このサイトは更新されていません。新サイトはこちらです。 Parstoday Japanese
2015/07/25(土曜) 17:41

アルデビール州(1)

アルデビール州(1)

今回のこの時間は、アルデビール州の州都である歴史的な町、アルデビールを訪れてまいりましょう。

 

ターレシュとサバラーンの山あい、広大な平原の中に、アルデビールという名の歴史的な美しい町が存在します。アルデビールは、豊かな水資源、爽やかな気候、肥沃な土壌を有しており、地理的な条件から、冬は寒く、夏は温暖な気候です。アルデビールという名は、"神聖な"という意味のアルターと、"様々な要素が組み合わさった町"を意味するヴィールという言葉からきた、アヴェスター語の呼び名です。この、神聖な町を意味するアルターヴィールという呼び名が、時の経過と共に、アルデビールに変化しました。アルデビール州のターレシュ地方の住民は、今も、アルデビールを、アルターヴィールと呼んでいます。

アルデビールは、アーザルバイジャーン地方で、タブリーズに次ぐ第二の歴史都市となっています。アルデビールの名は、シュメール人の泥の碑文にも刻まれており、その歴史は5000年前にまで遡ります。一部の考古学者も、発掘調査から、アルデビール一帯には、少なくとも紀元前6000年紀には人が住んでいたとしています。また、最近、アルデビールのモラードルーと呼ばれる地区で発見された壁画は、アルデビールの4000年の歴史を物語っています。

アルデビールは、これまでの歴史の中で、様々な出来事を経験してきました。この町は、7世紀から8世紀のウマイヤ朝時代に、アーザルバイジャーン地方の統治の中心地でしたが、1120年にモンゴル族の襲撃を受け、大きな被害を蒙りました。その後、16世紀のサファヴィー朝の対等により、アルデビールの町は再び、政治的、経済的な重要性を取り戻しました。一方で、この時期、アルデビールは、イランとヨーロッパの交易の要衝にあったため、そのことがこの町の重要性を高めました。サファヴィー朝時代から残る史跡が、当時の壮麗さを物語っています。当時を代表する建物としては、シェイフ・サフィーオッディーン・アルデビーリー廟を挙げることができます。サファヴィー朝の崩壊後、様々な歴史的出来事の中で、しだいにアルデビールは、かつての繁栄と重要性を失っていきました。しかし、イスラム革命の勝利により、1993年、アルデビール州が設置され、この町がその州都に選定されたのです。

先ほど、サファヴィー朝時代から残る貴重な歴史的建造物が、この時代のアルデビールの重要性を示しているとお話ししました。ここからは、ユネスコの世界遺産にも登録されている、アルデビールの歴史的建造物のひとつ、シェイフ・サフィーオッディーン・アルデビーリー廟をご紹介しましょう。この墓には、サファヴィー朝の王たちの祖先であるシェイフ・サフィーオッディーン・アルデビーリー師が埋葬されており、アルデビールの町の中心部にあります。当初の建物は、14世紀に建てられましたが、その後、様々な時代、特にサファヴィー朝時代に増築が繰り返され、現在は、非常に貴重な美しい歴史的建造物となっています。

シェイフ・サフィーオッディーン・アルデビーリー廟は、宗教的な建物の中でも独特のものとなっており、様々な時代の幾つかの建物がありましたが、サファヴィー朝の王**の時代に初めて、それが一つの集合体とされました。後に、サファヴィー朝の王、アッバース1世が、この集合体に別の重要な建物を加え、改築を行いました。この歴史的な建造物の重要性は、概して、サファヴィー朝の一族との関係に由来します。サファヴィー朝の王たち、そしてこの王朝の初代の王イスマイール1世が、この歴史的な建造物の中に埋蔵されているのです。この建物は、イスラム建築の点でも高い重要性を有しており、それぞれが独自の特徴を持っています。この墓にあるのは、入り口の門、大きな庭、小さな庭、開けた通路、中庭、モスク、廟の周囲の庭などです。また廟の中心となる建物には、柱のある廊下、ガンディールハーネ、シェイフ・サフィーの墓、イスマイール1世の墓、チーニーハーネなどがあります。

シェイフ・サフィーオッディーン・アルデビーリー廟の中心となる建物は、円柱形の塔になっており、その上にドームが置かれています。このドームは、「アッラー、アッラーのドーム」と呼ばれ、二十構造になっていて、外側には、レンガの上に、青のタイルで、「アッラー、アッラー」と書かれています。このドームは、強い地震にも耐えうるように建設されています。実際、これまで何度かの強い地震にも耐えてきました。

この他、この廟の見所に、ガンディールハーネがあります。ここは、廟の建物の中でも最初に造られた場所で、11.5メートル×6メートルのホールになっており、コーランの暗記者や解釈者が、議論したり、教育を施したりするための場所でした。2回には、女性が宴会を催すためのテラスが置かれています。壁には、金細工と共に漆喰細工の模様が施されており、その模様には、主に、天然色の花や木のデザインが用いられています。

16世紀、サファヴィー朝のタフマーセブ王が、ガンディールハーネのためのじゅうたんを用意し、そのじゅうたんのデザインを、ガンディールハーネのホールのドームに金箔で施すよう命じました。このじゅうたんは、19世紀初頭まで、ガンディールハーネの床に敷かれていましたが、ガージャール朝時代にあたった当時、イギリス人によってアルデビールから持ち出され、現在、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に、サファヴィー朝時代の最も貴重なアルデビールのじゅうたんとして保管されています。このじゅうたんは、3300万個の結び目があり、縦11メートル、横5メートルで、斬新なデザインとなっています。

この他、この廟にあるチーニーハーネと呼ばれる部分は、サファヴィー朝のアッバース1世の時代の、アルデビールで最も美しいホールのひとつです。このホールは、ガンディールハーネの東側に位置し、4つの王の部屋と、漆喰細工の施された美しいアーチがあります。絵画、金細工、色の調和が、美しい花やアラベスク模様の表面と共に、傑作を作り出しおり、見る者を驚嘆させています。チーニーハーネには、1256個の箱があり、そこには、シルクロードの復活に際し、イラン政府によって中国に注文された陶器や、当時の中国の皇帝から、サファヴィー朝のアッバース1世に贈られた陶器が保管されています。現在、ここは博物館になっており、廟に属する陶器、コーラン、イスラム前後の金属や道具が展示され、1年を通して、イラン国内外から、多くの観光客が訪れています。

Add comment


Security code
Refresh