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2015/12/08(火曜) 22:54

人間と環境の関係のあり方

人間と環境の関係のあり方

イスラム的生活様式での人間と環境の関係のあり方、及びその責務について説明します。

 

これまで何回かに渡り、社会の人々との人間関係のあり方についてお話し、家庭環境や社会における交流の方法に関するイスラムの奨励事項についてご説明いたしました。今回は、人間と自然環境の関係のあり方、そしてその責任についてお話したいと思います。

イスラムの最も重要な目的の1つは、人間の教育、そして唯一神信仰や宗教信仰の強化です。このことは、非常に重要であり、イスラムの預言者ムハンマドも長きに渡ってこの目的の達成に集中してきました。イスラムでは、教育を受けた人間は最高の創造物として、この世における他の現象によって、特定の形で行動を秩序あるものにし、創造世界において権利が蹂躙されないようにしなければなりません。

イスラムにおける権利の遵守は、人間だけに留まりません。その理由は、自然環境もイスラム教徒により尊重される権利を有しているからです。言い換えれば、イスラム的な生活様式では、神と人間の関係のあり方に関する宗教的な奨励事項の枠組みに加えて、人間と自然、そして人間と社会の関係のあり方も形成されています。この枠組みにおいて、人間は神を頂点とし、他の2つの対角に社会と自然が存在する三角形の中央に位置づけられます。この三角形では、神は人間社会、そして自然と創造の関係で結ばれ、人間社会や自然は神と服従と創造物の関係で結ばれています。

コーランの節やイスラムの伝承から、自然と生活環境は人間に支配される対象とされていたことが導き出されます。即ち、神はこれらのものを人間のために創造したことになります。しかし、この関係は双方向でなければなりません。即ち、自然や生活環境は人間が神から預かっているものであり、人間社会は自然に対する責務や義務を負っています。言い換えれば、人間と神、そして自然との関係は服従と責任の関係であり、他の人々や創造世界の現象との関係は協力やよい行いの関係、公正な関係ということになります。人間が、生活環境や自然を、神からの預かり物とすれば、それらを破壊しなくなり、その過剰な利用を控えるようになります。それではここで、人間がイスラム的な生活様式において自然環境をどのように捉え、これに対しどのような責務を負っているのかを見ていくことにいたしましょう。

神は、宇宙、地球や環境を創造し、これらを人間に委ねました。そして、自らの命にそって人間を試し、人間が必要なことを学び取った後で、この神からの預かり物を、どのようにして神に従うために活用し、自然環境という神の恵みに対し、どのような行動をとるかを見ようとしたのです。コーラン第18章、アル・キャフ章「洞窟」、第7節では次のように述べられています。

"我は大地を装飾した。それは、あなた方の中で誰がよい行いをするかを試すためである"

恩恵や可能性が創造の目的にかなったものになるのは、それらが極端な方法ではなく、適切な方法で活用される時です。この点において、宗教の教えでは自然環境が特に注目されており、その再生と保護に努める人々には、数多くの物質的、精神的な報奨があるとされています。例えば、イスラムの預言者ムハンマドは、次のように述べています。

「神は、樹木を植える者について、その樹木がもたらす産物と同じ程度の報奨を考慮してくださる」

これに対し、自然や物質的な可能性が適切に活用されない場合、人間にとって時には取り返しのつかないほどの悪影響が生じます。最後の審判の日にも、全ての恩恵が呼び戻されることになっており、自然環境が全ての人々のものであることを理解しなければなりません。また、自然環境の維持とその繁栄に努め、自らもその恩恵にあずかれるようにする必要があります。これについて、シーア派6代目イマーム・サーデグは次のように述べています。

「きれいな空気や豊富な水、肥沃な土壌のない生活は、快適で心地よいものにはならない」

天然資源が失われ、自然環境が汚染されることは、人間の生活を危険に陥れる、現代の最も大きな問題の1つです。研究者の見解では、洪水や大気汚染、地下水の減少、オゾン層の破壊といった自然界における問題の多くは、自然環境の破壊や汚染が原因だとされています。

