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2016/01/12(火曜) 21:41

人間の良い行動や悪い行動

人間の良い行動や悪い行動

今回は、人間の良い行動や悪い行動が生活環境に及ぼす影響について、宗教的な伝承やコーランの節を引用して考えていくことにいたしましょう。

 

前回は、生活環境に対する人間の責任についてお話しました。また、イスラム的な生活様式においては、イスラム教徒が生活環境を神からの預かり物として、これを汚さないよう維持することを重視すべきことについて説明しました。ここで、イスラムでは生活環境に関する倫理が、神を中心とした倫理であることについて触れておく必要があります。それは、この倫理が唯一神信仰を基づく世界観によることが理由です。この世界観では、創造主である神が世界の中心で、これを維持する存在とされています。このため、生活環境の保護は神に属するものを保護することを意味します。

唯一神信仰に基づく世界観では、現世のシステムの中で全ての存在物が神の支配を受けており、全てのものが神を求め、神に向かって動いていると見なされています。これに基づき、環境保護の倫理は自然から動物に至るまでの、環境を構成する要素に対する人間の行動や捉え方、さらには人間の責務を明白化することに基づいています。イスラム的な生活様式の基盤になっている唯一神信仰の見解では、人間はまず神を世界を創造した、創造世界全体の所有者と見なし、次に自身を神とその創造物に対する責任者と見なします。

これまでにお話しましたように、現世で起こる出来事は、ある程度は人間の行動によるものです。即ち、人間が神に従い、その道を歩めば神の慈しみと恩恵の扉が開かれ、逆にその道から逸脱すれば迷いに陥り、偽りの思想や腐敗した動機に汚染されることになります。すると、人間社会には腐敗が生じ、その影響は陸や海といった自然環境にまで及びます。これについて、イランの偉大なイスラム思想家ジャヴァーディー・アーモリー師は、非常に興味深い分析を行っており、次のように述べています。

「何かをしようとする意志、人間のよい行いと悪い行いは、世界のよい出来事と悪い出来事の発生に役割を果たしている。なぜなら、人間はすべての存在と繋がっている創造世界の鎖の輪だからである。だから、その他のリングから分離することはできない。それは、多くの原因から結果が生まれ、また多くの結果には原因があるからだ。生物は海や砂漠、陸や空の影響を受け、また逆にそうした自然は生物に影響を及ぼす。このため、人間の行動は世界の良い出来事や悪い出来事に影響を与え、またそうした出来事の影響を受ける。こうした相互作用は人間の体のみに留まらず、人間の信条や性格、言動にも表れる」

イスラムの聖典コーランの多くの節には、人間の行動と自然との直接的な関係について述べています。例えば、コーラン第72章、アル・ジン章「ジン」、第16節には、次のように述べられています。

"もし、彼らが信仰心ある道を守るならば、我々は必ず豊かな水により彼らを満たす"

この節によりますと、正しい道を守ることは、乾燥した畑や森林、喉の渇いた動物や人間を潤す豊かな水に恵まれることになります。コーランの解釈においても、この節における水が意味するものは、単に雨ではなく、泉やカナート、井戸が潤うことも含まれます。

このため、神は好ましい現象によって世界の人々に物質的な恩恵を授けます。逆に、罪となる行動の多くは、神の命令によって恵みとしての水が少なくなる可能性があります。コーランのこの節によりますと、信仰心や敬虔さは精神的な恵みの源であるのみならず、豊かで物質的な恩恵、そして繁栄につながるのです。

また、コーラン第7章、アル・アアラーフ章「高壁」、第96節には、次のように述べられています。

"もし、これらの町や村の人びとが信仰心に目覚め、敬虔になれば、我々は天と地の祝福の扉を彼らに開くだろう"

この節によりますと、町や村に住む人々が信仰心をもち敬虔であることにより、天地の恵みの扉が彼らに開かれるということです。この節は、人間の行動と世界の出来事の関係を明確に述べています。ここで言う天地の恩恵は、幾つかの意味に解釈することができます。それは、雨や雪、太陽の光といった空からの恵み、肥沃な土壌や湧き出る泉、カナート、植物の生育、果物が実ることといった、地上の恵みであり、これらは人間のよい行いによって実現されます。

さらに、コーラン第30章、ルーム章「ローマ」第41節でも、人間の行動が生活環境に及ぼす影響が、次のように述べられています。

"人間の行いために、陸や海に腐敗が現われている。これは神が、かれらの行ったことの一部を思い知らせ、彼らを真理の方向に戻すためである"

海における腐敗は、海の恵みの不足や、海上で起こる戦争、情勢不安といった形で現れます。ですが、コーランのこの章では、神の責め苦について語るとき、まず罪となる行いの影響で恩恵が受けられなくなることについて述べ、それから多神教信仰による滅亡や破滅について語っています。赦される時にはまず、存在物に与えられるのは創造主の恩恵であり、その次に日々の糧が与えられます。また、再び罪となる行いに逆戻りした場合にも、まずは恩恵が失われ、その次に滅亡がもたらされます。

イスラムのある伝承において、シーア派6代目イマーム・サーデグは次のように述べています。

「海の生き物の生命は、降り注ぐ雨によって成り立っている。雨が降らなければ、大地も海も腐敗してしまう。この時こそはまさに、罪が増えた時である」

もっとも、この伝承の中で述べられていることは、腐敗の明確な事例であり、海に住む生き物と雨が降ることの関係について、ここで述べられていることは、降雨量が減少すれば海中に住む魚も減少するという、過去に起こった出来事そのものです。また、世界でも海洋の沿岸地域に住む人々は、「海に降る雨は、砂漠に降る雨よりも大きな利益をもたらす」と語っています。

これまで述べてきたコーランの節によれば、醜い行いと世界で起こる好ましくない出来事は互いに関係しているということです。さらに、人間が神に従い、その道を歩み続ければ、彼らに対して神の恩恵という扉が開かれ、この道から外れれば迷いに陥り、神の恩恵を奪われることになります。

イスラム的な価値体系では、全てのよい行いは永久的なものですが、中でも一部の行為は、後世にまで残るものとされています。例えば、後世にまで残る作品の制作を含めた学術書の執筆や編纂、コーランの節を書道により書くことは、木を植えること、カナートや井戸の掘削、ダムの建設などと同様に、人間の生活環境に適切な下地を整える活動とされています。

宗教の教えでは、人間が木を植えたり、或いは人々が利用できる事業を行えば、その人に報奨が約束されることになっています。公共事業に対するこうした見方は、人々に生活環境の再生を促します。イスラム教徒は、植物を植えることや樹木の保護を怠らないようにするべきだとされていますが、それは、木々が空気を浄化するうえで、特別な効果を発揮することによります。

イスラム的な生活様式で、環境保護に関して注目されているもう1つの点は、水とこれを浪費しないことです。イスラム教徒にとって、人間を初めとするあらゆる生物の生命の源である水を汚染したり、浪費することは相応しくない行いとされています。

全体的に、イスラム的な生活様式において人間は、神に対して責務を負っていることから、自然環境に対しても特別な責任があるというべきでしょう。こうした責任は、自然環境に関して何かを決定するときには、他の存在物に対して考えられる影響を考慮することを義務付けています。このため、イスラム的な環境保護の倫理は、周りの環境に対する行動や交流における公正さに基づいています。もっとも、公正な行動の対象となるのは人間のみに限られず、創造世界の全ての存在物である生物や生物以外のものにまで広げて適用されるのです。

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