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2015/07/21(火曜) 17:50

イスラムの生活様式における経済活動

イスラムの生活様式における経済活動

前回は、富や財産の重要性と、生産活動におけるそれらの活用についてお話しました。今回は、イスラム的な生活様式における消費のあり方の重要性とその位置づけについてお話することにいたしましょう。

 

「経済」とは、アラビア語でイクティサードと呼ばれ、この言葉は元々中庸であることを意味します。このため、イスラム経済は、消費の管理、そして家庭や社会の業務も含まれます。イスラム経済の教えの重要な部分は、消費やその管理のあり方にも関係しています。コーランでは、神の恩恵を活用することが奨励されていますが、これは人間の進歩と発展のための正しい消費の基盤を作ることが目的です。神は、コーランの中で富や財産を、僕たちに与えた恩恵、そして彼らが感謝の気持ちを持つための下地であるとし、第2章、アル・バガラ章「雌牛」第172節において、次のように述べています。

“信仰心に目覚めた者よ、我があなた方に糧として与えた清らかなものを食べなさい。そして、神に感謝するがよい。もし、あなたがたが本当に、神を崇めるのであれば”

イスラムでは、消費に対する倫理的、宗教的な価値観や原則が、生活様式における消費モデルを認識する上で決定的な役割を果たしています。確かに、人間1人1人や、文化的、経済的な条件、時間と場所に注目すると、消費モデルはそれぞれ異なりますが、それら全てに共通する全体的な原則を守ることは可能です。今回は、こうした原則の一部についてお話することにいたしましょう。

 

イスラムの教えにおける消費の原則の1つは、浪費を慎むことです。浪費とは、元々バランスのある範囲を超えることを意味しています。浪費に関する宗教的な教えに注目すると、浪費が違法であることに疑いの余地はありません。勿論、浪費という言葉には、複数の意味が含まれますが、その最も明瞭な意味は、物質的な無駄遣いです。神がコーランの中で浪費を慎むよう強調していることから、イスラム的な生活様式にとって健全で正しい消費のモデルを提示することが、いかに重要であるかが分かります。浪費による好ましくない影響の代表的な例は、富が無駄になり、物質的な可能性や資本が失われてしまうことです。

神は、コーランの多くの節において、浪費を避けることについて触れています。例えば、コーラン第6章、アル・アンアーム章「家畜」、第141節には次のように述べられています。“実が熟したときには、その庭園の果物を食べるがよい。使うときには、その使用料を支払いなさい。そして、浪費してはならない。誠に、神は浪費する人々を愛されない”

宗教的な見方による消費には、一定の限度があり、これを守ることは人間の個人的、集団的な成長を促進します。この限度量が増えたり減ったりすると、確実に生活のシステムに弊害が生じます。このため、イスラムでは中庸を守ることが強く奨励されているのです。さらに、浪費は社会的なレベルでも重大な損害をもたらします。特に収入が少なく可能性が小さい社会においては、その直接的な影響により貧困や恵まれない状態となります。このため、イスラムの預言者ムハンマドは次のように述べています。

「神は、物を浪費する人を貧困に陥れる」

 

浪費により、他人の権利をも侵害することになります。イスラム経済の原則によれば、地上に存在する物的な可能性や資本は全ての人々のものであり、全ての人々は常識的なニーズの範囲内でそれらを活用する権利があります。このため、無駄遣いをする人は事実上、他人の可能性を消費し、他人のものを消失していることになります。これについて、預言者ムハンマドは次のように述べています。

「飲食するがよい。衣服を着て寄付を行なうがよい。だが浪費してはならない。私の共同体の中で最悪の人々は、快楽主義に溺れた裕福な人々であり、彼らは浪費家である」

シーア派初代イマーム・アリーは、次のように述べています。

「無駄遣いをする人には、3つの特徴がある。1つは、自分が得たものでないものを食べる人、次に、自分のものでないものを買う人、そして自分が得たものでない者を身につける人である」 

また、シーア派6代目イマーム・サーデグは次のように述べています。

「浪費とは、富に腐敗をもたらし、体に害を与えるものである。体にとって有益なものは、浪費ではない。均衡ある中庸な状態から外れることが浪費である。無駄遣いをしてはならない。神は浪費する人々を愛されない」

