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2015/11/29(日曜) 18:58

欧米諸国の一般の若者たちへ

慈悲深く慈愛あまねき神の御名において

 

欧米諸国の一般の若者たちへ

 

フランスで無差別のテロリズムが引き起こした痛ましい出来事は、改めて私をあなた方若者たちとの対話に駆り立てた。私にとってこのような出来事が話をする機会を生じさせるのは遺憾なことだが、実際、もしこのような痛ましい問題が解決策を探る下地や共通の考えにいたるための手段を整えることがなければ、被害は倍増するだろう。世界のどの地域にあっても、人間の苦しみは、それ自体、同胞たちにとっては悲しいものである。愛する者の前で命を落とす子供、家族の喜びが悲しみに変わる母、妻の遺体を急いで運んでいる夫、あるいは次の瞬間まで、人生の最後の幕が閉じられることを知らない観客の姿は、人間の感情を揺り動かす光景だ。愛情や人間性を有している人々なら、こうした光景を見て心を痛ませない人はいない。それはフランスで起こることでも、パレスチナ、イラク、レバノン、シリアで起こることでも同様だ。15億人のイスラム教徒は確実にこうした感情を抱き、こうした悲劇を引き起こした要因に嫌悪を感じる。しかし問題は、今日感じている苦しみが、より安全でよりよい明日を作る源にならなければ、ただ苦いだけの意味のない記憶として沈むことになるだろう、ということだ。私はあなた方若者たちが現在の混乱から学び、未来を作るための新たな道を探り、西側を現在の地点に至らしめたわき道の防壁になることを信じている。

今日、テロリズムは我々の共通の問題であるのは確かだ。だが、必要なのは、最近の出来事の中で経験した情勢不安が、イラク、イエメン、シリア、アフガニスタンの人々が長年強いられてきた苦しみとは主に二つの違いがあることを知るべきだ。まず、イスラム世界はより広い側面で、より大きな規模で、より長い年月において、恐怖にさらされ、暴力の犠牲になってきたということだ。そして次に、残念ながらこうした暴力は常に一部の大国によって、さまざまな手段、効果的な形で支持されていることだ。今日、アルカイダ、タリバン、彼らを引き継ぐ悪しきグループの創設、あるいは強化、武装化にアメリカ合衆国が関わっていることを知らない人はほとんどいない。こうした直接の支援と共に、タクフィール主義のテロリズムの明らかな支持者は、政治的に最も遅れた体制を持つにも関わらず、常に西側の同盟者の列に位置している中、地域の躍動的な民主主義から立ち上った最も明らかで発展した思想は冷酷に弾圧されている。西側のイスラム世界の目覚めに対するダブルスタンダードは、西側の政策における矛盾を物語っている。

この矛盾の別の例は、イスラエルの政府テロの支援の中に見られる。パレスチナの抑圧された人々は60年以上前から、最悪の種類のテロリズムを経験している。現在ヨーロッパの人々は数日自宅にとどまり、人ごみを避けることができるだろうが、パレスチナ人の一家は、数十年前から、自分の家に逃げ込んでも、シオニスト政権の殺戮・破壊マシーンを免れることはできない。現在、残忍さという点で、シオニスト政権の入植地建設に匹敵する暴力があるだろうか?この政権は自らの影響力のある同盟国、あるいは少なくとも表面上独立しているように見える国際機関の真剣な非難を受けることなく、連日、パレスチナ人の民家を破壊し、彼らの庭や畑を消滅させている。生活道具を移動させ、農作物を収穫する時間を与えることすらない。これらすべてを、家族を撃たれ、恐ろしい拷問施設に移送させられるのを見て慄き、涙を流す女性や子供たちの前で行っている。今日の世界で、これほどの規模と時間で継続されている残忍さを知っているだろうか?道の真ん中で、武装した兵士に抗議しただけで女性を銃撃する、これはもしテロリズムでないなら、何だと言うのだろう?こうした野蛮な行為は、占領政権軍によって行われているために、過激主義と呼んではならないのだろうか?あるいはおそらくこうした光景は、60年間繰り返しテレビ画面で流されてきたために、もはや我々の良心を揺さぶらないと言うのだろうか。

無数の犠牲者を出してきたここ数年のイスラム世界への遠征は、西側の矛盾した論理の別の表れである。侵略された国々は人的な被害に加えて、経済や産業のインフラを失っている。これらの成長や発展に向かう動きは停止されるか、あるいは鈍くなり、ある場合には数十年前の状態に戻している。これにもかかわらず、不敬にも、彼らには、自らを被抑圧者としてみなさないよう求められているのだ。どうしたら一国を廃墟に変え、その町や村を灰にできようか。そして彼らに、自らを抑圧されているとは考えないようにと言うことができるだろうか!悲劇を理解しないこと、あるいは忘れることを呼びかけるのではなく、誠実に謝罪したほうがよいのではないのか?ここ数年、イスラム世界が侵略者の二面性によって受けている苦しみは物質的な被害以上のものである。