宗教的な教えから見て、天然資源や自然環境の保護は、モラル的、経済的に最も重要な問題の1つとされています。最も包括的で完成された宗教であるイスラムの、自然界や環境に対する見方は、人間を自然の無制限な利用に向かわせる利益追求的な見方とは異なっています。イスラムは、自然に対する尊敬の念を伴っています。イスラムの教えは、自然環境が人間の生活の一部であり、それらは正しく活用されるために創られたと見なしています。自然の存在は、偉大なる全知全能の神の創造物なのです。これについては、コーランの数多くの節で述べられており、例えば第2章、アル・バガラ章「雌牛」29節には、次のようにあります。

"彼こそは、地上にあるものの全てを、あなた方のために創られた神であられる。神はさらに、天を創造し、これを7つに分けられた。誠に、神は全てのことを知り尽くしておられる」

同時に、神は自然や生活環境を大いなる恩恵として人間に委ね、これらを生活を正しく運営するために活用すべきだとしています。コーラン第45章、ジャースィーヤ章「ひざまづく時」、第13節では、次のように述べられています。

"神は、天地における全ての存在物を自発的にあなた方に服するようになされた"

このように、人類は地上における神の代理者として、地球にある資源のみならず、宇宙にある物も活用できるのです。コーランはまた、包括的な見解により、人間を地上におけるあらゆる腐敗から遠ざけようとしており、第7章、アル・アアラーフ章「高壁」、第85節では次のように述べられています。

"地上では、これが修正された後に悪を行なってはならない"

明らかに、資源を喪失し環境を破壊することは、腐敗行為の1つです。イスラムの数多くの伝承では、大地は素晴らしい資源、そして恩恵で、慈しみ深い母親のようなものであり、これを問題のない状態に保つことは全ての人々にとって必要だとされています。これについて、神の預言者ムハンマドは次のように述べています。

「大地を守るがよい。なぜなら、大地こそはあなた方の源であるから。また必要な時以外は、樹木を伐採してはならない」

さらに、預言者ムハンマドの伝承においては、樹木に水を与えることは、信者たちの喉の渇きを満たすことと同じであると見なされています。

このように、イスラム的な生活様式では、人間は自然の存続に対して完全な責任を負っており、人間が自然を活用する際には確固たる規律や枠組みが存在します。既に知られているように、森林や平原、砂漠、山、海を初めとする自然界での神の美しい恩恵は、人間に喜びや安らぎを与える重要な要素です。このため、この恩恵をむやみに破壊することは人々の安全や喜びを奪い、彼らを悲しみや失望に陥れることになります。

しかし、それでも現代人は不適切な行動により自然環境を深刻な危機に直面させており、この危機は日々深刻化しています。現代において、人類は無条件に自然の所有者となり、日々拡大するニーズや目的を満たすために収奪という方法をとり、結果として人間と自然の関係はバランスの取れた関係から不均衡な関係に陥っています。しかし、一方で自然環境は持続性ある発展の要員の1つであり、人間の生活において大切な役割を果たしています。持続性ある発展とは、天然資源が損害や破壊から守られたり、またはそれが受ける被害が最小限に留まることを意味しています。環境破壊や資源の乱用がこのまま続けば、持続性ある発展が実現されないのみならず、地上の存在物が消滅の危機に陥ることになります。

全体的に、イスラムの教えは持続性ある発展が好ましい形で実現するのみならず、その他の多大なメリットが付随してきます。イスラムは、敬虔な人々や躍動的で信仰心ある社会を育むことで、神の恩恵を活用するに当たって極端に陥らないように人々の活動を導きます。同時に、イスラムの見解は生活環境に接する際に、人間が節度をわきまえて浪費を控え、努力と活動によって自然と社会に最大の効果をもたらすことができるということを示しているのです。

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