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2015/10/19(月曜) 18:56

若年期の自己形成と自負心

若年期の自己形成と自負心

若年期は人生の春です。それは、運命を決定する貴重な春であり、多くの成長やつぼみの開花が、この時期に起こります。若年期とは、輝き、神への礼拝、自己形成、闘争、神の道における努力、建設、習得、責任の受け入れの時期であり、様々な能力やふさわしさが明らかになります。そのため、若者には、その様々な能力や大きな財産を、人間としての美徳や気高い性格を身につけるために利用することが期待されます。

 

人類の歴史が示しているように、あらゆる国の成長は、その土地の若者たちにかかっています。なぜなら、若年期は、個人的、社会的な責任を受け入れ、その後にすべきことを受け入れる段階に入る時期だからです。この時期、人間は、宗教的、社会的な義務を遂行するために、必要な成長を遂げ、この機会を自己形成のために利用し、自らの責任を果たすことが求められます。イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、若者たちに向けて次のように語っています。

「あなた方若者たちは、今日、重大な責務があなた方にかかっていることを知るべきである。その責務とは自己を形成することである。学術的、思想的な面での自己形成、肉体的な面での自己形成、道徳的な改革、宗教的な知識や行動の面での自己形成、これらはすべての人、特に若者たちの義務であり、その資格を手に入れるべきである」

若者の自分に対する第一の責務は、自分自身を正しく知ることです。自分をあるがままの形で認識し、どのような存在であり、どのような恩恵に授かっているのかを理解することです。なぜなら、若者は、自分自身を正しく知り、秘められた能力や可能性を知ることで、自らの価値を理解し、貴重な存在であることを知ることができるからです。また、自分の能力を知ることは、若者が正しく計画を立てる土台を整え、将来のために適切な決断を下すことができるようになります。また正しい計画を立てることで、自分の能力を活用し、人生の様々な場面で、大きく発展することが可能になります。

このように、自分を知ることは、最も重要な責務であり、コーランの節や伝承の中でも、そのことが繰り返し強調されています。コーラン第5章アル・マーイダ章食卓、第105節には次のようにあります。エ「信仰を寄せた者たちよ。自らのことを気にかけなさい」
自分への配慮とは、非常に広い意味を持っており、自分を知ることも、その中に含まれます。つまり、若者は自らを知り、自分のことを気に掛ける必要があります。なぜなら、自分を知り、自分の価値を理解しない限り、自分のことを気にかけようとはしないからです。そのため、自分を知ることは、自己形成や自分への配慮の土台として、必要なことなのです。

自分を知ること、本当の自分を理解すること、若者が能力として持っている持っているものを知ることは、その人の生き方を決める上で大きな役割を果たします。若者は誰でも、どのような能力を秘めているのか、どのような特徴を持っているのかを知る必要があります。そうすれば、それらを活用することにより、現世と来世での最高の生を得ることができるのです。肉体的な能力、熟考する力、独創力や革新を生み出す力は、若者に特有のもので、他の年代に優ります。若者が、自分の現実を完全に知りえたなら、自負心と自信が生まれ、それは、個人的、社会的な発展と成長を遂げる上で、様々な活動の源になるでしょう。

若者の自分に対する重要な責務の一つは、自負心を得ることです。自分は多くの能力を持っており、人生の様々な舞台で影響力を発揮することができると信じることです。若者が、自分の持つもの、社会にあるものを完全に知っていれば、自負心を持ち、個人的、社会的に重要な活動を行うことができます。自負心の重要な効果とは、自信と独立の土台を整えることです。

自負心は、若者にとって、その他の多くの特徴の土台となりえます。なぜなら、自負心を持つ若者は、計画的であり、大きな目標を抱き、決断を下し、努力します。そして何かを始めれば、成功します。若者が自分を信じなければ、こうした特徴を持つことはできず、怠惰と無力の中で一生を過ごします。シーア派初代イマーム、アリーは、若者たちを奨励し、次のように語っています。

「困難な仕事に恐れをなしたときには、それが些細なものに見えるまで強い気持ちを保ちなさい。人生の様々な出来事には策略を用いなさい。そうすれば容易なものになるだろう」

明らかに、自分を信じない若者は、何かを始める勇気を持ちません。そのため、若者は、まず、自分の力を、そして社会に存在する可能性を知ることが必要です。その上で、コーランや預言者一門の指導を利用し、個人的、社会的な活動に着手するのです。それを守れば、間違いなく、物質的、精神的な生活において成功を収めることができるでしょう。

