天からの言葉 http://japanese.irib.ir Wed, 18 Oct 2017 14:25:02 +0900 ja-jp アル・キャアフ章(2) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/61163-アル・キャアフ章 http://japanese.irib.ir/component/k2/item/61163-アル・キャアフ章 天からの言葉 Sat, 02 Jan 2016 18:28:46 +0900 アル・キャアフ章(1) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/60922-アル・キャアフ章 http://japanese.irib.ir/component/k2/item/60922-アル・キャアフ章 天からの言葉 Wed, 23 Dec 2015 23:29:32 +0900 アル・イスラー章(2) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/60513-アル・イスラー章 http://japanese.irib.ir/component/k2/item/60513-アル・イスラー章

 

「汝の主は、神以外を崇拝してはならず、両親に孝行するよう命じられた。もし両親のどちらか、あるいはその両方が汝の許で老齢に達しても、彼らを侮辱したり、邪険にしてはならず、彼らと丁寧に敬意を持って話すがよい。また、優しい気持ちで、両親に対して謙虚さの羽を垂らし、言え、『神よ、彼らに慈悲を授けたまえ。子供の頃、彼らが私を育ててくれたように』」

イスラムでは、唯一神信仰があらゆる善い行いの基盤となっています。それについてコーランは、両親に対する孝行を強調し、数多くの節の中で、親孝行を、唯一神信仰や神への服従とともに述べています。親子の愛情に基づく絆は、非常に貴重な関係であり、社会の存続は、それにかかっています。そのため、神は、親孝行と、育ててくれた親への感謝を特に強調しているのです。コーランによれば、両親は、たとえ不信心者であったとしても、尊敬すべき存在です。

アル・イスラー章の第23節と24節では、子供は両親を大切にし、彼らに敬意を表すべきだと述べられています。また、老齢に達した際について、次のように語っています。「両親のうちの一人、あるいは両方が老齢に達しても、彼らに少しでも侮辱的な言葉をかけてはならない。彼らへの愛情を惜しんではならない。また、彼らに対して大きな声を出さないように。優しく慎重な言葉で寛大に話なさい。彼らに対して謙虚でありなさい。そして、『神よ、彼らに慈悲を与えてください。幼い頃に彼らが私を育ててくれたように』と言いなさい」

ある日、年老いた父親が預言者に向かって言いました。「私はかつて、財力も力もあったため、子供を助けていました。でも今、子供は金持ちになったのに、私を助けてくれません」 預言者は涙を流して言いました。「何と残念な話だろう」 それから、その子供に向かって言いました。「あなたとあなたの財産は、父親からのものだ」 コーランは、このような優れた教育方法により、両親へのわずかな侮辱をも許さないのです。

アル・イスラー章はその後、親戚、恵まれない人、旅の途中で困っている人を助け、それにおいて、節度を守るよう述べています。コーランの節では、中庸さ、節度を守ることが強調されています。アル・イスラー章の第29節には次のようにあります。

「[出し惜しみをして]自分の手を首に縛り付けてはならない。また、後悔に苛まれながら、[家に]こもることになるほど、両手を完全に広げてもならない」

この節にある、「自分の手を首に縛り付けない」という表現は、首に手が縛り付けられ、施しや支援を行えないような、けちな人間であってはならないという意味です。その一方で、両手を広げすぎて、自分が困るようになるほど、闇雲に施してはなりません。時に、限度を超えた施しは、人間を無力にし、人間が活動を続け、生活を整えるのを妨げてしまいます。

ある日、預言者ムハンマドの家に、物乞いがやって来ました。預言者は施す物が何もありませんでしたが、物乞いはシャツを求めました。預言者は、自分の唯一のシャツを彼にやりました。しかしそのために、預言者は、その日、礼拝のためにモスクに赴くことができませんでした。そのとき、この章の第29節が下され、唯一のシャツを人にあげるのは、ふさわしくないというメッセージを与えました。

不義や不当な殺害を避けること、孤児の財産を使わないこと、売り物の量をごまかしたり、高慢になったり、といった行動を避けること、これらは、この先の節で語られている事柄です。第33節には次のようにあります。

「神が殺害を禁じ[、尊いものとし]ている人の命を不当に奪ってはならない。誰でも不当に殺害される者には、まことに我々は、その保護者に[報復の]権利を決めさせる。だがその人は、権利以上を求め、殺害や報復に対して限度を超えてはならない。なぜなら彼の保護者は限度を超えない限り、神の加護を受けているからである」

人間の命を尊重することは、すべての啓示宗教や人類の法が注目している問題ですが、イスラムはこの問題を特に重視しており、コーラン第5章アル・マーイダ章食卓では、一人の人間を殺すことは、すべての人間を殺すことに等しいとされています。そしてもし誰かが不当に殺人を犯せば、殺された人の血が尊重され、その保護者には報復刑が許可されます。この節によれば、罪もないのに誰かが殺された場合、その保護者は報復刑を求める権利を持ちますが、同時に、その権利以上のことを求めたり、殺害において節度を越えてはなりません。殺された人物の保護者は、自らの領域を越えなければ、神の助けを得られます。

あらゆる社会では、様々な出来事のために、孤児が生まれます。彼らは人間性の側面から、社会の善を求める人々の保護の元に置かれることが望ましくなっています。そのため、イスラムは、この問題を特に重視しています。アル・イスラー章の第34節では、すべての人に、孤児の権利や財産の侵害を禁じています。この節はまず、孤児の財産を保護することの重要性を挙げ、次のように語っています。

