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2015/10/21(水曜) 06:54

モハッラム月の習慣(2)

 モハッラム月の習慣(2)

前回の番組では、イラン各地のモハッラム月の習慣についてお話し、カルバラの悲劇を吟唱するロウゼハーニーとアラムと呼ばれる飾りを持って道を練り歩くダステギャルダーニーという2つの儀式についてお話しました。今回はこの続きです。

 

スィーネザニーと呼ばれる胸をたたいて悲しみを表しながら道を練り歩く行為は、最も表現深く、最も古い形の儀式で、イランのすべての町や村に広まっています。一部では集団、あるいは幾つかのグループになって動きます。また二つの列になって向き合いながら整然と練り歩くところもあります。いずれの場合も哀歌の歌い手を伴います。人々は体力に応じてその行列に同行します。通常、高齢者や長老が集団の前に立ち、女性たちのグループは脇のほうを歩いたり、胸をたたく人々の後に続きます。

モハッラム月10日のアーシューラーの日、西暦680年にシーア派3代目イマーム、ホサインが殉教した日になると、演説集会が行われると共に、追悼者の集団は朝から街頭で追悼の儀式を行います。正午になると、アーシューラーの追悼はピークを迎えます。人々は集団が通る道など街頭に立ち、追悼者に同行します。そして正午の礼拝の際に追悼者は集団で礼拝を行います。人々もまた共に礼拝を行います。多くの人はこの日、ナズリーと呼ばれる施し物を人々に配ります。アーシューラーの昼、集団礼拝の後、すべての追悼者がこのナズリーによって迎えられます。

モハッラム月の最初の10日、人々は自分たちの願いがかなうようにと、多くのナズリーを配ります。ナズリーは様々で、追悼者にはジュースや水、温かい牛乳などの飲み物が配られたり、羊などの動物がと殺されたり、またハリームと呼ばれる粥など各種の料理が配られます。ナズリーは一般にアーシューラーの追悼者と貧しい人々に配られます。アーシューラーの前日と当日にはほとんどの家が料理を作らず、多くの人がモスクや宗教施設などに行き、ナズリーの食事を受け取ります。

シャーメ・ガリーバーンもモハッラム月の儀式の一部で、アーシューラーの夜に行われます。シャーメ・ガリーバーンはイマームホサインの殉教後、預言者一門が捕虜になり、流浪したことを思い起こす行事です。この晩になると追悼儀式は別の様相を帯びます。追悼者の集団は声を上げて胸をたたくこともせず、旗も掲げられません。悲歌はもはや戦いや殉教の内容を含みません。ランプもありません。その道は蝋燭のゆれる炎と子どもたちが持つわずかな灯りで照らされます。2つか3つの集団が別々に練り歩き、集団になって座り、深い考えに沈み、声を出さずに手で軽く頭をたたき、悲しい声で哀歌を歌います。

モハッラム月の宗教儀式の最も情熱的で魅力的な行事の一つに、タアズィーエ・殉教劇があります。シャビー・ハーニー、またはタアズィーエは、イランのイスラム教徒の宗教行事の一つで、一方が宗教指導者や善人の役、他方が敵の圧制者の役を演じ、彼らに降りかかった出来事が詩の形で語られます。多くのタアズィーエのテーマは、アーシューラーの出来事、カルバラでのイマームホサインとその一門の悲劇についてです。イランの人々は毎年、モハッラム月とサファル月に、殉教劇を行うことで、イマームホサインとその教友たちに敬意を表します。

シャビーハーニーで、役者は地面から少し高くなったところに設けられている四角形、あるいは円形の舞台の上で演じます。観客はその舞台の周囲に集まり、どの方向からも劇が見られるようになっています。観客は殉教劇の切り離せない一部であり、劇を見てその影響を受け、悲しみをあらわにすると共に、タアズィーエを宗教の情熱的な儀式と見なしています。役者たちは演技の仕方を世代から世代へと継承し、何よりも来世の報い、精神的な報酬を考えています。
アナ2
世界でもタアズィーエは美しく壮大な演劇として知られています。実際タアズィーエ、シャビーハーニーの芸術は詩、カルバラの地で起きた出来事に似せた動き、また物悲しい音楽により、預言者一門を敬愛する人々の心を熱くし、観客にイマームホサインとその教友たちの蜂起が目指したものについて考えさせるものとなっています。

ペルシャ湾岸ブーシェフル州ガナーヴェ行政区バンダルリーグという港町で行われるモハッラム月のタアズィーエの行事は、この地域の人々のイマームホサインに対する純粋な敬意と信仰を表すものです。バンダルリーグのタアズィーエはこの行政区の他の地域と比べてより大々的なものとなっています。アーシューラーの日、この港町ではカルバラの流血の物語が美しく見ごたえのある形で演じられます。このため、アーシューラーの日には、地元の人以上に多くの人がこの町を訪れます。

バンダルリーグの殉教劇はイマームホサインと72人の教友たちが敵軍と衝突する最初の瞬間から悲しみに包まれた雰囲気の中で始まり、戦争の場面が次々に描かれ、悲歌が歌われ、最後にはイマームホサインのテントが敵によって焼かれ、一門が捕虜になって幕を閉じます。

イラン西部のビージャール、中部のカーシャーンでもタアズィーエが行われ、追悼者に支持されています。北部のギーラーンでは、タアズィーエはモハッラム月はもちろん、他の月にも行われます。とくにギーラーンの村では夏の終わり、畑仕事が終わる季節にタアズィーエが上演されます。ギーラーンではタアズィーエはペルシャ語で演じられますが、詩の一部はギーラーン語となっています。

モハッラム月の最初の10日が過ぎた後も、この月が終わるまでモスクやテキーエといった宗教施設でイマームホサインとその教友たちに敬意が示され、次の月であるサファル月になると、とくに最後の10日間はイマームホサインの40日忌とイスラムの預言者の逝去日、またシーア派第2代目イマーム、ハサンの殉教日に際して特別な儀式が行われます。この2つの月にはイランの多くの地域で結婚式は行われません。

 

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