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2015/07/13(月曜) 23:56

近隣の人々と仲良く暮らすための習慣

近隣の人々と仲良く暮らすための習慣

今週は、近隣の人々と仲良く暮らすための習慣や倫理についてお話することにいたしましょう。


今日、人口が増加したことから、人々の物理的な交流は密接になっています。このことは、特に都市部で数多くの結果を生み出しており、プラスの点、そして正しい管理の欠如によるマイナスの点から、様々な問題が生じています。このため、集団生活を整え、ほかの集団とともに生活を円滑に継けられるような法律や決まりを定める必要があります。

人口の増加がもたらした結果の1つは、都市部のアパートでの生活が広まり、近隣の人々との交流に関しての独特な様式が生まれたことです。こうした交流形態は、時には日々、数多くのぶつかり合いを引き起こし、一部の場合には衝突や迷惑行為に至ることもあります。このため、少々のことには我慢しなければ、特に大都会での生活は非常に苦痛なものとなります。近所の人々が、好むと好まざるとに関わらず、難しい形で近所づきあいを行っています。このため、近所の問題は、倫理的な必要事項を守る一方で、法的な事柄をも守る必要があるのです。

イスラムでは、近所づきあいが非常に重視されており、コーランでは神を崇めること、両親や親戚と仲良くすることに加えて、近隣の人々の権利を尊重することも奨励されています。これについて、コーラン第4章、アン・ニサーア章「婦人」、第36節には次のように述べられています。
"創造主なる神に仕えるがよい。神以外のものを、神として崇めてはならない。また、父と母、近親者、親のいない子ども、貧しい人々、ごく近しい人々、少々遠くの隣人にも親切にするがよい" この節で触れられていることの1つは、自分の近しい人々や少々遠くの隣人に親切にすることです。
この節で言う、近隣の人々や、少々遠くの隣人がどのような人を指すのかについては、様々な解釈が提示されています。一部の見解では、近隣であることとは、地理的、場所的に近いことと考えられており、それはより近くにいる隣人のほうがより多くの権利を持ち、大切にされることによります。普通、近隣といえば地理的に近いことを指します。しかし、コーランはイスラムで言う近隣という概念をさらに拡大しており、ごく近隣の人々、そして少々遠くの隣人という説明を加えると共に、地理的に近いのみならず、信条や宗教などが同じである周りの人々も隣人に含まれるとしています。しかし、ここで注目すべきことは、自分の近くにいる周りの人々がより優先されるということです。

近隣の人々の権利は、非常に重要であり、宗教上の同胞に対する以上に、近隣の人々に対し親切を尽くすことが奨励されています。シーア派4代目イマーム・サッジャードは、近隣の人々の権利の一部として、次のように述べています。
「隣人に対してするべきことは、彼らのいないところで彼らの面目を守り、彼らの前で敬意を示すことである。もし、彼らが不当な扱いを受けたならば、彼らを支援すべきであり、あら探しをしてはならない。もし、隣人に悪いところを見つけたならば、それを覆い隠すがよい。もし、あなたの忠告を受け入れると分かっているなら、隠れて忠告するがよい。隣人を決して、厳しく突き放すことなく、彼らの失敗を見逃し、罪を赦すことで、彼らと寛大に付き合うがよい」

イスラムの預言者ムハンマドも、近隣の人々の権利に関して、次のように述べています。
「もし、隣人から助けを求められたら、助けてやり、金を貸してほしいと求められたら、貸してやるがよい。彼らが何かを必要とするようになったら、その必要を満たしてやり、不幸に見舞われたら、いたわるべきである。隣人に何か良いことがあったなら、祝辞を述べ、病気になったら見舞いに行くがよい。もし、隣人がこの世を去ったならば、葬儀に参加し、風除けになるためにあなたの住まいをその人の住まいより低いところに造りなさい。もっとも、亡くなった人がそうしなくでも良いと遺言した場合は別である」
イスラムの預言者ムハンマドはさらに、近隣の人々に対する金銭的な支援の必要性についても、次のように述べています。
「夜、隣人が空腹の状態にありながら、自分は満腹して寝るような人間は、信仰していないことになる」 また、シーア派7代目イマーム・カーゼムは、近隣の人々とよい関係を築くことについて、次のように述べています。「よき隣人であることは、隣人に迷惑をかけないことではなく、隣人の迷惑な行為に耐えることである」