「孤児の財産に近づいてはならない」

孤児の財産を使ってはならないだけでなく、それを大切にして近づいてはならないとしています。しかし、それが無知な人々の口実となり、孤児の財産が放り出され、様々な出来事に委ねられてしまう恐れがあるため、その後でその例外が述べられています。

「ただし、最高の方法である場合は別である」 このように、孤児の財産を保持したり、増やしたり、それが減ってしまうのを防ぐために、自分の財産を守る力のない孤児たちが、成人に達し、自分の財産を守ることができるようになるまで、孤児を助けることが許可されています。

第39節から先は、唯一神の信仰と多神教信仰の否定に関して述べられています。その後、神の偉大さを証明するために、世界のすべての存在物が、至高なる神の性質を称賛する問題に触れ、第44節には次のようにあります。

「7つの天と大地、そしてそこにある全てのものは、神を讃える。すべての存在物は、硝酸によって神を褒め称える。だがあなた方は、彼らの賞賛を理解しない。まことに神は、忍耐強く寛容な方であられる」

コーランは数々の節の中で、創造世界の存在物の神への賞賛について語っていますが、その中でも最もはっきりと述べているのは、「天と大地、惑星や人間、動物、すべての世界の存在物が、例外なく、神を称賛している」とする、この節だと言えます。言い換えれば、創造世界が一斉にそれを囁いているのです。あらゆる存在物は、それぞれ独自に神を称賛し、世界の至るところで、神を求める叫びが聞こえています。しかし、無知な人々にはそれが聞こえません。一方で、心に信仰の光をともしている人々は、その声を魂によって聞いているのです。

賞賛とは、あらゆる欠点を免れていることを意味します。創造の驚くべき秩序は、この世界の創造主である神には、何の欠点も欠陥も存在しないことを物語っています。創造物は、心の叫びにより、神の無限の知識や力、包括的な英知など、神の優れた性質について語っています。

アル・イスラー章の第78節には次のようにあります。

「太陽が中天を過ぎて傾き始めたときから、夜の暗闇が訪れるまで礼拝を行いなさい。また朝の礼拝も。朝の礼拝は観察されている」

この節と次の節は、礼拝と唯一神への注目、崇拝の問題を取り上げています。それらは、多神教信仰と戦うための力を与え、悪魔の誘惑から解放されるためのきっかけになるものです。礼拝は人間の神のことを想い起こさせ、罪という穢れを人間の心や魂から拭い去ります。礼拝は、精神衛生に多くの影響があり、あらゆる罪や醜さを防ぐものとなります。第78節と79節は、5回の礼拝のだいたいの時間について触れていますが、その正確な時刻や詳細については触れていません。しかし、他の節や伝承では、5回の礼拝の時刻が明らかにされています。

コーランの重要性については、アル・イスラー章のいくつかの節の中で述べられています。この章の第82節は、コーランが人間の精神の健康におよぼす重要な役割に触れ、それは個人や社会の混乱を癒すものだとしています。

「コーランから下したものは、敬虔な人々にとって、慈悲と癒しの源になる。だが圧制者にとっては、損害を増やすだけである」

実際、コーランは、人間の思想的、道徳的なあらゆる病を取り除いてくれます。コーランの至高なる教えを受けた人々は、人間的な美徳を身につけるのです。

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天からの言葉 Tue, 08 Dec 2015 23:12:38 +0900
アル・イスラー章 http://japanese.irib.ir/component/k2/item/59010-アル・イスラー章 http://japanese.irib.ir/component/k2/item/59010-アル・イスラー章

 

「慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において。神は清らかで無謬の存在であり、僕[であるムハンマド]を、夜の間にマスジェドルハラームから、周囲に祝福を与えたマスジェドルアクサーへと一瞬にして旅させた。それは、自らのしるしを彼に示すためである。まことに神はすべてをよく見聞きなさる方である」

この章の第1節は、預言者ムハンマドの天界飛行のきっかけとなった、カアバ神殿・マスジェドルハラームからアクサーモスクへの夜間の旅について述べています。この旅は、たった一晩のうちに行われ、当時の人類の可能性では普通に考えれば不可能なことで、完全に常軌を逸していました。コーランの節や伝承によれば、預言者の天界飛行は、間違いなく実際に起こった出来事です。そのため、神は一夜にして、預言者をメッカにあるマスジェドルハラームから、パレスチナにあるアクサーモスクへ、そこから天へと移動させました。預言者はその夜、天界と創造の奇跡を目にし、非常に高い知識を手にしました。

一部の伝承によれば、預言者ムハンマドは、アクサーモスクで、イブラヒーム、ムーサー、イーサーといった偉大な預言者と共に礼拝を行い、その際に導師を務めました。その後、預言者ムハンマドの天の旅はそこから始まり、7層の天を次々に旅しました。そして天において、それまで見たことのないような場面を目にし、預言者や天使たちに会いました。また、天国と地獄を目にし、天国の人々の居場所とそこにある恩恵、また、地獄の人々の責め苦を目にしました。預言者はその光に溢れた世界で、神に近づき、最高の精神性に至りました。そこで、世界の創造主である神から語りかけられ、至高なる神から、重要な指示を受けました。この旅については、多くのことが語られています。この天界飛行の中で、5回の礼拝が預言者に義務付けられ、大天使ジブライールが預言者と共に、この礼拝を行いました。この礼拝は、世界のイスラム教徒が、夜と昼を通して5回行う宗教義務となっています。

