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2016/01/04(月曜) 19:29

イラン映画の女性の役割

イラン映画の女性の役割

これまでの番組では、過去30年におけるイランの社会派映画の重要なテーマのひとつ、社会における女性の役割についてお話してきました。女性はイスラム革命後、様々な分野で活動し、歴史の中で重要な役割を果たしてきました。

フェミニズムがわずかな数のイランの映画制作者とその作品に及ぼした影響はさておき、イラン映画における女性の存在が信条や伝統、現代生活、その義務に結びつき、様々なジャンルの映画が女性を中心に制作されることになったと言えるでしょう。イラン映画の女性の役割の分析と映画における女性の真の姿の提示方法は、私たちを各作品の検討に向かわせています。こうした検討に基づき、映画制作者の女性問題への見方は社会の外部の状況に多くかかわっていると言えるでしょう。

イラン映画を検討してみると、時代が進むにつれて、映画の基本的な内容が女性問題と多く結びつき、彼女らが映画の中で基本的な役割を果たし、大きな存在感を見せていることがわかります。これは、映画の物語が女性の行動について語っており、彼女らの不在が映画の物語を損なうことを意味しています。これに関して、イラン映画の中の女性の職業を挙げることができます。革命直後、女性は多くの映画の中で主婦であり、社会的な役割や職業をほとんど持っていませんでした。しかしながら次第に、1990年代の終わりごろから、女性は看護士、記者、大学教授、弁護士、あるいは公務員として映画に現れるようになりました。その中での女性の学歴もイラン人女性の就学率の上昇に伴い、次第に向上し、学歴のある女性を主人公にした映画が作られるようになりました。注目すべき点は、主人公の女性は大学生であることが多く、イランの女性の高い大学進学率により、映画の中にもこの現象が反映されていることです。

様々な分析が示しているように、イラン映画の中の女性の多くは、およそ15年前まで、字が読めなかったり、あるいは低学歴を有していました。、次第にこの流れは社会状況と共に変わっていきました。映画の女性のおよそ90%が学歴を積み、過去とは異なる社会的な地位についています。女優の年齢についても、興味深いことに、1980年代や1990年代の女性主人公の多くが30歳以上でしたが、その後30歳以下の若い女性や少女が登場するようになりました。このことは、映画制作者がイランには若者が多いことに注目し、この層に向けた映画の制作に向かい、この年齢層を主人公に据えたことを表しています。

女性の人生をテーマにした映画に関して行われた調査によれば、かつて革命直後に、映画制作者の多くが女性の個人的な問題や家庭の問題に関する作品を制作していたことがわかります。彼らは作品の中で、不妊、迷信への信仰、贅沢主義、夫婦の対立などの問題を扱い、当然観客を減らすことになりました。しかしながら次第に、学術的、教育的な問題、大学の勉強や政治の問題が映画の中に取り入れられ、様々な女性が映画の中で主人公をつとめました。

より包括的な見方をすると、イラン映画に登場する女性は、伝統的な女性と現代的な女性の二つに分類され、ここ数年は、現代的な女性を扱った作品が多く見られます。とはいえ、これは現代的な女性に価値を置いていることを意味するのではないと言っておくべきでしょう。映画は現代社会の表現の一つであり、今日の私たちの文化や生活に多くの影響を与えています。イランの初期の映画の中の女性は、完全に型破りなものでした。こうして伝統的な女性を描く段階から現代的な女性を登場させる段階への移行は、一種のアプローチの変化と見なすことができます。

イラン映画の中の女性の状況を分析する上で、社会的な階級制度といった問題に注目する必要があります。貧困層・低所得者層の女性の個人的、社会的地位は、中産階級や富裕層の女性のそれよりも脆く、不安定なものです。これに関し、夫との離婚や死別といった出来事の提示もまた、多様な形をとっています。このような映画の中では、社会階層や経済状況は女性の人生において大きな影響を及ぼし、自然な社会現象がひとつの災難を生じさせることにもなるのです。イランの映画制作者はこのような状況の中で、社会的な現実に近づき、女性の問題を共感を持って見つめています。彼らは社会に存在する文化的、慣習的な障害を提示し、それを経済や文化の状況と共に、現代社会における女性の人生に横たわる最大の障害であるとしています。

こうした映画の他、イラン映画において注目に値する作品が制作され、その中では女性の役が人間性を持った真の形で提示され、イラン映画をこの分野での模範に変えることに成功しました。『母の頭文字』は、この分野のモデルと成る貴重な作品の一つです。この作品の監督はラスール・モッラーゴリープールで、彼は長年、イランイラク戦争を題材にした映画を制作し、2007年に死去しました。彼は『母の頭文字』の中で、他者への愛情を、子供への愛情やその子の将来と切り離すことなく、他者の幸福と健康のために、自らの命を犠牲にしようとする一人の母の天使のような姿を描いています。この映画は一人の女性を、人間として優れているだけでなく、社会的にも模範的な例として提示しています。とはいえ、これ以前にも、モッラーゴリープールは、『救われる人々』や『ヒーヴァー』といった作品の中で、女性をシナリオの中心に据え、貴重な作品を提示していました。

イランイラク戦争で女性が重要な役割を担っていたように、この分野での映画も、イラン人女性の献身、勇気、努力、誇りを思い起こさせる人物像を創造することに成功した、と言うべきでしょう。決定的な役割を担い、現実により近い女性たちが幾つかの作品の中で提示されました。

パルヴィーズ・シェイフターディー監督の『人生の日々』という作品は、戦争後の日々と、病院のスタッフとして働くある夫婦の人生を描いたものです。彼らは囲いの中にとらわれ、負傷者を治療するために危険を冒します。この映画は、戦争時代のイラン人女性の勇気を描いたもので、彼女らの社会参加は、人々を惑わす現代の生活に限定されるものではないとしています。

この作品がフェミニズム映画と一線を画している決定的な点は、これらの映画の中で、女性があらゆる段階において男性の傍らで、支援者として存在し、彼らの間に対立はないという点です。この種の作品における女性の役割の強調は、実際、女性の能力に対する誇張ではなく、女性の現実の生活と社会の具体例から出てきたものなのです。

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