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2015/08/02(日曜) 19:42

アボルヘイル(4)

アボルヘイル(4)

これまで繰り返しお話したように、アボルヘイルは10世紀から11世紀にかけて活動したイランの偉大な神秘主義哲学者であり、イラン北東部から中央アジアを含むホラーサーン地方のミーハナ村で生まれ、多くの師の教えを受け、生まれ故郷で81歳で死去しました。研究者は、アボルヘイルをイラン初の神秘主義詩人で、サナーイーやアッタールなどのイランの神秘主義詩人の先人だとしています。また、アボルヘイルに関する書籍としては、『神の唯一性の秘密』、『アブーサイード言行録』、『アブーサイードのマカーマート』の3つが現在まで残っていることについても、お話してきました。


神秘主義の道とは、真理に至る道です。その道とは、世界や人間と真理のつながりを発見し、その真理を内面的な欲求と発見により理解します。この段階に至るためには、特定の行為を実践しなければなりません。この思想では、学術のみでは十分ではなく、重要なのは実践です。神秘主義的な目覚めに至るためには、一連の段階を経る必要があります。このため、神秘主義は、実践と理論の2つに分けられます。
実践的な神秘主義思想とは、現世や物質的な生活から脱却して、唯一神を本当の意味で理解するという目標のため、綿密で困難な計画を実行する教えです。一方、理論的な神秘主義思想とは、偉大な神秘主義哲学者が認識に基づいて、世界や人間の真理の解釈を集めたものです。
神秘主義者は、神に従うこととは、自由な状態にあることだとしています。この自由とは、物質的な世界と、物質的な世界への執着心という2つのものから解放された状態を意味します。アボルヘイルは、「神に従うことはどういうことか」と尋ねた托鉢僧に対して、「神は、あなたを自由な存在として創造した。だから、あなたは自由であるべきだ」と答えました。これに対し、この托鉢僧は、「神に従うことについて質問しているのですが」と語ります。すると、アボルヘイルは「物質的な世界と、それに対する執着心から解放され、自由にならなければ、神に従うことはできない」と語りました。
神秘主義者が自由にすべてのものをひとつと見る理由は、まさにこの自由にあります。この自由は、人間が物質的な世界や、それに対する執着心の世界から切り離されるときまで、完全なものとはなりません。過去の思想家によりますと、アボルヘイルは神秘主義者の語る自由について、明確に説明したということです。
神秘主義思想を専門とするザッリーンクーブ教授は、次のように語っています。「神秘主義は真理の発見において、実証主義者とは逆に、直感や欲求に依拠する有識者による教団である。このイスラム教徒の集団はスーフィーと呼ばれ、さまざまな集団の中でさまざまな段階において、そして時代的、場所的な状況に関連して、さまざまな名前を持っていたが、現在、それらすべては神秘主義と認識されている」
アボルヘイルはハッラージなどのほかの神秘主義者と同様に、愛という性質をもっており、彼は彼以前の神秘主義の思想や形式を、彼の後の世代につなげ、これによりガザーリーやモウラヴィーといったイランの神秘主義者が出現することになりました。キャドキャニー教授は、次のように記しています。「もし、神秘主義者の中から、アボルヘイルとより大きな思想的な関連がある2人の人物を挙げるとすれば、それはバーヤジードとハラガーニーである」
アボルヘイルの教えのひとつは、複数の啓示宗教を全て等しいと見なすことです。アボルヘイルはすべての宗教の信徒と友好的に生活し、神に従う人々すべてを人間とみなし、平等な同胞としていました。キャドキャニー教授は、次のように語っています。「アボルヘイルは世界を神の存在による恩恵とみなしていたため、その存在自体をよいものだとしていた。彼の真の願いは、世界の完全な平和であり、常にひとつの根源を見ており、すべての宗教の本質は同じものだとしていた。彼の思想によれば、すべての宗教の信者は、神を崇拝していたが、一方でイスラム教がより完全な宗教だった。アボルヘイルは実際、神という唯一の真理を信仰しており、特定の教団や宗教という枠組みに囚われていなかった。彼はあらゆる場所が愛の家であり、神の家ではすべての人が共存できると信じていた」
アボルヘイルが生きていた時代、つまり、11世紀前半はホラーサーン地域の神秘主義にとって最も重要な時代でした。当時は特に、宗教的な狂信や宗教の信者に対する迫害、タクフィール主義や、内外の戦争などといった問題が存在していました。この時代、アボルヘイルは宗教的な狂信を捨て去り、平等思想、慈愛の宗教を社会の中で広め、神の全ての創造物を等しく、友好的に見る思想を弟子たちに教えていました。彼の思想では、全ての宗教や宗派の本来の目的は、唯一神を崇拝することであり、神を崇める手段や言語が異なっているのみであるとされています。
アボルヘイルは、すべての宗教の信者に対して親切に接し、彼らに真理の道を示していました。彼が博愛主義者であり、狂信的でなかったことにより、多くの人々が唯一神信仰という真理の道を選びました。以前アボルヘイルのもとから去ったあるユダヤ人がいましたが、アボルヘイルは彼を追いかけ、挨拶をして、このユダヤ人にある質問をしました。「あなたは、神の存在なくして生きていることができますか?」 こう語ってから、アボルヘイルは立ち去りました。すると、今度はそのユダヤ人がアボルヘイルの後を追い、その後善良なイスラム教徒になったということです。
また、肌の色や人種を無視する、ということも、アボルヘイルの教えのひとつです。神秘主義では、宗派や人種、性別など、分類や差別の理由となるため、すべて否定されました。インドの現代哲学者クリシュナ・ムルティは、ナショナリズムや人種主義は戦争を生みだすとして、そういった思想を避けるよう求めていました。アボルヘイルは自由思想と平等思想により、偏った人種主義の制限を無視していました。彼は肌の色や人種で優劣がきまるということはなく、彼のもとでは、白人も黒人も違いはなく、人間性やよい思想、神に対する信仰やほかの人に対する親切心により、優れた存在になるとしていました。
そのほかのアボルヘイルの教えには、学者や禁欲主義者への批判があります。神秘主義者はこれらの人々が持つ傲慢さにより、彼らを教えに背くものだとしました。神秘主義者ハージェ・イマーム・モザッファルはある日、「アボルヘイル師とわれわれが行ったこととは、は、秤の中の穀物に例えられる。アボルヘイルの行ったことは、そのうちのわずか一粒に過ぎず、残り全てが我々である。アボルヘイルなどは、ごく小さな存在でしかない」と語りました。ある人がこの言葉をアボルヘイルに伝えると、彼は「ハージェ・モザッファルに、『私はその一粒にもならない』と伝えるがよい」と語りました。
アボルヘイルはこの言葉により、自由について語り、自分は、現世の物欲に縛られた人々とは違い、そのような批判にとらわれることはないということを、全ての人々に示しています。彼は彼らの間違いを寛容に見逃すとともに、適切な行動により、自由な道とは何かを弟子たちに教えていました。
アボルヘイルの作品の中で、自由思想について調べると、彼の自由思想は平等な観点、すべての存在に対する愛、嘘や偽り、模倣や惰性に走ることを回避するといった思想に基づいていたということが理解できます。平等な観点により、神秘主義者は誤りに対する寛容さを持つようになります。アボルヘイルは平等思想に注目し、あらゆる事物や人々に対する差別を認めなかったのです。

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