さである」
明らかに、明るい表情で他人とうまく折り合うことにより、人々の親切心を誘い、彼らとの友情が促進されます。このため、誰もが性格の良い人と付き合いたいと考えるのは、ごく当然だといえるでしょう。
もっとも、イスラムの見解では、社交の場において愛想よく穏やかに振舞うべきだとされてはいますが、それは決して、抑圧や人権蹂躙、裏切りといった他人の卑劣な行いに対してもにこやかに黙っていて、否定的な反応を示さないという意味ではありません。明らかに、社会では好ましくない行動に対し、否定的な反応を示す必要があります。それはこうした場合、宗教や倫理的、人間的な価値観の蹂躙という問題が提起されており、結果的に個人や社会の健康的な状態が脅かされているからです。

全体として言えることは、イスラムの伝承にもあるように、社交の場において他人に対し寛容で感じよく応対することで、交友関係が深まり、引いては社会が繁栄し寿命が延びるとともに、日々の糧も増えることになります。これについて、シーア派6代目イマーム・サーデグは次のように述べています。
「人間は、性格がよくなれば、その人の人生行路もより平坦になる」

社交の場でのもう1つの重要なマナーや原則として、他人の尊厳や生命、財産を尊重することが挙げられます。イスラムでは、特別な法律が定めらており、これに違反した場合には法的に訴追され、その人に対する宗教的な制裁が科されます。
イスラムでは、人間の生命は母親の胎内に宿った時から手厚く守られ、他人の生命を危険にさらす人は強く叱責されます。これについて、コーラン第5章、アル・マーイダ章「食卓」第32節には、次のように述べられています。
"他人を殺めたり、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したも同然である。人の生命を救う者は、全人類の生命を救ったものと見なされる"
さらに、人々の生命と同様に財産も大切なものとされています。このため、イスラムの教えでは他人の命を守ることと同様に、他人の財産も大切にすることが定められています。これについて、預言者ムハンマドは、イスラムの重要な祝祭の1つである犠牲祭での人々の集まりの場において、次のように述べています。
「誠に、互いに対するあなた方の命と財産の尊厳を守ることは、イスラム暦におけるメッカ巡礼の月のこの日に、このメッカの地を訪れることと同様に重要である。あなた方はこの行いを、創造主なる神にまみえ、自分の行動について問いただされる最後の審判の日まで続けるがよい」
他人の財産を大切にすることには、預かり物を保管することや、持ち主への断りなしに他人のものを使用しないこと、他人に賃金や借金を支払うことなどが含まれます。これらのことが定められているのは、他人の所有物が壊されたり、他人が殺されたりすることなく、また人々の間に敵がい心や争いが広まることで社会の機能が停止されない為です。また、人々が互いのニーズを満たすために安心して自らの持ち物を他人に預けられるようにするためでもあります。

また、社会的な付き合いにおいては、他人の面目を守ることも非常に注目されています。これについては、他人の面目を保つこと、もう1つはこれを擁護するという2つの責務があります。これは、宗教上の兄弟の不足や欠点を覆い隠すというもので、他人の面目を守るために最も重要なことです。このため、人間の表に出ているものと裏に隠されているものの全てを見通している神は、人間の欠陥を明るみに出すことはありません。ですから、何らかの欠陥を有する人間にとって、他人のあら捜しをしたり、陰口や噂をしたり、他人の欠点や失敗を暴露してその人の悪い評判を広めることは決して許されないのです。
さらに、他人の表面的な欠陥をついて嘲笑することや、他人が無意識に犯した過ちを理由に、即に公衆の面前でその人を叱責したり、見下すことはその人に対する名誉毀損と見なされます。宗教上の兄弟姉妹の威信や面目を毀損するあらゆる言動は、イスラムでは非難されており、イマーム・サーデグはこれについて次のように述べています。
「他人の面目を失わせたり、恥をかかせる目的で発言したり、他人を人前にさらすような人間を、神はその庇護の下から追放し、悪魔の支配する領域へと放置する。だが、そのような人は、悪魔からも受け入れられない」

最後に、次のような伝承をご紹介しましょう。ある男が、預言者ムハンマドの下で他人の悪口を言いました。ちょうどこの時、別の人物が割って入り、悪口を言われている人をかばったのです。預言者ムハンマドはそこで、次のように述べました。
「宗教上の兄弟の名誉が毀損されないよう擁護する人は、地獄の炎から守られる」
このため、全てのイスラム教徒は社会的な付き合いにおいて自分の出来る範囲で、宗教上の兄弟の威信や面目が傷つけられないように努力する責務があるのです。

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