預言者はこの旅の中で、広大な世界における神の偉大さの痕跡を目にし、至高なる神に祈りを捧げ、神の預言者たちと会った後、その夜、まだ日が昇らないうちにメッカに戻り、そこで朝の礼拝を行いました。預言者は天界飛行の中で、完全に意識がはっきりしており、それを単なる精神的な旅だと考える一部の人々に反し、それは肉体的、物理的なもので、預言者の魂も肉体も、この旅に参加しました。この夜間の旅は、神が、自らの偉大さを預言者に示し、それらを目にさせることで、さらなる偉大さを身につけ、人々を導くための用意を高めさせようとしたものでした。言い換えれば、天界飛行の目的は、この物質的な世界に対する人類の理解力を高め、人々の前に新たな展望を広げることにありました。シーア派6代目イマーム、サーデグは、天界飛行が起きた理由について、次のように語っています。「神は決して特定の場所を持たない。また特定の時間にも限られない。だが神は、預言者に天界を旅させることで、天使や天上界の人々への敬意を抱かせ、その驚異的な偉大さを示し、戻った後に、それを人々に語らせようとした」

天界飛行から戻った後、預言者はベイトルモガッダスに行き、そこからメッカに向かいました。預言者は道の途中でクライシュ族のキャラバンに出会いました。彼らはちょうどラクダを見失ってしまい、探しているところでした。神の預言者ムハンマドは、メッカに戻った後、人々に、この旅の重要な出来事を語って聞かせました。しかし、クライシュ族は、それまでと同じように、預言者を否定しました。預言者はメッカとベイトルモガッダスの間で起こった出来事、クライシュ族のキャラバンがラクダを見失ってしまったことを話しました。それからまもなく、アブーソフィヤーンのキャラバンが現われました。彼らは、預言者の言葉が正しいことを証明していたのです。

アル・イスラー章の第2節から8節は、イスラエルの民の歴史を物語っています。第4節から先は、この民の2回の堕落と反抗を述べています。
エ「我々は聖典の中で、イスラエルの民に対し、『あなた方は2度、地上で腐敗を行い、はなはだしく高慢になり、反抗するだろう』と宣言した」
その先の節では、イスラエルの民のたどった運命が2つの段階に分けて説明されています。

「最初の約束がおとずれ、あなた方が腐敗や流血、圧制や裏切りを行っているとき、我々は力のある戦う僕たちをあなた方の許に送り、あなた方の行いを理由に、あなた方を打ち倒させるだろう。この戦士たちは、あなた方を探し出すために、あらゆる家や町を探して歩く。この約束は必ず実現される。それから再び、あなた方は神の恩寵に授かり、彼らに勝利するだろう。また、多くの富や子孫によって強化され、我々はあなた方を、敵の数よりも上回らせる。もし善を行えば、それは自分たちによいことをしたのであり、悪を行えば、それは自分たちに悪いことをしたことになる。そこで、2度目の約束が訪れる。そのとき、新たな力強い戦士たちがあなた方に勝利する。彼らは大きな災難をあなた方にもたらし、あなた方の表情には、深い悲しみが溢れることになる。彼らはアクサーモスクに入る。彼らは初めて入ったときと同じように、自分たちが支配下に置いた全ての土地を破壊する。それでもなお、罪を悔い改め、立ち返る扉は閉ざされていない。それでもなお、神はあなた方に慈悲をさずける可能性がある。だが、もしあなた方が、再び腐敗に陥り、優越主義に走るのであれば、我々もまた、再び怒りを下すだろう。[これは現世の懲罰であり、]我々は不信心者のために、地獄を辛い牢獄とした」

"イスラエルの民の反抗や腐敗は2度に渡る"とされていますが、それがどの歴史的な出来事を指しているのかについては、研究者の間で様々な見解があります。しかし、いずれにせよ、イスラエルの民は歴史の中で、多くの出来事を経験してきました。そして今も、シオニストと呼ばれるこの民の過激なグループが、反抗や腐敗、侵略を行っています。彼らはパレスチナの領土を強奪し、そこに住む人々を追い出し、パレスチナ人の男女や子供を殺害しています。また、いかなる原則や法も守っていません。

コーランによれば、イスラエルの民の堕落と彼らの失敗を伝えることは、単に出来事を伝えるためのものではなく、圧制や堕落が、神の御前で放置されることはないことを知っておくようにという教えとなっています。この節が未来の人々に伝えているのは、正しい道を選べば、救われ、栄誉を得ますが、反抗すれば、悪い運命が待っている、ということです。いずれにせよ、あらゆる共同体の善い行い、悪い行いの結果は、彼ら自身に返ることになるのです。

コーラン第16章アン・ナフル章蜜蜂、第9節と10節には、コーランが、最も確かな道へと導くものであることを明らかにし、善を行う敬虔な人々に、偉大な報奨という吉報を知らせ、来世を信じない人々には、責め苦を約束しています。

アン・ナフル章の第11節では、人間の性急さに触れ、人間は善を求めるように、性急さや無知のために悪をも求めるとし、それは人間が常に急いでいるためだとしています。このように、この節は、人間は元来、性急な生き物であるとしています。性急さは、人間の行動や思想にとっての害悪です。より多くの利益の獲得を急げば急ぐほど、そのすべての側面に注目することができなくなります。またそれにより、本当の善を見分けられなくなり、時に反抗的な本能によって真実を変えられ、善ではなくて悪を追求してしまうことがあります。実際、不信心の理由の一つは性急さによって善と悪を誤ってとらえることにあるのです。

