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2015/10/19(月曜) 19:15

マスウード・キミヤーイー監督

マスウード・キミヤーイー監督

今回の番組では、過去40年のイランの有名な映画監督をご紹介いたしましょう。この監督は社会を痛烈に批判する作品を制作し、社会派映画のスタイルをとる映画制作者の一人として知られています。今夜は、マスウード・キミヤーイー監督とその作品をご紹介することにいたしましょう。

 

マスウード・キミヤーイーは、イランの映画監督、脚本家で、イランの映画界でよく知られる人物の一人です。彼は1941年、テヘランで生まれました。彼はテヘランで中等教育まで終えると、出版、映画制作、小説の執筆といった文化活動に向かいました。彼はあらゆる映画の技術やテクニックを映画制作者のグループに提示しました。

キミヤーイーは1968年、初めての監督作品を発表しましたが、翌年の『ゲイサル』という映画で、その名が知られるようになりました。彼はこの映画で、初めて芸術と商業という二つを結びつけ、イラン映画のニューウェーブ・新しい波を生じさせました。この映画はある人物の復讐劇であり、好評を博し、興行成績の記録を破りました。ゲイサルは、この映画の主人公の名前で、映画の上映以降、一つの象徴となりました。また個人の復讐劇もまた、イラン映画において一つのジャンルとなりました。これはそれまでイラン映画においてほとんど見られなかった現象でした。キミヤーイーは、ゲイサルの中で、大衆に馴染みの映画のスタイルを用いることで、暗く重苦しい物語を作り出しました。彼はこの中で、観客を引き付け、批評家に対しても、「ニューシネマの吉報」を伝えていたのです。

1969年は、ダリユシュ・メフルジューイー監督の『牛』とキミヤーイー監督の『ゲイサル』の二つの映画が上映されたために、イランの映画史における転換点と見なされています。どちらの映画も、それぞれのアプローチで、イラン映画のニューウェーブの土台を形成しました。キミヤーイーは後の映画で、社会的な価値に対する個人の反抗をモチーフにすることで、こうしたスタイルを続けました。彼は人間性と勇敢さをテーマにしながら、法規中心の社会での法に反する行動を扱っていました。彼は法が機能していないことを理由に、それを正当化していました。

キミヤーイーは、幾つかの映画制作の後、政治に傾倒し、1976年に『鹿』という映画を制作しました。多くの人々は、『鹿』という作品は、キミヤーイーの最も政治色を帯びた作品だとしています。彼はこの作品の中で、二種類の人物を並べて、最終的に人物像を完成させ、悲劇を終わらせると同時に英雄的な勝利を描き出しています。この映画は革命前に、人々や評論家による様々な反応を引き起こし、映画制作者の多くに影響を及ぼしました。

その当時のキミヤーイーの社会派映画の一つに、『石の旅』があります。これはある村の人々が不公正に抗議し、理不尽な人々に対して抵抗する物語です。この映画は、イランのイスラム革命を予言する類のもので、革命後も高い評価を受けました。

マスウード・キミヤーイーは、イランのイスラム革命後、17本の映画を監督しました。作品の成功、不成功はさておき、それらは、社会問題や人々の社会生活を取り上げていました。彼の多くの映画のテーマは、失われた、あるいは失われつつある価値観や信条に関するものでした。キミヤーイーは、勇敢さ、自尊心、友情について語り、こうした性質をもった主人公を様々な問題を伴った現代社会に登場させ、その価値観を守らせています。そうした価値観は、人々が好むものですが、近代生活とは矛盾するものとなっています。

ここで、言っておくべきなのは、キミヤーイーの型破りが、批評家によって提示されている最大の問題だということです。彼らは、このような英雄を作り出すことは、誤った思考に固執する以外の何物でもなく、現代社会の政策や法的な制度の役割を疑問視するものだと批判しています。

多くの批評家は、キミヤーイーの最も統一の取れた作品として、1989年に制作された『蛇の歯』を挙げており、イランイラク戦争後の問題と大都市の近郊での戦争経験者の生活の様子を描いています。俳優の優れた演技と共に、魅力的な物語は、この映画を、社会派映画、概してイラン映画において、二度とない永遠の作品にしています。(カット)

キミヤーイーの脚本家としての才能は、ダイアローグやモノローグに現れていました。キミヤーイーは、路上の人々が使用する言葉を良く知っており、古いテヘランの格言や諺を大いに利用していました。映画の主人公たちが発するメッセージは、映画の中の幾つかの会話の中に盛り込まれており、観客を直接、主人公たちの思考や理想に触れさせています。

キミヤーイーのもう一つの才能は、役者から演技を引き出すことにあり、それは、多くの俳優が彼の作品の中で優れた演技を披露することにつながりました。イラン人の俳優で、映画界の巨匠と言われるアミーン・ターロフ氏は、これに関して、「俳優たちは、キミヤーイーの映画の真の勝者である」と語っています。イラン映画の優れた役者の多くが、この映画監督の作品で初めての出演を果たし、有名な監督も彼の作品で助監督を務めることで活動を開始しています。

キミヤーイーは、映画や芸術は、人生の一部分に過ぎないとし、人生の他の部分に影響を及ぼすべきではないとしています。彼は、自分自身は知識人ではなく、社会問題に反応を示す一人の人間に過ぎない、と述べています。興味深いのは、彼がコメディー映画を社会にとっての「毒」であるとし、人間の人生は、コメディによって幸福にできるほど甘いものではないとしていることです。

キミヤーイーは、人物を描く上で、ときに伝説的な特徴を持った反英雄的な人物を作り上げています。彼の主な関心は、矛盾すると見られる法規に引っかかり、その権利を自らの手で取り戻そうとする人物の描写に向けられています。この人物は逮捕されたり、体に傷を負ったとしても、この目的を忘れることはありません。彼の初期の映画におけるこうした対立は、司法や警察とのものですが、後に地主や封建主義者への反発に向かい、近代化や都市生活の拡大を批判していた時期もありました。しかしながら、確かに言えるのは、「彼の作品のすべてにおいて政治的な傾向が見え隠れしていた」ということです。

キミヤーイーの一部の作品における階級差は、衝突の原因であり、この善と悪の戦いですら、過去と現在の衝突につながっています。キミヤーイーのこのような現代社会への接近は、一種の悲観的な見方を伴っていますが、ときに人々の支持を受けています。監督の名前によって見る映画を選ぶと述べている人々は、キミヤーイーをイラン映画の古いスタイルを持った制作者の一人だと見なしています。

マスウード・キミヤーイーが、人々の意見重視と彼らのための映画制作に関して述べている言葉にもかかわらず、彼の作品を、社会派映画における理想的な作品だと見なすことはできないでしょう。その最大の理由は、社会に対する個人的な描写と新しい世界の現象に対する敵意、過去への異常な固執であるといえます。キミヤーイーは貧困や麻薬中毒、さらには友情と裏切りなどの問題を社会問題と見なしていますが、こうした問題の打開策を、道徳の遵守や経済・文化体制の改革であるとしていません。この監督の作品では通常、こうした問題に巻き込まれている人物は、裏切り者に報復するために、武器を取り、後戻りのできない道を進みます。このように、キミヤーイーの映画は、社会学的な内容に乏しく、その主人公は現実の世界、社会において、本物の、リアルな存在ではないのです。

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