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2015/05/09(土曜) 19:32

ホラーサーン・ラザヴィー州・マシュハド(2)

ホラーサーン・ラザヴィー州・マシュハド(2)

今回の番組は、イラン北東部の聖地マシュハドについてご紹介しましょう。

 

イラン北東部ホラーサーン・ラザヴィー州の州都マシュハドは、面積288平方キロメートルで、ビーナールードとへザールマスジェドの2つの山脈の間に位置しています。この町の海抜は平均およそ1050メートル、首都のテヘランからは966キロ離れています。この町は、300万人を超える人口を擁し、人口の点で、テヘランに次ぐイラン第二の都市となっています。マシュハドは、歴史的な建造物や観光の見所の点でも、イランで最も豊かな町のひとつであり、多くの観光客が一年を通してこの町を訪れています。シーア派8代目イマームで、イスラムの偉大なる預言者ムハンマドの一門であったレザーの聖廟は、マシュハドの最も貴重な歴史遺産となっており、歴史の中のあらゆる時代に、芸術家たちがその技巧を発揮してきました。それではまず、このイマームレザー聖廟についてお話ししましょう。

8世紀、ノウガーンのサナーバード村に、非常に美しい庭園があり、その中には、為政者たちをもてなすための壮麗な広間や建物がありました。819年、イマームレザーがアッバース朝のカリフ、マームーンによってノウガーンの町で殉教した後、マームーンは世論を惑わすために、その庭でイマームレザーの埋葬式を盛大に行いました。そのときからこの地は、イスラム教徒、特にシーア派教徒にとって、聖なる場所となりました。イマームレザー聖廟は、イランで最も重要な聖地であり、イスラム世界で最も美しい巡礼地となっています。この聖廟の敷地内には、およそ25個の重要な建物があり、それらは数百年の間に建設され、それぞれが、その時代の最高の建築芸術と壮麗さを有しています。聖廟の近くには、シェイフバハーイー、シェイフ・タバルスィー、シェイフ・ホッル・アーメリーといったイスラム世界の偉人たちが埋葬されています。

イマームレザー聖廟の建物の9世紀の状況については、正確な情報が得られていませんが、9世紀から10世紀の当初から、強固な柵が取り付けられ、イスラム教徒の巡礼のための場所でした。12世紀には、イマームレザー聖廟に新たな建物が加えられました。とはいえ、歴史資料の中では、そのことには触れられていません。中央アジアのトルコ系民族、ゴズ族が1154年にマシュハドを攻撃したとき、この建物はそれほど大きな被害を受けず、イマームレザー聖廟は、防衛手段を持たない人々の唯一の避難場所でした。13世紀のホラズム朝時代の黄金のタイル細工は、当時のこの聖廟の装飾と修復を示しています。この建物は、幸いにも、イランの他の地域とは異なって、モンゴル族の襲撃の中で大きな被害を受けずに済みました。14世紀半ばには、聖廟の建物の壁が美しいタイルで装飾され、イマームレザーの墓の上に、銀の柵が建てられました。また天井は、銀色の**で飾られました。

ティムール朝時代は、イマームレザー聖廟の建築の黄金時代でした。この頃、ティムール朝の王、シャーロフの妻の命により、イスラム世界で最も有名で美しいモスクの一つ、ゴウハルシャードモスクが、イラン人の建築家と芸術家たちによって、聖廟の南側の中庭に建設されました。多くの専門家によれば、ゴウハルシャードモスクは、そのフォームや建築の点で、イスラム世界でも類を見ないものです。入り口の碑文も、唯一無二のものです。このモスクは、背の高いエイヴァーンと呼ばれるモスクや、美しいアーチ、貴重なタイル細工があり、イランにあるモスクの中でも最も美しいものです。このモスクを建設したのは、ガヴァーモッディーン・シーラーズィーという人物です。〔次の一文カット〕
アフシャール朝の王、ナーデルシャーの時代に、ティムール朝時代の中庭が金で装飾され、聖廟の壁の模様も変更されました。