敬愛する若者たちよ!私はあなた方が現在、そして将来、こうした欺瞞に満ちた考えを変えることを期待している。こうした考えは、長期的な目的を隠し、欺瞞的な目的を美しいものと見せている。私は、安全や平穏を生じさせる第一の段階は、こうした暴力的な思想を改めることだと考える。西側の政策にダブルスタンダードが占めている限り、テロリズムがその支持者によって良いものと悪いものに分けられている限り、政府の利益を人間的、道徳的な価値よりも優先している限り、暴力の根源を別の場所で探るべきではない。

残念ながら、この根源は長い年月をかけて、次第に西側の文化的政策の内部に浸透し、静かで穏やかな攻撃を整えていった。世界の多くの国は自らの民族の土着の文化に誇りを持っている。そうした文化は成長する中で、数百年の間、人類社会に十分に栄養を与えてきた。イスラム世界もこうしたことの例外ではない。だが現代において、西側の世界は最新の手段を用いることで、世界の文化を同じものにしようとしている。私は他の国民への西側の文化の強要と独立した文化への軽視は、非常に害のある静かな暴力だと考える。豊かな文化の軽視と、これらの文化の最も敬うべき部分への侮辱が行われている一方で、代替の文化は代替の能力を有していない。例えば、残念ながら西側の文化の基本的な問題となっている「暴力主義」や「道徳的退廃」により、この文化の地位をその発祥地においてすら低下させている。ここで次のような問いが沸いてくる。もし我々が好戦的で意味のない低俗な文化を求めなければ、もし芸術に似た産物としてわが国の若者に流入する破壊的な洪水を阻止すれば、罪を犯しているのか?私は文化の結びつきの重要性や価値を否定していない。この結びつきは自然な状況の中で、またそれを受け入れる社会が尊重される中で行われるときに、成長と向上、豊かさをもたらす。これに対して、強要された異なったものの結びつきは失敗した有害なものだ。最大の遺憾をもって、ISISなどの卑劣なグループはこのような輸入文化との失敗した結合の産物であると言うべきだ。もし問題が本当に信条的なものなら、植民地主義の時代の前にもイスラム世界にこのような現象が見られただろうが、歴史はそうではないことを証明している。歴史的に明らかな証拠ははっきりと、どのようにして、あるベドウィン族の中での植民地主義と、現在孤立している過激派思想の融合が、この地域に急進派の種を植えたのかということを示している。そうでなければ、一人の人間の命を奪うことは人類すべてを殺すことに等しいと考えている世界の最も道徳的で人間的な宗教の中からISISのような屑を出すことができるというのだ?

その一方で、なぜヨーロッパで生まれ、その環境の中で思想や精神を養った人々が、このようなグループにひきつけられるのかと問うべきだろう。戦場に1,2度行った人々が突然過激になり、同胞に銃弾を浴びせるということが信じられるだろうか?暴力にまみれた環境の中で、長い間不健全な文化の養分を吸ってきた影響を絶対に忘れるべきではない。これに関して包括的な分析を行うべきだ。その分析は、社会の明らかになっている、また隠れた汚れを見出すものだ。おそらく産業的、経済的発展の中で、不平等や、時に法的、構造的な差別を受けて西側社会の一部の人々の中に植えつけられた深い憎悪は、精神的な問題を作り出し、それらは時に病的な形で現れる。

いずれにせよ、自分たちの社会の表面の膜を裂き、問題や憎しみを見つけ、それを払拭すべきなのはあなた方である。そして亀裂を深めるのではなく修復すべきだ。テロとの戦いにおいて大きな過ちは性急な反応であり、それは現在の亀裂を拡大するだろう。数百万人の活動的で責任ある人々で構成されるヨーロッパやアメリカに住むムスリム社会を、孤立、あるいは恐怖や動揺の中に置き、これまで以上に、彼らの基本的な権利を奪い、社会の中心から外すようなあらゆる性急で感情的な動きは、問題を解決するどころか、溝を深め、わだかまりを広めるだろう。表面的かつ反動的な措置は、とくにもし合法性を見出すなら、現在のブロック化を拡大し、将来の危機に道を開く以外はないだろう。一部のヨーロッパ諸国では市民をイスラム教徒に対する諜報活動に向かわせる法が制定されていると聞く。こうした行動は圧制的なもので、すべての人が圧制は、好む好まざるとに関わらず、自らに返ってくる性質があることを知っている。その上、イスラム教徒はこのような恩知らずな対応を受けるべきではない。西の世界は数百年前から、イスラム教徒を良く知っている。西側の人々はイスラムの地で客人となったとき、主人の富に目をつけ、次に相手を受け入れたとき、イスラム教徒の業績と思想を享受したとき、多くの場合、イスラム教徒から親切と忍耐以外のものを目にしなかった。このため、私はあなた方若者に対して正しい理解と深い見方、苦しい経験を用いることで、イスラム世界との正しく栄誉ある交流の土台を築くよう求める。そうした場合、それほど遠くない将来に、このような礎の上に建てられたものは、その建造者の上に信頼の陰を投げかけ、治安と安定の温かみを彼らに贈り、明るい将来への希望の光で世界中を照らすだろう。

 

セイエド・アリー・ハーメネイー

1394年アーザル月8日

2015年11月29日

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