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2016/01/20(水曜) 21:41

イスラム的な生活様式における経済活動

イスラム的な生活様式における経済活動

今回は、新しい話題として、イスラム的な生活様式における経済活動について考えていくことにいたしましょう。

 

イスラム思想においては、信仰は経済活動、そして生活におけるその他の活動を誘導するとされています。このため、イスラム的な生活様式における経済活動をめぐる議論は、その他のテーマと同様に倫理や信仰などと密接に関係しています。イスラム的な生活様式では、経済関係のモデルは宗教信仰という基盤の上に成り立っています。イスラムでは、経済と信仰の結びつきが非常に強く、一部の場合においてはこれらを切り離すことは不可能です。例えば、5分の1税やザカートと呼ばれる救貧税を納めることは、表面的には経済的な範疇に含まれますが、これらは実際には宗教的な義務の一部とされ、神に近づく純粋な意志は、それが受け入れられる条件となります。

また、イスラムの思想では、仕事や努力も精神性と結びついています。なぜなら、自分や自分の家族のニーズを満たし、個人的な生活や幸せのために行なわれる努力も、宗教的な崇拝行為の1つと見なされるからです。生活費を得るための努力や仕事は、現世での生活を発展するとともに、それが神の命令を実施し、価値ある目的を追求するものであれば、来世での報奨につながると考えられます。このため、イスラムの預言者ムハンマドは、「現世は、来世のための畑である」と述べています。即ち、現世とそこに存在するものは成長の下地となりえ、来世の幸せを実現できるものなのです。但し、そのためには現世の可能性を正しく使用することが条件です。

人間に定められた崇高で価値ある目的に注目すると、イスラム的な経済システムは人間の倫理的、宗教的な価値を高めることを目的としていると言えます。この体制では、精神的な向上が基本的な原則です。このため、イスラム的な経済システムでは、経済的な独立や公正さ、公共の福祉、経済発展といったその他の重要な目的は全て、不当な要求や他人の権利を侵害する下地ができないよう、精神的な向上の中で実現されると定義されています。イスラム的な生活様式では、モラルや精神的な価値観が経済活動を支配しています。このため、経済分野でイスラムが考えている人間とは、道徳的な人物で好ましい特質を有し、意志を持し、決断力のある人です。しかし、その人の行動は本能のなすがままではなく、むしろその本能は倫理的な教えや原則によりコントロールされているのです。

このような人の行動や努力は、神の満足を得ることや神の命の実施のためのものです。そうした人は、神が認める価値観や信条、神への信仰心に適合するという条件により、物質的な利益を求めます。イスラム教徒は、神の恩恵に恵まれると、他人も出来る限り神の恩恵に恵まれるようにすべく努力します。即ち、その人は好ましい方法で神の恩恵にあずかり、感謝を怠ることはありません。イスラムの経済体制で好ましいとされる人は、物質的な資本や富を神からの預かり物とみなし、それらを自分や社会の精神的な向上のために活用すべきだと考えています。このため、より拡大して解釈すれば、イスラム教徒は世界の改革と繁栄のために努力する義務が課されていると考えます。これについて、コーラン、フード章「フード」第61節では、次のように述べられています。

"まさに、彼こそはあなたを土から創造し、地上の繁栄をあなたに任された神である"

イスラム的な生活様式における経済活動については、まず仕事と努力の大切さからお話したいと思います。もっとも、イスラム的な生活様式における個人の義務についてお話した際には、仕事や努力を、その個人的、精神的な影響の点から検討しました。それではここで、これに関してイスラムで非常に奨励されている経済活動としての仕事や努力として見ていくことにいたしましょう。

仕事とは、人間の身体的、思考的な活動の集合体を意味し、これらを行うことにより人間には物質的な利益を得ることになります。イスラム思想では、仕事や努力をしたいという欲求は人間の本質であり、更なる高みや完璧さに対する愛とされています。言い換えれば、完璧さの追求の一部は、仕事や努力に現れます。仕事をしたいという欲求も、その他の傾向と同様に、人間が自分のニーズを満たして自然の豊かな恩恵にあずかり、より良い生活を送りたいと考えていることによります。