次の節は、夜と昼の創造と、その恩恵、世界の清算の存在に触れています。こうして人間に、神のことを知り、自らの行いの結果に注目させています。

「我々は夜と昼を2つのしるしとした。それから夜のしるしを消し、昼のしるしを光とした。それによって、あなた方の主に恩恵と日々の糧を求めて[努力]させ、年月を知ることができるように。我々はすべてのことを明らかに述べた」

創造の秩序において、夜と昼は実際、計画を立てるための手段であり、容易に理解できる自然の暦です。創造世界のすべてが、暦や数字を軸に動き、この世界のどれも、そうした計算なしには存在していません。当然のことながら、人間もこの秩序の一部であり、計算なしに生活することはできないのです。

 

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天からの言葉 Mon, 19 Oct 2015 17:55:15 +0900
アン・ナフル章(3) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/58687-アン・ナフル章(3) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/58687-アン・ナフル章(3)

 

アン・ナフル章の第90節は、道徳的、人間的、社会的な問題に関するイスラムの最も包括的な教えの例を述べ、次のように語っています。
エ「まことに神は、公平さや善い行い、身内や親類に対する寛容さを命じ、他人に対する侵害や醜い行いを禁じる。神はあなた方に訓戒を与える。恐らくあなた方は受け入れるであろう」

公平さとは、創造世界のすべてが中心に据える原則です。天と地、全ての存在物は、公正によって打ち立てられています。この広大な世界の一端を担う人類社会もまた、そのような世界の法則の例外ではありません。公正なくしては、人間としての健全な生活を続けることはできないのです。公正は、非常に重要な要素ですが、時に、それだけでは十分ではありません。そのためこの節では、公平さと共に、善い行いという言葉が出てきます。この2つは共に、社会の改善に大きな役割を果たします。シーア派初代イマーム、アリーは、次のように語っています。「公平さとは、人々の権利が守られることであり、善行とは、人々に優しく親切にすることである」

この節では、圧制、堕落、醜い行いから遠ざかるよう命じ、人間に対し、他人への侵略や圧制を控えるよう求めています。この節は、イスラムの世界的な憲章として、常に、思想家たち、特にコーラン研究者たちの注目を集めてきました。なぜなら、世界に公正や善行が広まり、堕落や醜い行い、圧制といった逸脱への対処がなされれば、あらゆる堕落や災難の存在しない、穏やかで繁栄した世界が作られるでしょう。

一人の男が、預言者のもとにやって来て言いました。「私の近所にゲイスという名前の人物が住んでいます。彼は私の土地の一部を無理やり、奪っています」 預言者は、ゲイスを呼んで、この問題について尋ねました。彼は、すべてのことを否定しました。そのため預言者は、神に誓うよう言いました。ゲイスが立ち上がって、誓いを立てようとしたとき、預言者は彼に猶予を与えて言いました。「今日のところは帰って、これについて少し考えなさい。それから誓いを立てなさい」 その後、人々に、偽って誓うことと、その結果を避けるように呼びかける節が下されました。預言者がこの節を読んだとき、ゲイスは言いました。「その通りです。私は枯れの土地の一部を奪いました。でも、どのくらいなのかは分かりません。今、彼の取り分を返還し、それに相当する分も加えて与えるつもりです。それはこの期間に、私が彼の土地を利用してきた分です」

そのとき、アン・ナフル章の第97節が下され、信仰を持ちながら善い行いをした人々に対し、清らかな人生という吉報が与えられました。
エ「敬虔な人間ならば、男であろうと女であろうと、誰でも相応しい行いをするだろう。我々は明らかに、その人に清らかで幸せな人生を送らせるだろう。我々が彼らにあたえる報奨は、その行いよりも好ましいものとなる」

善行と信仰の結果は、現世における清らかな生活です。清らかな生活とは、圧制や裏切り、憎しみやわだかまりといった、あらゆる穢れのない生活のことです。社会的にも、安らぎと安寧、平和、友愛に満ちた社会の実現を意味します。そのような社会では、混乱はなく、圧制や犯行、侵略による苦痛からも離れています。

アン・ナフル章の第114節は、人々に対し、神が日々の糧として与えた者の中から、清らかで合法なものを食べ、神の恩恵に感謝するよう求めています。イスラムは、禁欲を認めていません。そして人々に対し、神から与えられる日々の糧を、合法で清らかなものである限り、利用し、恩恵に感謝を捧げるよう求めています。このように、穢れた食事を食べることは禁じられています。また、禁じられた方法によって用意された食事を口にすることも、たとえ、それ自体は清らかな食事であったとしても、禁じられています。

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天からの言葉 Wed, 07 Oct 2015 20:13:46 +0900
アン・ナフル章(2) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/58120-アン・ナフル章(2) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/58120-アン・ナフル章(2)

 

アン・ナフル章の第48節には次のようにあります。
「彼らは神の創造物を見なかったのか。どのようにしてそれらの影がミギに左に動き、神のために謙虚に平伏すのかを」

この節は、神の偉大さの別のしるしに触れています。ここでは、神が様々なものの影を、その偉大さのしるしとして右に左に動かすことが提起され、それらは、主のために平伏す状態にあるとしています。言い換えれば、それら自体だけでなく、その影など、様々なものの痕跡も、神に対して謙虚であると言っているのです。

明らかに、様々なものの影は、私たちの生活において大きな役割を担っています。太陽の光が、生物の生活の源であるのと同じように、その影もまた、光りの強さを調節するために、重要な役割を果たしています。太陽の一定の光が、それも長い間、照らされれば、すべてのものが枯れ果ててしまいますが、影の優しさが、それらをバランスの取れた状態に保ちます。この節は、影が平伏す状態について語っていますが、次の節は、それを、全ての生物に共通の事柄として述べ、次のように語っています。

