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2015/05/27(水曜) 23:41

ウィル・デュラントが見る預言者ムハンマド

ウィル・デュラントが見る預言者ムハンマド

最後の預言者ムハンマドは、神によって選ばれた完全な人間です。神は彼を善き模範と呼び、このように語っています。
「明らかに、神の使徒は、人生において、あなた方、神の慈悲と最後の審判の日を望み、神の名を何度も唱えるものたちにとっての善き模範であった」

 

アラビア半島のヒジャーズ地方でイスラムが誕生し、預言者の教えの中で優れた人間が育成されたことで、イスラムの太陽はアラビアの地理的な国境を超えて光を投げかけ、新たな文化や文明を形成しました。この輝ける文明は、すべての文明を影響下に置き、こうしてイスラム文明の黄金時代が始まりました。

思想家はイスラム文明を様々な角度から検討しています。数多くの書籍や論文でも、またこれに関して執筆されていますが、この中で軽視されているのが、この偉大な文明の基礎を築く上でのイスラムの預言者の大きな役割です。このがっしりした木の苗は、預言者の力強い手で植えられ、その土台は、預言者のメディナへの移住によって固められました。イスラム文明を形作る上での、そして人類文明を向上させる上でのイスラムの預言者の役割は、アメリカの歴史家で作家のウィル・デュラントといった大学者の目には明らかなものでした。彼は『文明の歴史』という著書の中で、様々な文明の出現と向上における効果的な要素、つまり、治安や安定、民族の団結と統一、道徳、社会福祉を生じさせる上でのイスラムの預言者の影響力、について明示しています。

デュラントは、文明の出現と向上において、様々な要素が役割を果たしていると考えています。彼は次のように記しています。
「文明は、混乱が終わったときに初めて出現する。というのも恐怖が消えたとき、人間の中に好奇心と革新、発明への必要性が生じるからである。このとき、人は自然な形で知識や学問を習得し、人生の状況を改善するための道に向かう。預言者はこうした向上の下地を整えた人物であった。ムハンマドは砂漠の激しい暑さと乾燥により、野蛮という暗闇に包まれていた民族の道徳や知識のレベルを向上させようと努めた。彼はこれに関して恩寵を受けており、これは世界のすべての改革者が受けた恩寵よりも多かった。彼以外にすべての希望を宗教の道において実現することのできた人物はほとんどいない。ムハンマドは砂漠に散り散りになった偶像崇拝の民族から、、ユダヤ教やキリスト教、アラビアの古い宗教の信奉者よりも優れた統一された共同体を生じさせた。彼は質素な教え、明白、力強い宗教を生じさせた。100年もたたないうちに、広大な帝国が築かれた。彼の宗教は、私たちの時代において、世界の半分に影響を与えた重要な力である。このため、もしこの偉大な人物の人々の間での影響力をはかるとしたら、預言者ムハンマドは人類史の最も偉大な人物の一人であるというべきだろう」

ウィル・デュラントは、『文明の歴史』という著書の中で、イスラムの預言者の教えによる学問の急速な成長について語っています。彼は次のように述べています。
「イスラムの文明は、西暦700年から1200年までの間に、様々な技術や知識の頂点、発展と向上の中に置かれた。医療、化学、物理学、地質学、生物学、植物学といった学問を優先に据え、イスラム世界において学者たちをこの学問の教育、編集、研究に勤しませた。彼らはこの基礎的な幅広い知識を近隣諸国に伝え、各地から彼らのもとに集まった知識を探求する者たちに教えていた。西洋の世界はイスラムが繁栄していたこの時代、中世の思想や教会の非科学的な偏った思想にとらわれ、完全に熟慮や娯楽が欠如していた。これとは反対にイスラム世界では、イブン・スィーナー、ハーラズミー、ファーラービー、ムハンマド・ブン・ザキャリア・ラーズィー、アブーレイハーン・ビールーニー、オマル・ハイヤーム、イブン・ハルドゥーンといった類まれな学者が、自由に世界に知識を広めていた」

西洋世界で名の知られた学者であるデュラントは、イスラムの預言者の人物像に関して次のように記しています。
「ムハンマドは、高貴で名高い家の出であり、父からわずかな遺産を受け継いだ。ムハンマドとは非常に賞賛された、という意味である。この言葉と聖なる書物の一部の言葉の間には精神的な繋がりがあり、それをムハンマドの出現に関する聖なる書物の吉報と見なすことができる。彼に読み書きを教えようとした者は誰もいなかったようだが、彼は教育を受けた人々よりも物事を詳しく知っていた。その当時、読み書きの技術はアラブ人にとって重要ではなかった。このためクライシュ族の中で読み書きができた者は17人を超えることはなかった。にもかかわらず、アラビア語の最も有名で内容の詰まった書物は預言者の口から語られていた。彼は人々の生活の問題をよく知っており、これに関して彼の足元に及ぶものはいなかった。彼の書物コーランにおいて、法と道徳は一つであり、コーランにおいて宗教的な行動は現世の行動をも含み、すべての事柄に関する啓示が神から預言者に下されていた。コーランには、礼儀に関する決まり、健康、結婚と離婚、子供、召使、動物への対応、商売、政治、金銭の貸し借り、契約と遺言、産業、財政、罰金と懲罰、戦争と平和などについて書かれていた」

このアメリカの思想家は自らの研究を続ける中で、次のように述べています。
「ムハンマドの表情には畏怖の念が見られた。彼は自らの敵が罪を悔いたのであれば、許していた。統治の問題に関して、彼は多くの時間を費やしていた。というのも、彼は司法、商業、宗教、戦争といった問題に大きな努力を注いでいたからである。彼は暦にも注目を寄せ、それを信者のために整えていた。彼は法律の制定において、託宣を受ける者として、啓示に従って行動していた。日常の問題に関しても啓示に従って必要な指示を出していた」

イスラムの預言者の優れた特徴として、恵まれない孤児に愛情をかけていたことが挙げられます。預言者は全力をかけて彼らの必要性を満たそうとしていました。ウィル・デュラントは、こうした預言者の特徴に注目し、次のように述べています。
「歴史において、ムハンマドほど貧困者のための税金を課した善良な者は見たことがない。ムハンマドは所有物の一部を貧しいものや恵まれないものに与えるよう奨励した」
預言者は貧しい者たちの間をよく行き来し、共に語らっていた。デュラントは、最後に次のような事実を認めています。
「ムハンマドは人々をイスラムに導くことで、数百万人の人生に新たな精神的な革命を生じさせた。彼らはムハンマドの明瞭な声を耳にし、真に彼を受け入れたのである」

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