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2015/08/10(月曜) 18:40

イランの社会派映画の歴史(5)

イランの社会派映画の歴史(5)

これまでの番組では、イランの社会派映画について、イランの映画制作者が社会問題をどのように見つめてきたかについてお話してきました。今回も、イランの社会派映画とその特徴についてお話しすることにいたしましょう。

 

実際、1979年のイスラム革命勝利後の、イランにおける社会派映画の状況を見てみると、この種の映画の重要性から生じる数多くの問いに直面します。このため、こうした疑問に回答することで、映画作品を評価する基準を明らかにし、社会の正確な描写を提示する上での彼らの成果をはかることができるでしょう。まず初めに、社会派映画の分析においては、その作品がどのような特徴を持ち、それに対しどのような要求をもつべきかという点を明らかにすべきでしょう。社会問題の提示はそれだけで、一つの社会派映画の最終的な目標になるのでしょうか、それとも、「社会的な批判」と呼ばれるものは、この映画の基本的な要素として注目されるべきなのでしょうか。

これらの問いに答えるためには、少し過去に遡り、1980年代に制作された初期の映画を見てみるとよいでしょう。当時のイランの社会的情勢をある程度反映した革命や戦争映画の他に、イスラム革命後の社会派映画の前衛だったラフマーン・レザーイー監督の『有線』という作品があります。この映画は、ある労働者の貧しく苦しい生活を描いたもので、彼は家を購入するために多くの圧力に耐えています。しかしながら最後には、住宅ローンを払い終わると、橋の上で心臓発作を起こし、死んでしまいます。この苦いラストは、 観客の記憶に強い印象を残すでしょう。映画は、社会の不公正に対する制作者の強い批判を伝えるだけでなく、同情心、また同時に抗議の調子を伴っています。というのも、ラストで、労働者の息子がこの状況を目にし、同じ結末に陥らないよう、別の道を進もうと決意するからです。とはいえ、この映画の調子は、少々スローガンに偏りすぎているように見えますが、作品は、社会学的に検討することのできるある時代の、ある階層の人々の生活を詳細に描いています。

もう一つの例として、アスガル・ハーシェミー監督の『町の覆いの下で』という1989年に制作された映画があり、イランの社会派映画の成功例として挙げられます。若い夫婦が家を借りますが、前の住人が期日になっても家を明け渡しません。二つの家族にそれぞれ問題が生じます。物語の最後、地方から首都に出てきた前の家の住人は、問題を解決することができず、田舎に戻ることになります。『町の覆いの下で』は、大都市への移住の問題、その文化的、経済的な影響を物語っており、物語を通して、この流れの継続に対する制作者の懸念を伝えています。

世界のあらゆる場所で、健全で前向きな手段による批判が受け入れられており、芸術家の敏感な精神や鋭い眼差しは、何よりも、社会問題の伝達や解決を促すものです。映像メディア、とくに映画は影響力のある有力な手段であることから、おそらく他の芸術よりもこの点で進んでおり、社会についてより明らかな映像を示すことができます。一つの事実として、辛く陰鬱な調子やラストは、イランの社会派映画の主な特徴の一つです。とはいえ、問題を語ったり、その解決に注目を引き付けたりすることが自然にこうした調子を引き出しているという点を忘れるべきではないでしょう。病気について語ることはおそらく楽しいことではありませんが、病人やその周囲にとってそれは、健康を取り戻すために必要なものとして重要なことです。また、メスをとり、がん細胞を切り取るという行為は、恐ろしいことかもしれませんが、その利益を考えると、受け入れることができます。このように、社会問題に敏感な芸術家は、陰鬱であるかもしれませんが、もし問題が正しく提示され、論理的な批判を行うのであれば、医者と同じように、病気や混乱を取り除くことができるのです。

社会派映画の特徴として、それが社会全体を映す鏡であるということが挙げられます。社会との関係を多く持っていることが、社会派映画に必要な前提条件であり、時代や場所を特定しない映画は、この種の映画の中には含まれません。例えば、その出来事がどこで起こったのかわからず、地理や歴史に直接言及しない映画は、社会派映画では評価されません。

イスラム革命から30年以上の映画の経験の中で、社会派映画は、個人と社会の関係や社会の現実を正確に描写してきました。これらの映画は、社会の出来事を適切な形で用い、社会の真のモデルに基づいて登場人物の関係を調整することで、相当の興行収入を手にした他、常に専門家たちから高い評価を受けてきました。これに関して幾つかの映画を挙げることができますが、これらは社会情勢に影響を及ぼしただけでなく、イランの映画の内容や技術のレベルを向上させました。

こうした中、1980年代のイランイラク戦争が映画監督の社会への見方に及ぼした影響を無視すべきではないでしょう。8年間続いた戦争は、辛く苦しいもので、それを思い出すことは今も辛いことですが、ときにその時代の状況、人々がイラクや西側の敵とどのように闘っていたかを示すことは、大きな教えを伴うものです。その教えの一つが、社会の行動における宗教的アイデンティティーや宗教の影響力の理解です。こうした見地から、イランの社会派映画の中で提示されている人々の関係は、唯一のものと見なすことができます。例として、アブラヒーム・ハータミーキヤー監督の『キャルへからラインまで』と『ガラスの代理店』は、社会派映画の成功例と見なされています。この種の映画は、戦後の社会の状況を提示するだけなく、聖なる防衛映画のカテゴリーにも含まれ、イラン・イスラムの内容を伴っています。

一方で、社会派映画の中には別の傾向も存在します。その中では、無益かつ無頓着な調子で問題が語られ、制作の目的は、問題を大げさに取り上げることと、世界の一部の芸術的な傾向やスタイルへの追従のみであり、最終的に人々が離れていく原因となりました。こうした制作者たちの明らかな例として、マスウード・キミヤーイーという監督の名を挙げることができます。この監督は、数十年前から、イランの社会派映画の分野で活動を行っていますが、ここ数年、社会問題への見方を変化させ、映画を制作しています。彼はある時期、作品の中で社会問題を見つめ、分析するという強みを持っていましたが、幾つかの作品では、社会問題を真剣に捉えませんでした。これらの映画では、若者の麻薬中毒の問題がぼやけ、ある人物の取るに足らない物語になってしまい、ラストでは、ある人物の死によって、社会問題のすべてに終止符が打たれています。

イランの社会派映画は、ここ十年、構造、内容、物語の形式において変化が生じています。一部の若い新人の制作者は、新たなテクニックを用いて、多くの観客を獲得しようとしています。このような作品の主な特徴として、敏感なテーマの選択と、ビデオカメラなど注目を集める撮影方法の使用が挙げられます。さらに、彼らの一部は、一日、あるいは数時間といった短い間に起こった出来事を扱い、若く活動的な役者を用い、一種の若手社会派映画の基盤を築きました。これらの映画は、一時的には、映画の観客を引き付けることに成功するかもしれませんが、表面的なものに満足し、問題の深い分析や描写から離れるのであれば、間違いなく、模倣や反復に陥り、時の経過と共に忘れ去られ、その名前のみが残ることになるでしょう。

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