「天と地にあるすべてのものは、生物も天使たちも、神に平伏し、高慢になることはない」

平伏すという行為は、最大の謙虚さです。全ての存在物が、それらの影さえも、神に対して謙虚であるとき、なぜ人間は高慢になり、反抗するのでしょうか。創造世界における神の全ての創造物は、世界の共通の法則に従っています。一方で、この法則は皆、神からのものです。そのため、実際、すべてのものが神に平伏しているのです。天と地にある全ての生き物は、神に平伏す、という表現は、大地だけでなく、天にも、生き物が存在することをはっきりと示しています。

アン・ナフル章の第65節から数節は、神の様々な恩恵に触れています。まず、このようにあります。「神は天から雨を降らせ、死んだ後の大地を、それによって蘇らせる」 大地が天から降る雨によって蘇ることは、コーランの数多くの節の中で提起されています。乾いて死んだ大地は、次から次へと降る雨によって、またそれに続く太陽の光によって動き出します。様々な種類の花や植物が大地に顔を出し、それに続いて、昆虫や鳥、様々な動物が、生をささやき始めます。これは本当に、創造の傑作のひとつです。

コーランは、次の節、第66節で、家畜の存在という恩恵に触れています。
「また、明らかに家畜の存在の中には、あなた方にとっての教訓がある。我々はあなた方を、彼らの腹の中にあるものから、消化された食べ物、血液の中から、飲むためのきれいな乳で満たす」

乳という純粋で清らかな物質、エネルギーを与えるおいしい飲み物は、血液の中から、老廃物の混ざった消化された食べ物の中から得られます。穢れた嫌悪すべき源から、このような有益でおいしい、きれいなのものが手に入るというのは、実際、驚くべきことです。

神の恩恵に関して述べた節に続き、アン・ナフル章の第68節では、蜜蜂と、ハチミツという重要な食べ物について述べられています。

「汝の主は、蜜蜂に啓示を下した。山や木、人々が作る棚に巣を選ぶようにと。そこで、全ての果実から食べ、汝の主の道を謙虚に進みなさい。彼らの腹の中からは、色とりどりの飲み物が出される。その中には、人々の薬がある。この中には、考える人々にとってのしるしがある」

この節は、蜜蜂に対し、山や木、その他の場所に巣を作るよう啓示が下されたと述べています。コーランでは、啓示という言葉が、様々な意味で使われています。例えば、神の預言者たちに対する啓示、神がムーサーの母親に下した啓示のように、神からのインスピレーションを意味する啓示、そして時には、蜜蜂をはじめとする生物の中に神が与えた、本能的な啓示があります。

コーランは、蜜蜂の神秘的な生活に触れています。現在、科学的な研究により、蜜蜂は、驚くべき集団生活を有していることが分かっています。この節では、まず、蜜蜂の役目は、巣を作ることとされています。私たちはよく、蜜蜂の巣を目にします。蜜蜂は六角形の家を、非常に緻密に、正確に作ります。コーランで指摘されているように、この巣は時に、山の中の険しい岩の間に、また時には木々の枝に、あるいは、人間が提供するくぼんだ場所などに作られます。蜜蜂の行動も興味深いものです。朝になると、蜜蜂の集団が、花のある地域を確認するために巣から出て行きます。彼らは、不思議な方法によってそれを確認した後、巣から花までの距離や方向を、仲間たちに伝えます。その上で、彼らは様々な色とりどりの花の蜜を吸います。これにより、蜜蜂から出される特別な飲み物、液体は、様々な色をした花や果実のエキスです。このような清らかな飲み物は、人間にとって、特別な効果があります。人間はハチミツを通して、花や植物の治療の効果を得ます。蜜蜂のような小さな昆虫による、巣の作り方、花の利用、ハチミツの生産は、世界の創造主である神の偉大さを示す明らかなしるしです。

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天からの言葉 Wed, 16 Sep 2015 20:07:52 +0900
アン・ナフル章(1) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/57207-アン・ナフル章 http://japanese.irib.ir/component/k2/item/57207-アン・ナフル章

コーランの章を知ることは、コーランについてよりよく知り、その偉大な教えについて考えるための一歩となるでしょう。今回の番組では、コーラン第16章アン・ナフル章蜜蜂についてお話しましょう。

 

アン・ナフル章は全部で128節あります。この章の一部はメッカで、別の部分はメディナで下されました。この章は、何よりも、神の恩恵について語られています。こうした恩恵の中には、雨、様々な植物、果物、食料があります。また、人間のために奉仕し、多くの恩恵や利益をもたらす動物についても触れられています。この章の説の目的は、人間に、こうした多くの美や恩恵への注目を促し、人間の感謝の気持ちを強化することにあります。この章は、その中で、蜜蜂や、この昆虫の生活に存在する神のしるし、栄養価の高い治療効果のある物質であるハチミツについて述べられているため、「アン・ナフル=蜜蜂」と名づけられています。この章では、唯一神信仰、創造の偉大さ、復活、多神教徒の脅威といった事柄についても述べられています。また、正義、善、移住、神の道における戦い、圧制や不道徳、約束の反故の否定、悪魔のささやきについても語られています。

 