仕事への意志は、社会の発展や経済活動の拡大に相当の影響を及ぼします。仕事の下地が整っていなければ、発明家や創造力のある人々は、思考力と創造力によって日々新しい技術や新たな発明を提示することはできません。このため、適切な就労の条件がないことで、創造力が失われてしまうことになります。この問題により、人々を収入が得られるものの有益でない仕事、例えば物品の販売や不必要かつ有害なサービスへと向かうことになります。

仕事は、人間の自然なニーズです。同時に、宗教の教えも人々に仕事や努力することを奨励しています。宗教が本質的なものであることは、まさにこれが理由であり、宗教法と自然の法則は完全に合致し、調和していることを意味します。その理由は、この2つの法則はいずれも、1つの源、つまり神に端を発していることによります。自然の法則から、仕事は人間が恩恵を得るための自然的な可能性を用意するための手段とされています。仕事や努力により、人間の本質的な才能が開花し、発展します。これは、宗教が人間に提示した方法であり、人間は精神的な成長において能力を活性化していくことになります。

人間が、安らぎのある生活を送り、懸念することなく神に従う行動ができるようにするためには、飲食物や住居、そしてそれ以外のものが必要であり、これらは全て仕事や努力により得られるものです。このため、人間の明白な権利は、物質的なニーズを満たすことですが、それにはこのニーズを満たすことで人間の精神的な成長が阻害されず、逆にこれが円滑化されることが条件です。これについて、シーア派5代目イマーム・ムハンマドバーゲルは次のように述べています。

「おお、神よ、我は生きている限りあなたに対し、人生の幸福、そして、あなたに従う力が得られ、天国に入れるような生活を求める」

数多くの伝承においては、イスラムの預言者ムハンマドとその一門の生活様式について述べられており、これらの偉人たちにとって仕事や努力が重要であったことが見て取れます。預言者ムハンマドの生活様式では、ムハンマド自身が幼少時代から労働し、努力していたことが伺えます。彼は、少年時代には羊飼いをしており、青年期には商業活動を営んでいました。また、神の預言者に任命されてからも、仕事をやめることなく、決して王侯貴族や為政者のような生活をしたことはありませんでした。預言者としての仕事は多忙を極めていました。彼が預言者としての時期の大部分を過ごしたメディナでは、イスラムの布教と防衛活動に従事していましたが、彼はほんの僅かな時間をも利用し、仕事や努力を行っていました。

預言者ムハンマドは、次のように述べています。

「神は、僕たちが、合法的な日々の糧を得るために労働し、疲れているところを見たがっている。水や土地を持っていながら、働かないために貧困に陥る人は、神の恩恵から遠ざかっている」

ここで、つぎのような言い伝えをご紹介しましょう。

ある日のこと、預言者ムハンマドは朝早くから働いている、力のある若者を見かけました。そこで、預言者ムハンマドに同行していた一部の人々は、次のように尋ねました。「この若者が、若さを神の道での仕事に費やしていたなら、賞賛に値したのではないでしょうか」 これに対し、預言者ムハンマドは次のように答えました。

「そのようなことを言うものではない。この若者が働いて必要性を満たし、他人の助けを必要としていないなら、それは神の道を歩んでいることになるのだ。また、力のない父親や母親、幼いわが子のために働き、彼らが人々からの助けを必要としなくなれば、この場合も神の道を歩んでいる」

預言者ムハンマドは、誰かに注目した時には必ず、その人の職業や技能について問いかけていました。そしてもし、特に職業がないという答えが返ってきたときには、彼は次のように述べています。

「見落としていた。敬虔な人が何の職業も持っていなければ、宗教を生活の手段とするものである」

預言者ムハンマドのこの言葉が意味しているのは、人間が貧困に陥る場合、その人の宗教信仰も損なわれ、生活費や必需品を得るために違法な行為に手を出す可能性がある、ということです。それでは最後に、預言者ムハンマドの祈りの言葉をご紹介することにいたしましょう。

「おお、神よ、我らに恩恵を与え、物質的な貧困から我らを守りたまえ。なぜなら、人々は日々の糧が得られなければ、宗教的な義務にも注目しなくなるからである」

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