サファヴィー朝時代、イマームレザー聖廟は、王たちの注目を集め、それぞれの王が、この聖廟の装飾や修復を行いました。墓の下にある宝石がちりばめられた扉や金のドームは、この頃のものです。サファヴィー朝のアッバース1世の命により、イマームレザーの墓の上に、非常に美しい金細工の施された金庫が置かれ、当時の著名な書家であったアリーレザー・アッバースィーによる美しい碑文が加えられました。古い庭も、この頃に拡張され、中庭の北にある大きなエイヴァーンが加えられました。このエイヴァーンは、アッバースィーのエイヴァーンと呼ばれています。またアフシャール朝時代にも、水のみ場が加えられ、アッバースィーのエイヴァーンの後ろ側にミナレットが建てられました。また、正面のエイヴァーンの近くにあるミナレットに金細工が施されました。

ガージャール朝時代にも、イマームレザー聖廟は注目を浴びました。アーザーディの庭の建物も、この時代のものです。この頃、アーザーディの庭の西側のエイヴァーンが金で装飾され、ナーセリーのエイヴァーンという名前で知られるようになりました。また同じ頃、アーザーディの庭のタイル細工と装飾が行われました。(次カット)パフラヴィー朝時代にも、聖廟の修復が行われましたが、この聖廟の拡張の大部分は、1979年のイスラム革命勝利後に行われたものです。

最も大きな変化は、メインの中庭に、幾つかの中庭が加えられたこと、イランで最も発展した図書館が備えられたこと、博物館や巡礼者のための福祉設備が整えられたことです。現在、イマームレザー聖廟は、7万平方メートルの屋根のある空間と、20万平方メートルの開けた空間がありますが、そのうち、屋根のある空間は6万500平方メートル、開けた空間の18万6000平方メートルは、イスラム革命後に建設された部分です。

イマームレザー聖廟の敷地は、イスラム世界で最も美しい建築群であり、そこにはタイル細工、漆喰細工、鏡細工、象嵌細工、書道、モザイク、石工細工などのあらゆる芸術が施されています。中でも、水のみ場と**、ミナレットは、この聖廟の重要な部分となっています。水のみ場は、巡礼者にとって、精神性と安らぎの象徴であり、この建物は、革命の庭の中央に置かれています。この建物は、1732年から33年にアフシャール朝の王、ナーデルシャーの時代に大理石を使って建設され、イスマイール・タラーカールによって、ドーム型の天井がつけられ、そこに八角形の覆いが載せられました。この建物は1929年に修復されています。

ミナレットは、光を取り入れる場所で、背の高い建物を指し、宗教学校や巡礼地、モスクのメインのエイヴァーンの上に建てられていました。その上から礼拝の時刻を告げるアザーンが流されたり、周囲を光りで照らしたりしています。この建物は、これらの特徴の他、旅行者を導く役目も果たしています。イマームレザーの建物には、全部で12本のミナレットがあり、そのうち2本は金で覆われ、1本はドームの近く、もう一本はその正面の革命の庭の上の部分に位置しています。ドームの近くのミナレットは、ドームが建設された際につけられましたが、2本目のミナレットは、ナーデルシャーの時代のものです。ミナレットの建築で興味深い点は、ドームが2本のミナレットの距離が離れていて、南側から聖廟を見ると、ドームが2本のミナレットの間にあるかのように見えることです。

イマームレザー聖廟には幾つかのエイヴァーンがあり、それらはイラン・イスラム建築の特徴を有したものとなっています。東側のエイヴァーンは、2つのエイヴァーンから成っています。26メートルの高さがあるこの建物の上には、太鼓を叩く部屋があり、ここは礼拝の時刻が終わりに近づくことを知らせるための部屋で、イスラム暦のモハッラム月、サファル月、その他の追悼の時期を除いて、一年を通して毎日、2回、日の出と日の入りの前の10分間、ここから太鼓が鳴らされます。さらに、祝祭の前日の夜の礼拝の後、祝祭の日、一年の移り変わる瞬間、断食明けの祝祭、ラマザーン月の夜明けにも、ここで太鼓が鳴らされます。研究者によれば、この場所で太鼓がならされるようになったのは、9世紀半ばからだということです。

イマームレザー聖廟の周りには、非常に設備の整った図書館と貴重な博物館があります。それらは、イマームレザー聖廟の文化の中心として、貴重な文化財や作品を展示しており、長い年月をかけて、預言者一門を愛する人々によって、この博物館に寄贈されてきました。この場所は、1999年に最後の修復が施され、新たな博物館として開館した後、現在、様々なテーマの11個の博物館となっています。イマームレザー聖廟の図書館は、イランのみならず、中東で最大の図書館であり、マシュハドの町の中にあります。この図書館は、マシュハドやイランの他の都市、インドの5万以上の図書館と提携しています。

 

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