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2016/01/04(月曜) 19:20

神の性質

神の性質

今回の番組では、神の性質についてお話しすることにいたしましょう。

 

神の性質を知ることについて、重要な問題の一つは、神の聖なる性質は、創造物の性質のどれにも似ていない、ということです。そのため神の性質を知る第一の条件は、神の性質と創造物の性質を切り離し、自然界の生物を神になぞらえないことです。

実際、人間は常に物質的な存在物に関係しています、つまり、存在物は決まった時間と場所を持ち、独自の形を有しています。一方で神は肉体を持たず、時間や場所に限られず、同時にあらゆる時間や場所に通じており、あらゆる点で無制限です。イランのコーラン解釈者、アッラーメ・タバータバーイー師は、これについて興味深い解釈を行っています。

「私たちが神の性質についてよりどころにする内容は制限のある鏡のようなものであり、それらは神の無限の存在を反映することはできない。しかしこれにより、これに関する理性的な識別が信頼のおけないものであるということには繋がらない。私たちの知性は神の性質を理解することができるが、それはその能力に応じてである。神を認識しようとする人間は水の中に手を入れ、それを両手で飲もうとするようなものである。水を飲もうとしても、その手の大きさ以上には水は汲めない」

アッラーメ・タバータバーイー師の言葉から明らかなことは、人間の知性はその限りにおいて、至高なる神の性質を理解することができますが、神の本質にたどり着くことはできず、神の真理をそのまま理解することはできないのです。ここからは、神の一部の性質についてお話しすることにいたしましょう。

神の性質の一つに、生きている、生命を保有しているということがあります。ご存知のように、生き物は生命という恩恵を受けており、認識と活動を有しています。生きているという性質もまた神に関して用いられ、創造物、人間や動物といった自然の存在物における生命に関しても、成長、栄養摂取、繁殖、吸収と排出、感覚と動作といったものを伴っています。ある解釈によれば、これらは生き物の中の生命のしるしの一つです。しかしながら、以前神に関して述べたように、神の性質にはこうしたものが含まれません。こうした中、生物の中の生命は同じレベルにはありません。人間の生命は、動植物に比べて、はるかに完全なものとなっています。例えば、生きて、細かな動きをする小動物や昆虫に比べて、人間は、理解力、思考力、発明力があり、最も難しい学問や思考の問題を分析することができ、この点で高いレベルに位置しています。

神について言う「生」は、創造物が生きていることとは異なり、非常に至高な真理を物語っています。コーランは神の生命を有しているといった性質について数多くの節で述べています。例えば、コーラン第2章アルバガラ章、雌牛、第255節には次のようにあります。

「アッラー以外に神はいない。彼は生きており、不動の存在(自存するお方)である・・・」

神の中の「生」は、真実の「生」であり、命を他の場所から授けられる生物とは違います。この生物は限りある時間の中で生き、生命を失えば死にます。しかしながら神に関しては違います。神は常に生きており、コーラン第25章アルフォルガーン章、識別、第58節には次のようにあります。

「決して死ぬことのないその生の性質を信頼せよ」

このことから、完全な真の生命とは、死に直面せず、永遠永劫に生き続ける生命です。このため、最後に死を迎える人間と動物は、真の生命とは見なされないのです。

神は生存するために、何も必要としません。神は生命を他の生き物から受け継ぐことはなく、死んだものに生命を与えるのです。神の性質について言う「生」の意味は、他の神の性質と同様、その性質と切り離すことのできないもので、それが消滅することはありません。つまり、神は最も崇高な命を持っており、決して死ぬことなく、さらに他の生き物に生命の光を与えるものなのです。

コーランや宗教書の見地から重要であり、非常に重視されている神の性質の一つに、神の知識があります。神はコーランの数多くの節の中で、自らの知識について触れており、それを無限のものだとしています。コーラン第2章アルバガラ章の第231節には次のようにあります。

「・・・そして神はすべてのことを知り尽くされていることを知るがいい」

イスラムの教義に基づき、至高なる神はすべての事柄を知っており、世界の何物も神の知識の範囲を超えません。神は過去現在未来を知っており、どんな生き物も、神の前では隠れることはできません。人間の限定的な知識もまた神の尽きることのない英知のお陰なのです。

私たち人間の知識は常に欠陥があり、限定的なものです。そして非常にわずかなもので、私たちの知識は広大な海の中の一滴の雫のようなものです。私たちが獲得した多くの知識は、何か道具や手段の助けを借りたもので、この知識の一部は変化にさらされています。しかしながら、神の知識は欠陥や制限がなく、絶対的で無限であり、道具や手段を必要とせず、永遠のものです。

実際、あらゆる創造物の中に見られる完全さは、至高なる神に由来するものであり、それを授けた者は他の存在に与えることができるようその完全さを備えているべきです。知識を創造物に持たせた者が、自ら無知であるはずがありません。一部の創造物の中のこうした性質の存在は、創造主の中に知識が存在し、彼は人間の能力に応じて知識を授けた、ということの表れです。

神が幅広い知識を有し、世界のすべての存在物や出来事を知っていることについて、その他の理由は、神の存在が無制限であり、すべてのことに精通していることです。なぜなら、あらゆる場所に存在する存在物は、当然、すべての事柄を知っているからであり、もしその存在に時間や場所の制限があれば、すべての事柄、すべての場所を把握することはできないからです。これに関して次のようなたとえ話があります。

私たちは小さな部屋の中におり、小さな穴からのみ、外を見ることができます。そのとき突然、列車が部屋のそばを通ります。私たちはこの穴から、一つの車両以上のものを見ることができません。しかしこの部屋の屋根に居る人たち、あるいは上からそれを見ることのできる人たちは、一つの場所から列車の全容を見ることができます。過去と未来に対する人間の状況も、小さな小窓から大きくて長い列車を見るようなものです。一方で偉大なる神は高いところから、すべての生物を一度に見渡すことのできる存在です。神は生命の世界を創造し、時間や場所の制限が一切なく、神以外にあらゆる時間、場所に存在することができるものはいません。このため、神の知識はすべての生き物、過去現在未来のすべての出来事を網羅しているのです。

他方、こうした広い世界を注意深く見てみると、不思議な秩序が占めており、創造物は定められた目的に向かって動いていることが分かります。この世界の創造とその驚くべき秩序は、その創造主がすべての現象や特徴、それらの関係を知っていることによります。無知な存在がこの驚くべき世界を創ることができるはずはないのです。

内容の詰まった、知識のレベルの高い書物が、無知な人間によって書かれたと思いますか?非常に進歩した宇宙船やコンピュータの製造者はそれに関する知識や技術を知らないでしょうか?明らかに、あらゆる製造物は、それを生み出した人の性質を示しています。製造物が正確な設計と測量、計算に基づいて作られているなら、それを作った人は自らの知識でそれを生み出した学識ある人物だということを認めるでしょう。このため、生命の世界は最小の粒子から最大の銀河まで、神から生まれたものであり、神はそれらを正確かつ慎重に、予めの計画に従って創造したのです。

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