また、シーア派8代目イマーム・レザーも、次のように述べています。

「家族にかかる費用において、浪費してはならない。神は浪費を好まれず、本当の意味で敬虔な人々とは、寄付をする際にも無駄遣いをしない人であると語っている」

 

無駄遣いとは逆に奨励され、イスラム的な生活様式における消費のモデルの原則となっているのは、中庸の原則です。この原則は、宗教の教えにおいても強調されており、人間の本能や常識もこれを認めています。人間のニーズが多様である一方で、物的な可能性や財産の多くには限りがあります。一部の人々が限度を超えて浪費すれば、他の人々がそれを使えなくなります。このため、他人の権利を守ることで消費においても中庸を守ることになるのです。

中庸な消費は、経済に秩序をもたらし、出費を抑える上で適切な効果があると共に、結果として貧困や成長の停滞を防ぎます。これについて、シーア派初代イマーム・アリーは次のように述べています。

「中庸は、物質的な成長を与える」 

又、預言者ムハンマドは中庸を守ることの重要性について、次のように述べています。

「生活を営む上で中庸を守る人に対し、神は日々の糧を与えてくださるが、浪費する人からは奪い去る」

コーランの節や宗教的な伝承の多くは、人間の本当の安らぎや幸せは、無制限な消費によってではなく、他人に依存する必要のない状態により得られることを強調しています。人間は、自らを現世へのしがらみから解放すれば、より楽に生活ができ、大量に消費すれば満たされるというものではありません。イスラムでは、人間の幸せに十分に注目してはいますが、人間に神や来世の存在を忘れさせてしまうような消費志向は否定されています。このため、イスラム的な生活様式で注目されている事柄の1つは、欲望や過剰な消費を避けることです。イマーム・アリーは、欲望がもたらす結果について次のように述べています。「現世に貪欲な人は滅びる」

消費のモデルが目指している原則の1つは、満足することです。イマーム・アリーは、安らぎが得られる最も健全な経済的生活とは、現状に不満を抱かないことであるとし、次のように述べています。

「最も素晴らしい生活とは、満足する生活である」

満足するということは、足るを知ることを意味します。これは、物質的な豊かさや富と共に、生活を心地よいものにする要素の1つであり、欲望や貪欲から生じる腐敗を抑え、経済的な損害が生じるのを防ぎます。これについて、イスラムの預言者ムハンマドは次のように述べています。

「私の共同体のうちで最高の人々とは、足ることを知る人々であり、最も悪い人々とは強欲な人々である」

イスラムの偉人により伝えられている伝承によれば、恩恵や満ち足りた状態、安らぎはイスラム的な生活様式の中で満足した結果の一部だとしています。これについて、イマーム・アリーは次のように述べています。

「本当に必要な分だけで満足する人は、平穏と安らぎを得ている。神から、足るを知るという心を与えられた人こそ、最も素晴らしい生活をしている人々である」

 

消費のあり方に影響を及ぼす最も重要な原則の1つは、社会の中で資本を正しく循環させ、富の停滞を避けることです。神はコーラン第9章、タウバ章「悔悟」、第34節と35節において、資本を独占することを強く否定しており、これらを神の責め苦の原因とみなしています。また、預言者ムハンマドは次のように述べています。

「神は、恩恵の効果が、僕たちに現れているところを見るのを望まれる」 

また、預言者ムハンマドは次のように述べています。

「物惜しみし、自らの富を善良な人々に使わせないようにする人々がいれば、神はその人の富を強制的に、善良な人に与える」

イマーム・アリーも次のように述べています。

「後退、成長の遅れの原因の1つは、富裕な人々による物惜しみである」 

このため、富や資本を溜め込んで滞らせ、生産や消費に利用しないことは社会の発展に悪影響を及ぼします。消費における無駄遣いが否定されていることと同様に、自らの収入や資本を消費せずに滞らせたままにすることはできません。資本や収入のある人は、宗教法に従って、自らの富や財産を正しく活用する義務があるのです。

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