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2015/09/02(水曜) 19:49

神の定義

神の定義

これまでの番組では神を知ることの重要性、神の存在を証明する方法についてお話しました。神が世界を生じさせたという事実に行き当たった後、頭に浮かぶのは、神はどのような説明によって知られているのか、どのように定義されるのか、ということです。今回の番組では神の定義についてお話しすることにいたしましょう。

 

神の存在を証明するために、世界の創造主の存在を人間に明らかにする様々な理由が提示されていますが、人間にとって神の性質を理解することは少しばかり難しくなっています。なぜなら、神は永遠の存在であり、果てしない知識と力を持っているからです。こうした中、我々生命の力と知識は広がっている一方で制限があります。制限、終点の存在がどのようにして無制限、果てしない存在を完全に理解し、その本質を探ることができるのでしょうか。例を挙げてみましょう、母親の子宮の中の胎児は、広大な空間の深み、銀河の中に出現することを知っているのでしょうか。こうした出来事をあるがままに理解することができるのでしょうか。確かにこれは不可能です。このため、神の無制限の存在の真実は、人間の制限された理解力の範疇を超えています。なぜならその性質に関して、それを理解できるほど人間の思想、思考の中には一切類似性がないからです。もちろんこれは私たちが神の性質を自分たちの知性の程度で理解することができないという意味ではありません。

もう一つの点は、私たちが自分の人生の中で絶えず物質的な一連の存在に関係しているということです。物質的な存在物は、時間、場所、分離、分割といった特徴に左右されます。すべての物質世界の現象は例外なく、こうした特徴を有していますが、神はわずかたりとも物質的な存在と似た側面を有しておらず、それどころか実際、物質やその特徴を創造しま
す。物質的な存在物は、触ったり感じたりすることができ、場所を必要とします。太陽、木、山、海などのように。しかしながら世界の創造主である神は果てしない存在で、物質ではなく、場所を必要としません。神を見たり聞いたりすることはできないのです。

言い換えれば、神は時間や空間、その他の物質的な性質にとらわれず、物質的な影響から離れています。世界にある物質はすべて、時間や場所に制限され、有限のものなのです。この点で、人生のすべてにおいて絶えず物質的な存在物に結びついている人間はその想像力では絶対的な制限のない存在を感じ取ることができないのです。それゆえ、神の性質の真実を知ることができないのです。シーア派初代イマーム、アリーは、これに関してこのように述べています。
「どんなに努力しても神を見ることはできないし、どんなに深い考えに耽っても神に到達することはできない」

これまでの番組の中でお話したように、世界や世界の存在物の驚くべき秩序は、世界を運営する全知全能の神の存在を明らかに示しています。人間は神の本質を理解することができませんが、知性や神の灯火により、神の一部の性質を知ることができます。

神はコーランの複数の節で、自らについての説明を行っており、人間がその能力の範囲内で神を認識できるようにしています。コーランは神を知る最も重要な源であり、神の特性を伝えるものです。コーランが紹介している神は、高位にある存在であり、人間との緊密な関係を有しており、首の血管よりも近い存在とされています。神は人間の幸福を願い、人間を善の方向に導きます。神はどこにおいても存在し、私たちの行動を見守っています。このためイスラムは信仰を寄せるものに対して英知ある神の前で頭を垂れ、神を崇拝し、何物をもそれと同列に並べないよう求めています。なぜなら誰も神の力に及ぶことはできないからです。

コーランはすべての生命の源である至高なる神を最も崇高で善良な性質であると褒め称えています。コーランの解釈者もコーランの節を例に、神についての特性を挙げています。この世界の現象における研究は人間を神の一部の性質に導いています。私たちは神は全知全能で、こうした偉大な驚くべき生命のすべてを作り出すことのできる力と意志を有していることに気づきます。彼こそは神であり、すべての世界は神の管理のもとにあり、すべての事柄を見守り、すべてを聞き、すべての事柄について知っています。これまでずっと存在し、これからもまた存在し続けるでしょう。これこそが神の性質であり、それは立証の性質と呼ばれています。

その一方で、神はあらゆる点で果てしなく、完全なものであることから、神の中には無知や無能、欠陥、必要性といったものがありません。言い換えれば神は清らかで、不足や欠陥を示すようなすべての性質を免れているということです。神は類似した仲間を持たず、肉体もありません。すべての肉体は制限があり、いつかは消滅します。しかしながら、永遠の存在は肉体を持ちません。肉体は消滅にさらされていますが、こうした性質は神の存在にはありません。そのためこれらを剥奪の性質と呼びます。なぜなら神の性質にはないものだからです。コーラン第17章アルイスラー章、夜の旅、第111節には、神の性質の一部について指摘し、次のように述べています。
「また言え、神を称えよ。子を持たず、統治の中にも仲間を持たず、弱さと屈辱のために支持者を持つこともない。彼の偉大さを称えよ」

神の性質はあらゆる点から無限です。彼が居ない場所はなく、彼が存在しない時代もありません。彼は一切の制限を持ちません。コーラン第2章アルバガラ章、雌牛、第115節にはこのようにあります。
「東にも西にも神はおり、どちらを向いてもそこには神が居る」

聖典コーランは、数多くの節の中で神の性質について触れています。コーラン第59章アル・ハシュル章、集合、第23節から24節には神の性質についてこのように述べられています。
「彼は神であり、彼以外に神はいない。清らかな指導者、どんな欠陥や不備をも有さず、安定を与え、すべてのものを見守り、壊れることがなく、不備を補い、偉大さを備えている。神に並ぶものはない。創造の神、(前例のない)作り手、無類の形体を授ける主である。善き名や性質は彼に属する、天と地にあるものは神を称える、彼は愛すべき、英知あるお方」

神に関する最も基本的で重要な真理は、神が唯一の存在であるということです。イスラム教の原則において、唯一神信仰はこうした重要な事実を示しています。最もよく知られる唯一神信仰の意味は、神の性質の唯一性、他に類似のものが存在しないというものです。唯一神信仰はつまり、唯一の存在である神を信じること、世界は多くの偉大さや美しさを伴って神に創造され、神の命によって運営されています。彼は唯一の神以外の何者でもありません。唯一神信仰の原則の重要性は、他のイスラム教の原則がそれに基づいているためです。このためシーア派初代イマーム、アリーは言い伝えの中で、預言者の言葉として、「唯一神信仰は宗教の半分だ」と語っています。

さらに歴史の中では次のようなことが語られています。ある人が預言者ムハンマドに尋ねました。「宗教の基本とは何か?」 預言者は答えました。「宗教の基本とは神を正しく知ることだ」 するとその人は尋ねました。「神の知識の真理とは何か?」 預言者は答えました。「神と同類のものはない。彼は唯一の神、全能の、最初と最後の、そして表面と内面の創造主であることを知るがいい。これこそ神の知識の真理である」

 

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