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2015/05/24(日曜) 21:07

ホラーサーン・ラザヴィー州・マシュハド(3)

ホラーサーン・ラザヴィー州・マシュハド(3)

前回の番組では、イラン北東部ホラーサーンラザヴィー州の州都マシュハドと、この町にある重要な歴史遺産、イマームレザー聖廟についてお話しました。今回のこの時間は、マシュハドの歴史的な建造物や巡礼地をご紹介しましょう。

 

マシュハドの町には、シーア派8代目イマーム、レザーが埋葬されています。そのため、この聖廟の敷地内やその周辺には、多くの学者や偉人たちが埋葬されています。イスラムの偉大な学者、シェイフバハーイー師の墓は、聖廟の博物館の中庭に、また、偉大なハディース学者のシェイフ・ホル・アーメリー師の墓は、聖廟の古い庭にあります。1154年に亡くなった偉大なコーラン解釈者、シェイフタバルスィーの墓も、タバルスィー通りの始めの墓地にあります。

マシュハドには、数多くのモスクや巡礼地も存在し、多くの巡礼者が訪れています。72人のマスジェド、ケラーマトのモスクとホセイニーエ、ナーセルとヤーセルのイマームザーデ、ハージェ・アバーサルトの墓、ハージェ・モラードの墓、シェイフ・ノホダキーの墓、レンガのドーム、緑のドーム、ハージェ・ラビーの墓、これらが、マシュハドの有名な宗教施設となっています。さらに、トゥースの町にあるフェルドウスィーの墓、アフシャール朝の王ナーデルシャーの墓、ハールーニーエのドーム、マシュハド近郊の避暑地も、この町の観光や歴史の見所となっています。ここからは、この町にある一部の貴重な建造物についてご紹介しましょう。

ハージェ・ラビーという名で知られるラビー・イブン・ハスィームは、禁欲で知られるイスラムの偉人の一人です。彼の墓は、背の高いドームのある庭の中央に置かれています。この建物は、シェイフバハーイーの勧めで、17世紀にサファヴィー朝のアッバース1世によって建設されました。ハージェ・ラビーが亡くなったのは、683年のことだと言われています。この墓は、外からは八角形に見える設計で、内側には4つのエイヴァーンと呼ばれるテラスがあります。建物の上には、トルコブルーのドームがあり、その高さは地面から18メートルです。4つのエイヴァーンにはそれぞれ、4つの入り口があり、王族が休憩する部屋へとつながっていて、メインの入り口は、背の高いエイヴァーンで構成されています。このエイヴァーンは下と上にある2つの柱のある廊下の間にあり、それらの廊下の間には、長方形の窓と入り口があります。また、建物の外側には、モザイクなどの興味深い装飾が施され、エイヴァーンの下には、タイル細工が見られます。墓の内側には、イランの著名な書家であったアリーレザー・アッバースィーの文字で、2つの碑文が刻まれています。この巡礼地は、聖地マシュハドの市内にあり、イランの国家遺産に登録されています。

ハージェ・アバーサルトという名前で知られるアブドッサラーム・イブン・サーレハ・ヘラヴィーは、シーア派の偉大なハディース学者、イマームレザーの教友の一人です。彼は823年3月9日にホラーサーンで亡くなり、彼の墓は、マシュハドの南東に14キロの場所に置かれました。ハージェ・アバーサルトの墓のメインの建物は四角形で、四方から外へと続いています。また、7色のタイル細工、2つの長方形の柱のある廊下、鏡細工が、この建物の特徴となっています。

フェルドウスィーの墓は、マシュハド周辺の最も有名な歴史的建造物の一つで、マシュハドの北西24キロ、トゥースの町に位置しています。アボルガーセム・フェルドウスィーは、イランの偉大な叙事詩人で、世界的にも知られています。彼は、30年の歳月をかけて、最も古い傑作であるシャーナーメを創作しました。シャーナーメは6万句で構成されています。古代ギリシャの吟遊詩人ホメロスの長編叙事詩、イリアスとオデュッセイアを合わせても、1万5000句であり、また古代ローマの詩人、ウェルギリウスの作品も、1万句に満たないもので、それらと比較しても、フェルドウスィーが、どれほどの偉業を成し遂げたかが分かるでしょう。フェルドウスィーは、1021年に亡くなり、その墓には常に、イランの芸術や文学を愛する多くの人が訪れています。