イスラムの預言者が、反対者や多神教徒たちと対立し、彼らの多神教信仰や偶像崇拝をやめさせようとしていた頃、預言者と激しく対立していた人々は、「もしあなたが本当のことを言っているのなら、私たちに責め苦を下すよう、神に求めてほしい」と言っていました。しかし神は、慈悲により、彼らへの責め苦を遅らせ、彼らが深く考え、頑なな心を捨てて慈悲に授かることができるように、猶予を与えていました。しかし彼らは、その機会を有効に利用せず、日々、その敵対を強め、神の預言者を侮辱したり、嘲笑したりしていました。彼らに答え、また神の預言者の心を慰めるため、この章の前半の節が下され、彼らに、そのような行いを急がないように、としています。

 

アン・ナフル章の第1節と2節には、次のようにあります。

「[多神教徒の懲罰に関する]神の命が下った。だからそれを急いではならない。神は無謬であり、彼らは神に同等のものを配するが、神はあらゆるものよりも高くあられる。神は天使たちを、神の命である啓示と共に、望む僕のもとに送られる。人々に警告を与えさせるために。『私の他に神はいない。だから私のみを崇拝しなさい』と」

 

アン・ナフル章の節は、多神教崇拝を根絶し、唯一の神に人々を注目させるために、2つの道から入っています。一つは、創造主の偉大さと創造の驚異的な秩序による理性的な根拠を通じてであり、もう一つは、神の様々な恩恵を述べることによってです。例えば、この章の第3節から先には、神の数々の恩恵が述べられています。第3節と4節には次のようにあります。

「天と地を正しく創造した。神は彼らが同等に配するものよりも優れている。人間を精液から創造した。その上で人間は明らかに敵対する」

天と地の創造に触れた後で、人間について、価値のない精液から創造されたものだとし、同時に、人間は創造主に対して敵対を表明するほど、高慢な存在であるとしています。

 

人間の創造の後では、家畜と、それらがもたらす様々な効果という重要な恩恵にが述べられています。アン・ナフル章第5節と6節には次のようにあります。

「また家畜を創造した。家畜には、あなた方のために、覆う手段やその他の利益があり、それらの肉を食べる。あなた方にとって、それらの中は、放牧から戻るとき、またそれらを放牧に連れ出すとき、壮麗さと魅力がある」

 

家畜が人間にもたらす様々な効果には、3種類あります。一つは、衣服や覆いをもたらすこと。家畜の毛や皮を利用することにより、人間は覆いを作ります。洋服やシーツ、靴や帽子、テントなどです。二つ目は、乳や副産物などの恩恵、三つ目は肉です。興味深いのは、これら全ての効果の中で、何よりもまず、衣服と住居が提起されていることです。それは、多くの人々、特に遊牧民が、羊毛や皮から着る物を作り、彼らを寒さや暑さから守ってくれるテントを作っているためです。いずれにせよ、それが、衣服や住居が何よりも優先されている由縁です。

 

コーランは、この家畜の物質的な通常の利益だけに留まらず、家畜を有することにより精神的な効果にも触れ、「これらの家畜を放牧から連れ戻すとき、また朝にそれらを放牧のために山や荒野に送り出すとき、あなた方にとって、特別な魅力がある」と語っています。羊や家畜が、荒野や草原へと集団で向かう光景、その後、休む場所へと戻る光景は美しく、社会の努力や活力を物語っています。実際、それは、社会の壮麗さは、活力と努力にあるのであって、停滞の中に、それは見られないということを示しています。明らかに、自然の恵みを合理的に利用し、農業や畜産業を発展させる社会は、自給自足を達成し、貧困から解放されます。

 

コーランは、家畜が人間にもたらす重要な利益について、アン・ナフル章の第7節と8節で次のように語っています。

エ「彼らは何度も、苦労しなければ届けられないようなあなた方の荷物を運ぶ。まことにあなた方の主は、慈悲深い方であられる。馬やらば、ロバを創造したのは、あなた方が彼らに乗り、またあなた方を飾る源になるようにするためである。神は、あなた方が知らない、多くのもの[、別の移動の手段]を創造する」

 

神の慈悲のしるしの一つは、家畜を力強く創造し、それらを人間に従わせたことです。注目に値するのは、テクノロジーと機械的な生活の時代である現代においても、谷や急な坂、山岳の険しい場所を通過する際など、多くの場合に、最良の手段は、家畜を利用することだということです。第8節では、人間が乗る動物が挙げられています。神は馬やらば、ロバを、人間が乗って移動できるように創造しました。それらに乗ることは、安らぎの源でもあり、栄光と華やかさでもあるのです。

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天からの言葉 Sun, 16 Aug 2015 17:18:24 +0900
ヒジル章(4) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/56316-ヒジル章(4) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/56316-ヒジル章(4)

 

ヒジル章は、楽園について述べた後、神の偉大な2人の預言者、イブラヒームとルートの物語を語っています。これらの節は、神の天使が、見知らぬ客人として、イブラヒームに子供の誕生と言う吉報を伝えるため、またルートには、天からの災難が降りかかると宣言するために、この2人の預言者のもとにやって来る出来事を語っています。これらの節は、イブラヒームとルートが、天使たちと交わす会話を述べています。ルートの民は、同性愛という醜い行いと罪に陥り、道徳的な逸脱に走っていました。その結果、彼らには厳しい責め苦が下り、彼らの辿った運命は、歴史の中で、他の民たちにとっての教訓になったのです。

