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2015/09/16(水曜) 17:45

「神を知ること」(1)

「神を知ること」(1)

前回の番組では、神の性質は無制限であり、私たち人間は限界のある存在であることから、神の性質を本当に知ることができない、ということをお話しました。神は世界の何にも似ておらず、唯一無二の存在であり、人類の思考の範囲内で神の永遠の性質と同様のものはないことから、人間は神の本質を理解することはできません。

さらに、神は尽きることのない存在で、神の中には物質的な特徴はなく、時間も場所も必要としません。その反対に物質世界の存在物はすべて時間や場所に制限があり、物質の特性の影響を受けています。私たちは物質的な生命において常に肉体、時間、場所の限定をともなうことから、当然私たちの能力では無条件の絶対的な存在を想像することができないのです。前回の番組でお話したのはこのようなことです。

ここで、なぜ人間はその理解力で神を理解することができないのかについてお話しましょう。人類の理解の器官は、物事を反対する点を持った場合にのみ理解するように設計されています。このことをよりよく理解するためにいくつかの例を挙げてみましょう。人間は光と暗闇を互いに対するものとして認識しています。もし常に世界中が一様に光に溢れていたとしたら、当然人間は暗闇を知らないでしょう。何よりも重要なのは、光や明るさ自体を知らないことは、つまり世界に光があること、見えているものが光によるものだということを理解できないということになります。私たちは光が薄れ、なくなり、暗くなることでのみ、光を理解しています。光がなくなって暗くなることで、以前は光によってすべてのものや場所が見えていたことを理解し、もしこの光がなくならなければ、私たちはその存在に気づかないでしょう。光はその対称にある暗闇の存在により認識されているのです。

また別の例を挙げてみましょう。無知が存在せず、学問の光のお陰ですべての物事が人類に明らかな世界を想像してみてください。すべてのものが学問の光によって見えることで、無知の意味は理解されないでしょう。さらに学問自体も見逃されてしまうでしょう。学問以外のすべての物事を見て理解し、それに注目を寄せることはなかったでしょう。しかしながら学問に対するものとしての無知が明らかになったとき、人類は学問に注目するのです。またもし常に太陽が出ていて、昼が終わらなければ、あるいは太陽が沈まず、暗くならなければ、人間は夜を正しく理解することができません。なぜならそれを見たことがないからです。またこうした場合、人間は昼の中に浸るため、昼を理解することができません。

またこのような話があります。水から出たことのない、水中以外のものを目にすることのなかった魚が、あるとき、このような考えに至ります。「皆が話題にしていて、生命の源だと言う水とは何で、どこにあるのだろうか?なぜ自分はそれを見たことがないのだろうか?」いくら他の魚に水を見せてくれと言っても、誰も彼にそれを見せてくれません。そしてある日、何かが起こって魚は水から飛び出します。そのときになって彼は水という生命の物質が何であるか、彼の生命においてどれほど大きな役割を負っていたかを理解するのです。

唯一神の性質はコーランによれば、絶対的な光です。この光は暗闇に対するものではありません。神はすべての世界の光であり、天と地の光です。神は何よりも明白で、何よりも私たちに近い存在です。神は沈まない太陽のようなものです。その光はあらゆる場所を照らし、決して沈まないことから、消滅することもありません。暗闇はその対称にはありません。人間の理解や認識の器官は、事象に対するものの助けによって、その事象に注目するよう作られています。このため、至高なる神の性質は理解することができません。神は永遠の存在であり、神の光は沈まず、神の中に変化は生じません。世界に対する神の支配は拡大することも縮小することもなく、言い換えれば世界に神に対するものは存在しません。それゆえ、人間は神を理解することができないのです。

これに関して、賢者は興味深い解釈を行っています。彼らは神は世界のあらゆる場所で少しの不足もなく存在し現れる、そのため神の存在の大きさにより、世界においては姿を隠している、と述べています。神の性質はあらゆる点で無限なのです。神がいない場所はなく、存在しない時間もなく、持っていない才能もないのです。神には一切の制限がありません。

こうした中、神をどのように理解したらよいのでしょうか。私たちは神の本質を理解することはできませんが、対立する点を持つ、時には存在し、時には存在しない創造物によって神を認識することができます。相反する現象、日の出と日没、浮き沈み、といったことです。神もまたコーランの中で、創造された現象によって自らの存在を私たちに理解させています。たとえば夜と昼、日の出と日没、生と死、人間であれ動植物であれ多種多様の創造物によって。コーラン第35章ファーテル章創造者第13節には次のようにあります。
「彼は夜を昼の中に沈め、昼を夜に没入させる。(一方を減らし、他方を増やす)」

明け方、太陽の金色の光が山や平原を照らし、昼になると太陽の光の照りが最高潮に達し、日が沈むころには太陽の光は薄れ、やがて夜の闇が完全にあたりを包みます。さらに、コーラン第15章ヒジュル章ヒジル第23節にはこのようにあります。
「生かし、死なせるのは我々であり、(全世界の)相続人は我々である」
この方法により、神は人間に、創造物について熟考し、神に近づき、神を知るよう呼びかけています。このため、神の創造物について考えることは重要な崇拝行為とされています。シーア派初代イマーム、アリーはこのように述べています。
「至高なる神が創造された芸術について考えるほど優れた崇拝行為はない」
またイマームサーデグはこのように述べています。
「最も素晴らしい崇拝行為とは至高なる神とその力について考え続けることだ」

神の性質を理解する上で、もっとも重要な真理は、神の唯一性です。唯一神信仰はイスラム教の原則の一つとして説明されています。唯一神の意味するところは、神の性質は唯一のもので、いかなる同種、同類のものも存在しないということです。トウヒードとは唯一の神を信仰すること、その神は全知全能で、美しく偉大な世界を創造し、運営しているのです。

こうした神の唯一性を証言することはイスラムの信条の中心にあり、こうした真実を語るのは、「アッラー以外に神はなし」という文句です。これはイスラム教徒になるために語る最初の言葉です。唯一神信仰の原則はイスラム教だけでなく、ほかの神の啓示を伴う宗教においても存在します。コーラン第21章アルアンビアー章預言者、第25節にはこのことが触れられています。
「我々はあなたの前にも、預言者を遣わし、私以外に神はいない、私だけを崇拝せよという啓示を下した」

 

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