実際、私たちは社会的な決まりごとや法律という視点からではなく、親切心や友情から隣人を考慮する必要があります。この場合、よい隣人とは仮に近所の誰かに迷惑をかけられても、自分はそれに対して同じような行動をとらず、親切心や自己献身の精神をもって、彼らの行動に目をつぶり、耐える人を指します。言い換えれば、自分の近隣の人から冷たい反応を受けたとしても、それに耐えることが望ましいということです。もし、何らかの反応を示さなければならなくなった時には、明るい表情と穏やかな口調で、相手の過失を指摘し、それによって相手を責めるのではなく、相手の改善を促すべきなのです。
預言者ムハンマドは、隣人に迷惑をかけることを神への敵対や、神から遠ざかることの要因と見なしており、隣人の苦痛の原因となる人は地獄行きであるとして、次のように述べています。
「隣人に迷惑をかける人は天国には入れない」
また、預言者ムハンマドの別の伝承には、彼がある日に3回、次のように述べたとされています。「『私は、神に誓って、ある人たちには信仰心が持てない』 人々は、次のように尋ねた。『それは、どのような人々でしょうか?』 預言者はこう述べた。『隣人に対して、守られないような形で迷惑をかけている人々である』」

預言者ムハンマドとその一門の伝承では、隣人に対する親切が強調され、その恩恵が指摘されています。その例として、都市の繁栄や経済の発展、人々の寿命が延びることが挙げられます。それは、協力的で礼儀正しい善良な隣人は、苦しいときに互いに助け合い、自分の周りの人々を貧困や経済難に陥らせないようにするためです。一方で、経済的な懸念がなくなることは、精神的な安定が生まれる要因となり、それは寿命が延びることにつながります。
互いに折り合わない近隣の人々の間に起こる緊張や軋轢は、双方の心理状態に強い悪影響を与え、身体的、精神的な病気の原因となり、人間の寿命を縮めます。当然、神は近隣同士で互いに仲良くしている人々を憐れみ、かれらに恩恵を降り注ぎます。このため、シーア派6代目イマーム・サーデグは、よい隣人を持つことの恩恵と効果について、次のように述べています。
「隣人とのよい関係は、都市や町を繁栄させ、人々の命を伸ばす」
さらに、預言者ムハンマドも、次のように述べています。
「人づきあいや、性格のよさ、よい近所関係は、都市を繁栄させ、人間の寿命を延ばす」

隣人に親切にすることによるもう1つの効果は、神に愛されるということです。隣人に親切にする人は、神とその預言者からの愛情が得られますが、それは親切な振る舞いや善い行動が神の性質の1つであり、神は神に近い性質を備えた人を愛されるからです。このため、預言者ムハンマドは、神と自分自身に愛されるようにするため、隣人に親切にし、善い行動を施すよう提案しています。この点について、預言者ムハンマドは次のように述べています。
「神とその預言者に愛されたいならば、正しく語り自らの隣人に親切にするがよい」

複数の伝承では、特に自分の近親者や隣人に対する善良な言動を心がけることが、永遠の楽園に入り、永遠に幸福になるための最良の手段とされています。預言者ムハンマドは、特に隣人をはじめとする一部の人々への善良な行動を心がけることの効果について、次のように述べています。
「自分の性格をよいものにし、自分の隣人に親切にしなさい。そして自分の妻を大切にするがよい。そうすれば、無条件に天国に入ることができるのである」

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