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2016/01/31(日曜) 20:19

テレビの歴史シリーズ

テレビの歴史シリーズ

今週からイラン映画の重要なジャンルの一つ、歴史映画についてお話しすることにいたしましょう。この分野の重要な作品と、テレビの歴史シリーズを取り上げることにいたしましょう。

 

どの映画も、比較的固定した内容を持っています。鑑賞者はこうした内容によって作品をジャンル分けします。この内容の選別や決定は、多くの映画においては簡単な作業です。映画の鑑賞者は、あるジャンルの数々の作品を鑑賞した後、それに対する認識を見出します。一方で、歴史映画はこれに関してある程度複雑なものとなっています。評論家の多くは、「現在ではなく、過去の時代を描くすべての映画が、歴史映画と見なされている」としています。こうした中、中には、現代史の映画、現在起こっている出来事を描いた映画も、歴史映画に位置づけられる、と考える人々もいます。彼らは、「古代を描く映画は、戦争映画に位置づけられるべきだ」としています。

こうした見解に対して中庸な見方をすれば、歴史映画で、私たちは「歴史」という内容に直面します。それは映画の枠外で存在した要素であり、観客と直接関係をつなぐ可能性を有しています。簡単に言えば、この種の映画において、歴史はそれだけで真正性と価値、重要性を有しており、映画はその要求に応じて、観客との関係を築いているのです。こうした見方により、これらの映画の中の歴史は、時代を超えて、優れたドラマを作り出す要素に変わっています。その例は世界の映画にたくさん見られ、その中では歴史的な出来事や時代、人物が重要な役割を果たし、映画の骨組みがそれらによって形作られています。歴史映画の書籍では、現代史の史実に沿った映画メディアの中での歴史や記憶は、歴史映画に位置づけられるとされており、こうして歴史、社会、政治の重要な出来事に基づくテーマが歴史映画の基準と言われるようになりました。

一方で、こうした定義から離れるとき、あらゆる形の歴史映画は、観客や映画界の関係者にとって多くの魅力を持つものとなります。つまり、観客がこうした作品に関心を示せば、それだけ映画産業も最初から、歴史的な物語や出来事に明らかな関心を寄せ、様々な形でそれらを上映しているということです。世界の歴史映画は通常、政府の台頭と衰退、重要な戦争、技術の出現、学者による発見と革新、預言者や聖者たちの生涯と教えを提示しています。それらは現実の世界で決して起こりえない経験を描き、これは映画を見る楽しみにつながっています。歴史の再現は、映画作家が最初に考えるものの一つで、観客に大きな歓迎を受けた後、歴史映画の生産の流れは日ごとに拡大していきました。歴史映画は初め、イタリアを中心とするヨーロッパで、その後アメリカで成長し、20世紀になると、次第に映画産業を有する一部の国でも製作されるようになりました。

革命前のイラン映画における歴史は、映画関係者にとって、コメディーや恋愛ものを制作する多くの口実がありました。このような作品の歴史は、価値がほとんどなく、過去の思い出話に留まっていました。こうした中、民族の伝説や物語、詩に基づいて歴史を再現した作品を挙げることができますが、多くが、史実に忠実ではありませんでした。(カット)イランでは革命前、およそ1200本の映画が制作されましたが、その多くが価値のないものであり、歴史的な映画はその中には見られません。中には、旧約聖書の物語やイランのシャーナーメの物語を扱ったものもありましたが、それらも注目に値するような作品ではありませんでした。

イスラム革命後の映画の中で、映画制作者が、人間性や価値、道徳性といったテーマに注目を寄せたことから、次第に、歴史映画をはじめとする多様な作品が生まれるようになりました。このジャンルは歴史、宗教、民族の物語を提示する格好の機会であり、映画制作者が舞台や衣装、メーキャップ、演技、脚本、音楽などで経験を積む上で新たな機会を整えました。

イスラム革命直後の数年間、イラン映画はイスラムの歴史に関心を向け、宗教的な人物の生涯や歴史を扱っていました。1982年、『使節』と『花畑のイブラヒーム』が制作されました。前者はイスラム初期の実在の指導者、イマームアリーとアーシュラーの蜂起につながる数ヶ月間を描いたものであり、後者は預言者イブラヒームの生涯を扱った子供向けの作品でした。

1990年代の初めまで、イラン映画で、歴史映画はほとんど作られていませんでしたが、次第に、このジャンルの映画が制作者によって受け入れられるようになりました。1994年、『預言者アイユーブ』という作品が制作され、これはこのジャンルに再び参入しようという前向きな努力と見なされていますが、実際、多くの欠点を持ち、専門家や人々から支持されませんでした。しかしながら、同じ年に制作されたシャハラーム・アサディの『出来事が起こった日』は、イランの歴史・宗教映画の分野の理想的な作品と見なされています。適した要素の利用と魅力的なシナリオ、そして優れた俳優陣により、一般の人々やファジル国際映画祭の審査委員、評論家の支持を得ました。

この作品の物語は次のようなものです。

アブドッラーは、もともとキリスト教徒でしたが、イスラムに改宗したばかりで、高貴な一族のイスラム教徒の娘ラーヘレと結婚しようとしていました。結婚式の最中に彼は何度も、助けを求める声を聞きます。アブドッラーは、結婚式場から去り、荒野から荒野へと、彼をカルバラに呼ぶ声のほうに向かっていきます。アブドッラーは夕方になって、イマーム・ホサインとその教友たちが殉教した後にカルバラにたどり着き、この蜂起とその後の罪ある行為を目の当たりにします。そして帰途に着き、カルバラで起こった出来事を明らかにするのです。

この映画の主人公、アリーレザー・ショジャーヌーリーは、作品の制作から18年後にこのように語っています。「イマーム・ホサインへの愛情だけがこの映画の制作の主要な動機であり、これにより、数年たってもこの映画の人気は衰えていない」

『出来事が起こった日』は、啓示に基づいており(霊感をテーマにしており)、このため、表面的、精神的な旅に基づいてそれを語る枠組みが形作られています。アブドッラーはこの旅の中で、成熟し見識を高めます。イランの神秘主義文学、さらに英雄伝の中でも、長い旅路の中で真理を捜し求めることは重視されており、イランの古い神秘主義文学における7段階の形式がモデルとなっています。

『出来事が起こった日』は、叙情的な作品ですが、通常のそれとは異なり、その内部で愛情の深い意味を育成する作品です。実際、アブドッラーは、この旅の中でラーヘレへの愛情をこえて、イマームホサインの存在の中にある真理と公正に対して愛情を注ぐのです。

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