このサイトは更新されていません。新サイトはこちらです。 Parstoday Japanese
2015/10/20(火曜) 19:20

イスラム教徒が他人と付き合う方法(2)

イスラム教徒が他人と付き合う方法(2)

今回は、引き続き社会における人付き合いの方法についてお話しすることにいたしましょう。これまで何回かにわたり、社会の様々な階層の人々との交流の仕方についてお話いたしました。前回も、イスラム教徒でない人々への対応方法に関する重要な事柄に関して、すべての人々、特にほかの宗教の信者に対する権利の尊重、よい行いの平和的な共存などは、イスラム教の教えの一部であるという、重要な内容を指摘しました。このことは、イスラム社会やイスラム体制の下で暮らしている人々、そしてイスラム圏外で暮らす人々の双方に当てはまります。


イスラムは、その出現の当初から平和共存のスローガンを掲げ、世界の人々をそのいざなってきました。他の宗教の信者たちとの平和的な共存に関して、イスラムの預言者ムハンマドと、イスラムの先駆者たちがさかんに奨励していることは、イスラムが他の宗教の信者と決して争ったり、彼らを排斥しないことを示しています。イスラム教徒でない人々との関係について、イスラムの先人たちは公正さと平等を徹底させ、法的な決まり事を実施し、他の宗教の信者たちを苦しめないように勧めています。今夜は、イスラム的な生活様式における人付き合いの方法の重要な基準についてお話することにいたしましょう。こうした基準は、その重要性からイスラムの一部とも見なされ、神の友と仲良くし、神の敵を遠ざけることとなっています。
友好と敵対は、人類の創造の歴史を物語っています。預言者アーダムの次男アベルが、長男のカインに殺されて以来、またそれ以前に、悪魔が自己中心性によりアーダムに従わなかったために楽園を追放されたときから、常に友好と敵対という現象が生じ、世界には善と悪の戦いが生まれました。これにより、人間は常に自分が真偽の分岐点に立たされていると感じ、そのうちのいずれかを選ぶ権利を与えられています。この選択は、その人の内面的な傾向に基づいて行なわれます。

既によく知られているように、創造世界には互いに引き合う、或いは反発しあう法則が存在します。即ち、この世界のシステムでは、創造物は自分に相応しいものを惹きつけ、そうでないものに対しては反発し遠ざけるのです。人間も、同じように創られており、自分に合うものを惹きつけ、自分に合わないものを遠ざけます。
人間は誰でも、自分を見つめることで、愛情や欲求、さらには嫌悪感や敵意が自分に存在していることを認識し、人間の状態や行動の全ては、何らかの形でその人が望むか望まないかによります。実際に、この内面的、精神的な現象が意思による恣意的な行動の動機となります。神は、このような形で人間に好感や怒り、嫌悪感を与えており、人間がそれらを活用することで自分を守り、存続できるようにしているのです。人間の傾向とは、自分に適合するものを引き寄せることで、自分の生活や存在を維持し、自分に適合しなかったり、自分にとって害悪となるものを、怒りや嫌悪感によって遠ざけるためのものです。人間にもし、この力が備わっていない場合、自然な形で水や食物を摂取できず、身の危険が迫っても何も感じることはありません。この場合、人間には滅亡という結果しか残らないのです。
もう1つの重要な点は、人間は自分の意志で行動できる自由という、価値ある恩恵を与えられているということです。幸せ、或いはそれを受け入れることのかなりの部分は、人間の恣意的な行動にかかっていると言えます。人間の意志も、心の中の欲望や嫌悪により形成されます。明らかに、健康な精神を持つ人は、人生においてあらゆる物事や、自分に関わってくる人々の全てに対して無関心であったり、画一的に捉えることは出来ません。なぜなら、知性のある健康な人は誰でも、それぞれ独自の価値観や目標を持っており、そうした目標を達成するには、ある物ごとを欲し、好きになり、ある物ごとを嫌い、遠ざけるのが自然だからです。

人間は、何かを欲し、求めるため、他の人間と親しくなり彼らと友達になります。そして自分のニーズを満たすために、友人の努力の結果を活用し、また逆に自分も他人のニーズを満たすことに努力します。このことから、愛情、特に好き嫌いという感覚は、人間の行動や生活様式を方向付ける上で、驚くべき力を持ちます。このため、イスラムの教えではこの点が非常に注目されており、多くの伝承やコーランの節は正しい筋道において物事を歓迎し、或いは遠ざけることについて述べています。
この問題は、物事の好き嫌いがその人の言動に影響を及ぼし受け入れることの根源であり、また個人的、社会的な生活におけるその人の性格や行動様式を決定するために重要です。人間が救われるか、それとも衰退し迷いに陥るかは、その人がどのような人物や物事に執着しているかにかかっています。
シーア派5代目イマーム・ムハンマドバーゲルは、ある伝承において次のように述べています。
「自分が善良な人間であるかどうかを知りたいなら、自分の心を見つめるがよい。もし、あなたが神に従うことを望み、罪を犯す人を敵だと考えるなら、あなたは善良な人間であり、神はあなたを愛しておられる。逆に、神に従う人に敵対し、罪を犯す人を好むなら、あなたには善はなく、神はあなたに敵対する。人間は常に、自分を愛してくれる人に近づくものである」
イマーム・ムハンマドバーゲルのこの言葉からは、イスラム的な価値観の体系において好き嫌いや友好、敵意が大きな影響力を持つこと、そして宗教的な慣習の枠組みにそった健康的な人格を持つ人は、好き嫌いが宗教的な方向性を帯びていることが分かります。イスラムの見解では、神が美しいものや完璧なもの全ての集合体であることから、敬虔な人は美しいものや完璧なものの源が神であると考えており、最大限に神を愛するのです。このため、イスラムの基準にそって、神のために何かを好み嫌うべきであり、ほかの藻のを愛するという行動は全て、神の恩恵を中心に行なわれるべきだとされています。明らかに、好みが宗教的な色合いを帯びてくれば、何かに近づいたり、遠ざけたりするという行動も宗教的なものになります。この場合、人間関係の全ても宗教的な行為の枠組みに沿ったものになり、神の満足を得る下地となるのです。
ラジオをお聞きの皆様、今夜はここで時間がきてしまいました。次回もどうぞお楽しみに。

Add comment


Security code
Refresh