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2015/04/22(水曜) 22:48

北ホラーサーン州(1)

北ホラーサーン州(1)

北ホラーサーン州は、2004年に旧ホラーサーン州が3つに分割されて成立した州です。この州の面積はおよそ2万8千平方キロメートルで、ボジュヌールドを中心都市として、8つの行政区から構成されています。この州の北はトルクメニスタンと国境を接しており、南部と東部はホラーサーン・ラザヴィー州、南西部はセムナーン州、西部はゴレスターン州にそれぞれ隣接しています。


北ホラーサーン州はホラーサーン・ラザヴィー州、南ホラーサーン州と歴史を共有しており、ジャージャルム地域一帯は中石器時代にさかのぼり、またアーリア系の民族である「パールト人」が居住していました。ホラーサーンは、アケメネス朝時代の州長官サトラップの置かれた場所とみなされ、アルサケス朝時代は重要な地域とされ、歴史の中でさまざまな民族が行きかい、モンゴル人や、タタール人、ウズベク人、トルクメン人など、トルコ系の政治体制が出現した場所となっています。
サーサーン朝時代、ホラーサーン地方はパードグスバーンと呼ばれる軍司令官により運営され、4つの地域を4人の太守がそれぞれ治めていました。652年、アラブ人がホラーサーンに入り、この地域の住民はイスラム教に改宗しました。ホラーサーン地方は821年までアッバース朝が支配していましたが、イスラム王朝時代は4つに分割され、そのそれぞれの都市はニーシャーブール、マルヴ、ヘラート、バルフと呼ばれました。896年、イランでターヘル朝が独立し、その後はサーマーン朝、ガズナ朝、ハーラズムシャー朝へと受け継がれていきます。13世紀、モンゴルの侵略により、ホラーサーン地方はモンゴル系の王朝・イルハン朝の一部となりました。19世紀のガージャール朝時代、イギリスの干渉政策で、イランは1857年のパリ条約に調印することになり、アフガニスタンの内政に干渉できなくなりました。このため、ホラーサーンは東と西に2分され、東はイギリスが支援するアフガニスタンに、西はイランの領土として残りました。
北ホラーサーン州は肥沃な土地を持つ山岳地帯で、標高の平均は1326メートルです。この州はコッペ・ダーグ山脈が北にあり、またシャージャハーン山を抱えるアーラーダーグ山地が南にあります。この州で最も標高が高いのは、シャージャハーン山の3051メートルで、標高が最も低い場所はアトラク川の下流にあるターゼヤーブ村の400メートルです。
山岳地帯や森林地帯、広い牧草地や豊かな水資源があるため、北ホラーサーン州には多様な気候が存在します。アーラーダーグ山地とコッペ・ダーグ山脈の標高が高い場所は冷涼な高山気候帯であり、マーネ、サマルガーンなどの州の南部は温暖な山岳気候、あるいは山すそでは準砂漠気候となっています。しかし、北ホラーサーン州全体の気候は、温暖な山岳気候といえるでしょう。この州を流れているアトラク川やナハールード川は永久水利で、またさまざまな泉や、アトラク川の支流、エスファラーイーン、シールヴァーン、マーネ、サマルガーンの4つの大きなダムは、この州にとって必要な水を供給する重要な水資源とみなされています。
北ホラーサーン州の地理的な状況や、気候の多様性は、この一帯の人々にとって、農業や畜産業を行ううえでの助けとなっています。永久水利であるアトラク川や複数の泉などの豊かな水資源も、この地域で農業や畜産業が繁栄するもう1つの要因となっています。農業は州内の最も重要な経済活動とみなされており、伝統的な二毛作や、伝統的な形式と半ば機械化された農業の形態が広く見られます。この州で生産される農産物には、綿花、小麦、大麦、ヒメウイキョウ、豆類や穀物、野菜類、産業用や飼料用の植物などがあり、また庭園や果樹園などではアプリコット、さくらんぼ、サワーチェリー、ぶどう、りんごなどが栽培、収穫されます。