これらの物語の後、ヒジュルの民の物語が、第80節から84節で述べられています。ヒジュルの民は、ヒジュルという土地で豊かに暮らしていた反抗的な人々で、彼らを導くために、預言者サーレハが遣わされました。しかし彼らは、神の預言者を否定していたのです。一部の歴史家の記述によれば、この町は、メディナと、現在のシリアにあたるシャームの間にありました。現在、この町の痕跡は残っておらず、歴史に葬り去られています。この土地では、現世の生活の豊かさを求めて努力する民が暮らしていました。彼らが暮らす場所は、山岳地帯にありました。彼らは豊かな富と、進歩した物質的な文明を有し、その富によって、山の中に、洪水や嵐などの自然災害にも耐えうるような、安全で強固な家を作っていました。一方で彼らは、道徳的に退廃した人々でした。神は、彼らを改め、導くために、預言者たちを遣わしましたが、彼らは物質的な豊かさにどっぷり浸かり、富や財産を誇っていたため、神の命と、預言者たちの導きに背を向けていました。彼らは、神の節を聞こうとさえ、しませんでした。そして、この節を嘲笑し、堕落と反抗に陥ったため、神の怒りを買ってしまったのです。

コーランは次のように語っています。「とうとう、朝に天の叫びが彼らに下った。この叫びは、稲妻の轟きであった。彼らの家は崩れ落ち、彼らの魂のない遺体が地面に倒れた。天にそびえる山々も、安全な家々も、この反抗的な民の溢れるような富も、彼らにとって何の約にも立たず、彼らを神の責め苦から救うことはなかった」

ヒジュル章の終わりの幾つかの節は、イスラムの預言者ムハンマドの公の導きについて語っています。第94節と95節には次のようにあります。
「[預言者よ、]汝が使命とする事柄を明らかにし、多神教徒に背を向けるがよい。まことに我々は、嘲笑する者に対して汝を十分に守るだろう」

イスラムの預言者は、3年間、密かにイスラムの布教に努めます。しかし、この跡、神から、公然と多神教徒を導き、宗教の審理をはっきりと述べ、多神教徒に背を向けるように、という命じられます。とはいえ神は、預言者の心を強化するため、嘲笑する者たちに対して、預言者を支援すると約束します。神はこのように語っています。「我々は嘲笑する者に対して、汝を守るであろう。神と同等に別のものを配する人々は、まもなく、その行いの結果を見ることになる。我々は、彼らが言うことに、汝が心を痛めているのを知っている。だが、心を痛めてはならない。彼らの醜い言葉の影響を取り払うため、汝の主を称賛しなさい。そしてその清らかな本質の前に平伏しなさい。なぜなら、神への称賛と崇拝は、汝に力を与え、神との結びつきを強固なものにし、汝の意思を強くするだろう。汝はここで、これからの危険を伴う任務を遂行する中で、神のみを支えにするべきである。神は間違いなく、汝の援護者である」

歴史の中で、偽りは常に真理に抵抗し、それを戯言と捉えてきましたが、真理の支持者は、神を支えにし、神を称賛して崇拝し、神の無限の力に助けを求め、偽りに対抗しているのです。

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天からの言葉 Sun, 12 Jul 2015 22:51:06 +0900
ヒジュル章(3) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/54868-ヒジュル章(3) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/54868-ヒジュル章(3)

 

ヒジュル章の第26節から42節までは、創造の大傑作である人間の創造について述べ、その詳細について触れています。これらの節では、神は人間を、黒く乾いた土から創造し、そこに魂を吹き込んだとされています。言い換えれば、人間は元々、土でできています。人間の生命の持続もまた、土から生まれる物質によって、栄養を採ることによります。一部の節では、人間は最初、土から創造され、その後、精液によって増えていった、という点が取り上げられています。しかし、人間の地位が高いものであるのは、神から魂を吹きこまれたことによります。そのため人間は、成長の過程の中で、神の美徳を身につけるのに相応しい存在なのです。

またこれらの節では、天使がアーダムに平伏し、悪魔・イブリースは、自分の方が優れているという理由で、それを拒否したことが述べられています。この出来事は、第7章アル・アアラーフ章高壁でも述べられていました。ここで注目すべきなのは、神が、悪魔には信仰のある純粋な人間たちを欺く力はない、と強調していることです。悪魔に従うのは、道に迷った人々だけなのです。

ヒジュル章の第45節から48節には次のようにあります。
エ「まことに敬虔な者たちは、泉の沸き出る楽園にいる。[そして、]『心安らかに[楽園に]入りなさい』[と天使たちに言われる。]我々は、彼らの心から、[憎しみや嫉妬、敵意、]わだかまりを取り除いた。彼らは皆、同胞であり、互いに向かい合う形で立派な椅子の上に座っている。そこでは、苦しむことも疲れることもなく、永遠に、そこから追われることもない」

これらの節では、楽園と、その物質的、精神的な恩恵について語られています。敬虔な者たちは、緑の豊かな楽園の泉の傍らに留まります。「楽園」という言葉は、コーランの多くの節に出てくるもので、泉という言葉は、楽園の恩恵が多種多様なものであることを明らかにしています。コーランの数々の節の中で、楽園の泉の様々な種類が述べられていますが、それは恐らく、現世における人間の様々な種類の善い行いを描いたものなのでしょう。

楽園の人々には、心安らかに楽園に入りなさいと声がかかります。楽園の恩恵の最初となる、"心の安らぎと安全"は、他のあらゆる尾根木の源であり、この2つがなければ、いかなる恩恵にも授かることができません。現世においても、あらゆる恩恵の始まりは、この心の安らぎと安全にあるのです。

楽園の人々は、あらゆる苦しみや不快を免れ、彼らを脅かす危険はありません。彼らは現世の苦しい事柄に巻き込まれることがないのです。そこでは、現世の階層の格差は存在せず、憎しみやわだかまりは根絶され、全ての人が同胞となります。彼らは互いに寄り添いあい、決して、苦しみや疲れを感じることはありません。また、いつの日か、楽園の満足を失ってしまうかもしれないという不安に駆られることもありません。なぜなら彼らは、決して、この恩恵に溢れた楽園を追われることはないからです。