フェルドウスィーの墓は、面積およそ6ヘクタールの非常に美しい庭園の中にあります。墓が置かれている広間の床は、大理石でできていて、広間の壁も、同じ石でできています。墓の周りには20本の柱があり、それぞれの柱の直径は、およそ70センチです。墓廟の内部には、この詩人の作品、シャーナーメの詩や内容をテーマにした石碑や浮き彫りが施されています。墓廟の傍らには、フェルドウスィー博物館があります。この博物館は、考古学、陶器、金属、ガラス、金貨や銀貨、その他、当時の建築要素や寄贈品といった部門に分かれています。

ハールーニーエも、トゥースの町にある歴史的建造物のひとつです。この建物は、フェルドウスィーの墓からおよそ600メートル離れたところにあり、おそらく、14世紀に町の古い建物の上に建てられた修行所だと考えられています。この建物の傍らには、11世紀から12世紀の神秘主義哲学者の一人、イマーム・モハンマドガザーリーの黒い石の記念碑があります。

ミール・アハンガーンは、マシュハドの町の北に22キロ離れた、同じ名前の村の近郊にあります。この塔の建築様式は、17世紀のティムール朝時代のものです。この塔は、高さが17メートルで、半八角形と丸い形の台の上に立っていて、外側から見ると、球形でありながら、半八角形の柱で装飾されているように見えます。建物の上には、円錐形のドームがあり、トルコブルーのタイル細工の線が入っています。この建築は概して、ティムール朝時代の塔を思い起こさせるものです。この建物に埋葬されている人物は明らかになっていませんが、一部では、この建物は、ティムール朝のシャーロフの妻であった、ゴウハルシャードの妹の墓だと言われています。また一部の研究者は、この塔の表面にある女性的な模様から、アーハンガーン・ハートゥーンという名前の女性のために建設されたものだとしています。

この他、多くの旅行者をひきつけているホラーサーン・ラザヴィー州の見所に、マシュハド北東部のキャラート・ナーデリーにある太陽の宮殿があります。キャラートナーデリーの庭園は、ホラーサーン・ラザヴィー州の2つの山脈の間にあります。太陽の宮殿は、特別な建築により、地下からは20メートル、1階からは11メートルで円柱状に建設されています。

ナーデルシャーの墓廟も、マシュハド市内にある観光地の一つです。この建物は、面積1万4400平方メートルの庭の中にあります。墓廟には、12段の階段のついた台座、墓、墓の上のテントのような覆い、そして背の高い台座があり、馬に乗って金色の斧を手に持っているナーデルシャーの彫像が設置されています。この彫像は、高さが5メートルあります。墓廟の中には博物館もあります。この墓廟の裏には、イランの最初の軍司令官であったモハンマドタギー・ハーン・ペスィヤーンの墓があります。

マシュハドの町にも、イランの他の町と同じように、数多くの古い邸宅が存在し、それらは、以前の時代の建築芸術を物語るものとなっています。マレクの邸宅は、マシュハドのイマームホメイニー通りにあり、ガージャール朝末期の建築移行期から残る、美しい邸宅となっています。この建物は、かつて、非常に大きなものでしたが、現在は、2階建ての外側の一部が残っているのみです。上の階には、美しい漆喰細工の暖炉と象嵌細工の天井が見られます。マレクの邸宅は、現在、ホラーサーン・ラザヴィーの文化遺産・観光伝統芸術センターとなっています。

これ以外にも、クーフサンギーの文化・レクリエーション施設、シャーンディーズの避暑地、国立公園、ヴァキールアーバードの森林公園も、マシュハドの美しい自然の見所となっており、一年を通して多くの観光客が訪れています。

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