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2015/11/14(土曜) 20:02

キアーヌーシュ・アイヤーリー

キアーヌーシュ・アイヤーリー

今回は、イランの社会派映画の監督、キアーヌーシュ・アイヤーリーをご紹介してまいりましょう。

 

キアーヌーシュ・アイヤーリーは、1951年、イラン南部のアフワーズで生まれました。彼の父は、この町で大きな映画館を持っていました。このため、彼は映画に興味を持ちました。彼自身、頭の中に映像が強く残り、耳で聞くよりも目で見たものにより学んでいた、と語っています。また、子どもの頃から映画を見る以外に、映写機やフィルムを眺めることが好きだったと述べています。

アイヤーリーは、若い頃、「アフワーズ自由映画」というグループに入ることで、映画活動を始め、この中でまもなく頭角を現しました。彼はその当時、8ミリの短編映画を制作し、ほぼすべての作品が注目を集めました。そして1985年に初めての長編映画『悪魔の煙突』を制作します。その後も幾つかの作品を監督します。彼は後に、イラン映画の流れを作り出す注目に値する作品を制作しました。

アイヤーリーの最高傑作は、『サソリの幻』です。この映画は、マフムードという名前の若い映画作家の物語で、彼は短編映画を制作しており、映画に特別な愛着を持っています。彼は、劇場映画を制作しようとしますが、設備不足に直面します。マフムードには、映画のエキストラの一員である友人がいて、彼はマフム‐ドの映画制作を手伝います。彼らは現実の人生において脚本を実行しようとし、まず最初に、宝石店から宝石を盗みます。するとそのうちの一人がその宝石を持って逃げてしまいます。追跡の結果、映画作家は、ゴンドラから落ちて死んでしまいます。キアーヌーシュ・アイヤーリーは、この物語を形作り、映画を制作したことについて、次のように語っています。

「『サソリの幻』の脚本を、4日間で執筆した。それは思想、感情、情報、映画への愛から構成されている。私の人生とその中の出来事はこの映画とは異なっており、イラン映画や私自身の映画の舞台裏での記憶が、創造力と共にこの作品に変えられた」

『サソリの幻』は、内部の理想と外部の現実の間での思想の右往左往を連想させ、ときに無慈悲な社会という現実の存在と影響力がその中で強く見て取れます。この映画は、テーマ、物語、脚本、俳優の演技という点で、イラン映画に永遠に残る作品と見なされています。『サソリの幻』は、録音を用いたイランでの初めての映画です。

キアーヌーシュ・アイヤーリーの映画は、様々なテーマを扱っているにも関わらず、幾つかの共通点を有しています。この最も重要な共通点に、出来事の中心として人間を扱っているという点があります。アイヤーリーの映画の中に出てくる人々は、状況の変化を追い求め、停滞に陥りもがいています。この変化と発展への求めは、一種の内部の革命と見なすことさえできるものです。カナート・地下水路の復活、映画の制作、恋人との出会い、盗品を見つけ出すための努力、行き続けるための努力、これらはこの映画作家の作品で、基本的なテーマとして追求されているものです。アイヤーリー作品の登場人物の多くが、内向的ではありますが、抗議し、活動する人物であり、彼らは、状況の変化を追求し、周囲に変化を生じさせることができなければ、少なくとも自らを目標に近づけようとします。

イスラム革命後の最も優れたイラン映画の一つに、1997年制作の『生きるべきか死ぬべきか』があります。アイヤーリーは、この映画の中で、心臓の移植を必要としている少女の人生の一時期を扱っています。彼女は主治医と共に、脳死状態の少年が入院している病院に行きます。医者は家族に臓器提供を申し出ますが、反対に直面します。病気の少女は希望を失わずに彼らを説得し、ついに移植に同意させるのです。

この作品は、生と死の間をさまよう物語で、映画の主人公は、無慈悲な社会の中で、生き続けるために努力します。映画は一部でドキュメンタリーに近くなり、人道的な問題を、社会的、民族的な信条と結び付けています。人類社会の生に対する永遠の注目を、すべての社会に存在する問題、つまり移植の問題と調和させ、観客を最後まで物語に引き込みます。

アイヤーリーの作品では常に象徴的な要素が扱われ、物、人、事象が表面的なレベルを超えて、その深みを提示しています。観客は、日常生活の通常の物語の流れにおいて、より深い意味に注目を寄せ、新たな現実を目の前に広げます。井戸を掘る掘削機は現代主義、炎は愛情と憎しみ、カメラは現実と幻の結合、階段は人生の厳しい段階を経ている状況の象徴となっています。とはいえ、おそらくこれらの象徴の一部は形式的で、表面的なものと見なされるかもしれませんが、実際、アイヤーリーの作品の多くで、こうした象徴は芸術的に見事に作品に織り込まれており、彼の作品の最大の特徴となっています。彼の巧みな空間作りは、多くの撮影現場の使用にもかかわらず、脚本の統一を維持しており、観客が物語りや登場人物の存在を信じるのを助けています。

多くの社会派映画は、辛い現実を扱った映画だと見なされていますが、これは制作者の視点を反映したものであり、こうした映画は一部において突出した存在とはならないでしょう。しかしながら、アイヤーリーはこうした問題を解決し、皮肉ともいえる状況を用いることで、洗練された空間を作り出しています。皮肉やそうした嘲笑的な状況は、この映画作家の作品の中で多く見られ、音楽や日常的な慣用句を用いる中でも示されています。この社会派映画作家と共に仕事を行ったすべての人が、アイヤーリーは映画制作のあらゆる段階を慎重に進め、彼が目指すものに達するまで、何十回も一つのシーンを撮り続けると考えています。これにより、彼の作品は形式や内容において芸術的な秩序や統一性を持ち、観客は、映画制作の大きな苦労を見て取ることができるのです。

アイヤーリーはイランの社会派映画の分野で有名なだけでなく、幾つかのドラマシリーズを制作していることでも知られています。雑誌の読者の手紙をテーマにした『数千の目』、国勢調査を扱った『家から家へ』、イランの有名な医師モハンマド・ガリーブ氏の人生についての『ガリーブの生涯』は、非常に人気のあったアイヤーリー制作のドラマシリーズです。

『ガリーブの生涯』は、イランの小児医学の基礎を築いたモハンマド・ガリーブ医師の物語で、その中では、20世紀のイランの人々の社会や文化の歴史が扱われています。このシリーズは、非常に質が高い作品で、このイランの偉大な医師の人生と活動に対する人々の注目を集めました。

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