コーランを全体的に見ると、楽園にも、庭園や果物、泉や小川といった物質的な恩恵と共に、安全や心地よさ、同胞愛や友愛といった精神的な恩恵も存在することが分かります。楽園の恩恵の優れた特徴は、それらが、全く欠陥や不足のない、完全で包括的、かつ多様で永遠のものであることです。

楽園の恩恵が述べられるとき、罪に穢れた人々は、善を行った人々のよい結果に嫉妬し、自分たちも、その一部でもよいから手に入れることができたら、と願うかもしれません。ここで神は、愛情に溢れた言葉により、預言者にこのように語りかけています。「[預言者よ、]僕たちに告げなさい。『私は非常に寛大で慈悲深い者である』」

ここで神は、罪を犯した人々のことも、自らの僕の中に加えています。世界を創造した全知全能の神からの、「私の僕」という言葉は、大きな喜びを与える優しい言葉です。それに続き、神は寛大で慈悲深いと表現されていることは、そのような思いを高めます。実際、神の寛大さと慈悲は、深く、次々に注がれるものであるため、罪を犯した僕たちに対して、罪を悔い改め、神へと立ち返り、永遠の楽園に入るよう呼びかけています。

この節で、楽園の恩恵として描かれているものは、実際、現世にも存在する恩恵の基盤です。どうやらコーランは、現世でこれらの恩恵を築くことにより、現世の生活を繁栄させることができる、ということを、指摘しようとしているようです。心の安らぎと安全が世界に戻れば、人々の心からは憎しみやわだかまりがなくなります。同胞愛も強固になり、個人的、社会的な生活から、余計な儀礼がなくなります。そのとき、目の前には、小さな楽園の姿が描かれることでしょう。

 

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天からの言葉 Wed, 20 May 2015 23:55:37 +0900
ヒジュル章(2) http://japanese.irib.ir/component/k2/item/54278-ヒジュル章 http://japanese.irib.ir/component/k2/item/54278-ヒジュル章

 

前回の番組では、ヒジュル章の第9節までを見てきました。この章は続けて、創造における神の偉大さと力を述べています。この章は、天の美しさに触れ、それは、世界の創造主のしるしであるとしています。それから、大地の恵みとその多くの恩恵に触れ、19節と20節で次のように語っています。
「また我々は大地を広げ、そこに山を据え付け、それぞれ[の植物]に相応のものを生育させた。あなたたちと、あなたたちが日々の糧を与えない人たちのために、そこに生活の手段を提供した」

神の恩恵のひとつに、大地を広げたことがあります。もし大地が広げられていなかったら、農業も、その他の多くの行動も、人間にとって困難なものになっていたでしょう。山の創造は、唯一神のしるしの一つです。そのため、この節は山々に触れ、次のように述べています。「大地にしっかりとした山を据え付けた」 山は、平らな大地にしわが寄ってできたものであり、地表面の温度が少しずつ低下したり、火山が噴火したりしたことによって生まれたものです。山は脈になって連なっており、内側からの圧力に対して、大地の外側の表層が揺れるのを妨げています。言い換えれば、山は、大地の表面を安定させ、人間やその他の生物が生きられるようにしています。山は、強い風が吹いてもびくともせず、風の流れをコントロールします。また、雪が降り、その雪解け水が泉を作って、水を蓄えておくための場所にもなります。

この節は続けて、人間やその他の動物の生活に重要な役割を果たす植物に触れ、次のように語っています。「我々は大地に相応の植物を生育させた」 ここにある「相応の」という言葉は、植物の各部分に適した程度や緻密な計算を指しています。つまり、植物のそれぞれの部分、茎や枝、葉は花びら、果実は、明確な計算に基づいているということです。明らかに、様々な植物には、それぞれに効果や特徴があり、それぞれが神を知るための要素となっています。

次の節では、人間が必要な恩恵に触れ、次のように語っています。「我々は、あなた方の生活に必要な、様々な手段や道具を地上に据えた。あなた方だけでなく、全ての生き物、あなた方が日々の糧を与えず、あなた方の手の届かないところにいる人々のためにである」 実際、地上の全てのものは、賢明な措置や緻密な計算に基づいて作り出されており、偶然、無計画に作り出されたものは、何もありません。それらは皆、人間の生活に必要なものを整えるためなのです。

ヒジュル章の第21節には次のようにあります。
「全てのものの源は、我々のもとにある。我々は決まった量以外は下さない」

全ての源は神であり、神にはいかなる制限も限界もありません。と同時に、世界のすべてのものの状態を知り尽くしており、日々の糧は、計算された分だけ、神から下されます。そのため人間は、日々の糧を手にし、自分の生活を管理するために努力しなければなりません。この努力は、その人から、怠惰さを取り除き、エネルギーを作り出します。もし、努力が必要ではなかったら、全てのものが闇雲に人間の手に委ねられていたことでしょう。そうなっていれば、この世界がどんな運命をたどっていたか分かりません。何もすることのない人間たちが、満腹な状態で、抑制のきかない行動により、混乱を引き起こしていたことでしょう。こうしたことから、人間は、この世界で様々な困難を乗り越えることにより、経験を積む必要があるのです。努力や健全な労働以上に、人間を形成する要素があるでしょうか。

 

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天からの言葉 Thu, 30 Apr 2015 13:50:33 +0900