若年期は、本能的な欲望が高まる時期でもあります。しかし、若者が本能的な欲望、自然な欲求に支配されてしまえば、暗闇と迷いに陥る恐れがあります。宗教の指導者たちは、自らの人間としての価値や内面の気高さを知る者は、無意味な願望や欲望にとらわれたり、陥ったりすることはないとしています。本能的な欲望に打ち勝ち、穢れを回避することは、時に、内面の力と栄誉や誇りの源になるのです。

ヤズィード・イブン・ムアーヴィヤには、大切にする息子がいました。ヤズィードの息子の教育係には、オマロルマグスースという名前の有能で善良な教師がつけられました。オマロルマグスースは、預言者一門を心から愛する、信仰にあつい男性で、心の中では、ムアーヴィヤとその息子ヤズィードの圧制的な行動を嫌っていました。この教師は、ヤズィードの息子の教育係を務めていた間、あらゆる人間としての原則や信仰を彼に教え、その全身に、コーランの教えの光をともしました。ヤズィードの息子が20歳のとき、父親のヤズィードが亡くなり、人々は彼をその後継者に選びました。ヤズィードの後継者として、広大な国家を治めることは、この若者にとって、その本能的な欲求を満たすための最高の手段でした。しかし、有能な教師は、神への信仰とコーランの教えにより、この若者を、強い意志を持った、気高く独立した人間に育てていたため、栄光に溢れた統治者という大きな地位が、彼の人格を崩すことはなく、本能的な欲求に惑わされることもありませんでした。ヤズィードの息子は、非常に重要な岐路に立たされました。彼は決断を迫られ、2つのうちのどちらかを選ばなければなりませんでした。そしてついに、信仰の力と宗教的な深い教育が、彼のすべての欲望に打ち勝ち、彼は統治者としての地位を捨て、罪に穢れたその地位を、大きな勇気と決然とした態度で拒みました。

自己形成により、若者の精神性が育成されます。聖典コーランは、すべての人間に、心の浄化を呼びかけており、第87章アル・アアラー章至高者、第14節にはこのようにあります。エ「救いは、自らを清めた者にある」
また、第91章シャムス章太陽、第9節には次のようにあります。エ「それを清めた者は誰でも、確かに救われた」

幸福や救済は、コーランによれば、心を清めた者に訪れ、罪に穢れた人間が救われることはありません。若年期は、心の浄化にとって最高の時期であり、若者は誰でも、自分の個人的な能力とコーランの教えや預言者一門の生き方を利用することで、道徳的な穢れを捨て、敬虔さの頂点に向かうことができます。もちろん、自己形成と罪の回避は、すべての人にとって好ましいものですが、特に若者のそれは、より美しいものです。イスラムの預言者ムハンマドは、このように語っています。「罪の悔悟は美しい。特に若者が行うものはより美しい」
若者の精神の美しさは、罪の悔悟と清らかさによって何倍にもなり、若者は、至高なる神に愛される存在となります。

若さは、高い地位に到達するための神からの贈り物です。完成の頂点に達した偉人の多くは、若年期を最大限に活用し、この時代に大きな歩みを遂げました。イランイスラム革命の指導者、ホメイニー師は、自分自身も、若年期を最大限に利用し、また他人に対しても、若年期をよりよく利用することを勧めた人物の一人です。ホメイニー師は、若者たちに次のように勧めています。

「あなた方は、若いうちに何かを行うことができる。若いエネルギーと意志があるうちに、心の欲望、現世への執着、動物的な欲求を遠ざけることができる。だが、若年期に自らの形成と改革について考えなければ、年老いたときにはもう遅い。若いうちに何かをすべきだ。年老いて衰えてからではだめである。若者の心は繊細で清らかであり、堕落した動機は弱い。しかし、年齢があがるにつれ、心の中の罪の根がより強くなり、もはやそれを断つことは不可能になる」

11世紀の文学者、オンソロルマアーリーは、ガーブースナーメという本の中で、息子に対し、若年期に関する教訓を与え、このように語っています。

「息子よ、あなたは好きなだけ、理性に従うことができる。若さを謳歌するなとは言わない。だが、自制する若者であってほしい。自分の忍耐に応じて若さを利用しなさい。年老いてからでは遅いからだ。たとえ若くても、栄光高き神を忘れてはならない。死を免れると考えないように。死は老いも若きも関係がない。息子よ。賢くありなさい。若さに高慢になってはならない。いつでも礼拝を行い、栄光高き神を思い起こしなさい。赦しを求め、死を畏れなさい」

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