北ホラーサーン州は豊かな牧草地が存在していることから、畜産業が盛んに行われています。これらは、定住形式、あるいは半遊牧の形態で広く行われ、また、畜産と同時に、養蜂業、養蚕業も行われています。さらに、農業、畜産業だけでなく、ボジュヌールドのプラスチック工場、石油化学コンビナート、セメント工場、エスファラーイーンのスチール工場、ジャージラムのアルミ工場、シールヴァーンの発電所や製糖工場、繊維工場のほか、州内には多くの製綿、食品、建設、農業など、各業種に関係するそれ以外の多くの工場があり、この地域の人々に大きな影響を与えています。北ホラーサーン州はまた、手工芸も盛んです。この地域の手工芸には、じゅうたんやジャジーム、ゲリームといった織物があります。
北ホラーサーン州の重要な特徴のひとつは、州内の多様な民族構成や文化構成です。この地域は過去の時代、東西を結ぶ唯一の経路であり、この州の南部をシルクロードが通過していたことから、さまざまな民族がこの地域に流入してきました。そのため、今日、北ホラーサーン州の人々はさまざまな言語や方言を使用しています。つまり、この州にはクルド人、トルコ系の人々やトルクメン人、バルーチ人、「タート」と呼ばれるペルシャ語系の人々が居住しているのです。この州のペルシャ語系の人々が話す方言は、「ターティー」と呼ばれています。
サファヴィー朝のイスマイール1世やアッバース1世の時代に、トルコ語系統の言葉を話す人や、クルド人の一派であるケルマンジー族がこの地に移住したことで、彼らの言葉はこの地域一帯に広まりました。彼らの間には話し言葉の違いとともに、宗派的、文化的な違いも見られます。このため、北ホラーサーン州は広大なホラーサーン地方の一部でありながら、その自然と文化における多様性により、この州は豊かな地域となったのです。
北ホラーサーン州の手工芸は、この州に住む、多様性に溢れる人々の芸術的な偉業として、この州で最高のみやげ物とされています。この州には、良好な牧草地が存在し、畜産業が盛んなことから、羊毛、皮などの原料が豊富にあり、このため、色彩やデザインにおいて、多様な美しい手織物が生産されているのです。自然や日常生活をモチーフにしたデザインは象徴的であり、織り手の信仰に根ざし、彼らの記憶の中に保存されています。この種のデザインは、クルド人による敷物の1種ゲリームや、トルキャマン人のじゅうたんなどに使用されています。
クルド人やトルキャマン人の衣服、伝統的な刺繍や装飾品も、北ホラーサーン州の手工芸であり、各部族によってさまざまな形で行われています。チャールークと呼ばれる伝統的な革靴は、北ホラーサーン州によく見られる手工芸で、通常は赤い皮で作られているとともに、紐がついており、履いてからこの紐を足に巻きつけて固定する仕組みになっています。この手工芸はボジュヌールド、グーチャーンのほか、ホラーサーン・ラザヴィー州でも見られます。この靴のつま先は反り返っており、色糸の刺繍で装飾されています。
パラースと呼ばれる目の粗い布も、この州の手工芸のひとつです。これはゲリームの一種で、昔から湿気や寒さ、暑さを調整するのに適した敷物であり、この点から、ホラーサーンの部族の人々のテントの中でしかれていました。これらは大抵の場合、草原の周辺の湿気のある土地や、村にある家でも使われます。パラースはイランのほかの地域でも織られ、北ホラーサーン州のものは複雑な形で織られています。
そのほかの北ホラーサーン州の特産品として、ボジュヌールド名産のシェキャルパニールとよばれるキャンディがあります。現在、このシェキャルパニールはこの地域の主要な名産物で、多くの人々に好まれており、ピスタチオ、胡桃、ゴマ、シナモン、オレンジ味のものが生産されています。また、乳製品や胡桃、干しぶどうのようなナッツやドライフルーツも、この州のファールージ、シールヴァーン、マーネ、サマルガーン、ボジュヌールド、ジャージャルムなどの名産品となっています。

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