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2013/08/07(水曜) 20:09

「卵泥棒の行く末は、ラクダ泥棒だ」

「卵泥棒の行く末は、ラクダ泥棒だ」

その昔、一家の父親は、息子が怠け者にならないよう、手に職をつけさせるため、彼らを市場や職場に連れて行っていました。そうして、息子たちは仕事を覚え、収入を得たり、貯金をしたりすることができました。そんな時代のこと、あるところに、非常に怠け者の少年がいて、あらゆる仕事を嫌っていました。そのため、父親は、息子を、当時最も厳しい仕事とされていた鍛冶屋の仕事につかせることにしました。

 

ある日父親は、怠け者の息子の手を引いて、鍛冶屋の店に行きました。店の主人と挨拶を交わすと、父親は言いました。「親方、私には賢い息子がいます。学校がない夏休みの間、数ヶ月間だけ、この息子の面倒を見て、あなたのような立派な鍛冶屋に育ててやってください!」。鍛冶屋の主人は、怠け者の息子を一瞥し、彼にどの道具で、どのように作業をしたらよいかを説明しました。それから、鍛冶屋の炉を示し、少年の父親に言いました。「安心しなさい。彼を私以上の鍛冶職人に育ててみせましょう。ただし、本人も一生懸命にがんばらなければならない。」

父親は言いました。「親方、息子にどんなことをしても構いません。あなたの子供だと思ってください。好きなように育ててくださればいいです。私はただ、彼を鍛冶職人に育ててほしいのです」。父親はそう言うと、息子を鍛冶屋の親方に委ね、去って行きました。父親が去ると、怠け者の少年は、ここではサボれないことを悟りました。しかしそれでもなお、楽な、疲れない方法を探していました。鍛冶屋の親方は、まず、道具について説明し、それらをどうやって使うか話すと、次に、鍛冶屋の炉を示して言いました。「見てごらん、私たちは、どんな道具でも望むものを作ることができるのだ。まずこのかまどで鉄を熱し、柔らかくしてから、好きな形にする。そのためには、かまどの火を真っ赤に燃やさなければならない。炎に勢いがないかまどでは、鉄は柔らかくならない。それじゃあ、かまどの横に座って、そこにある取っ手をつかみ、動かしてごらん。そうすると風が出てきて、炎は赤く燃え上がる。これが、「ふいごを吹くということだ。さあ、やってごらん。」

怠け者の少年は、仕事ができることを証明したくて、こう言いました。「分かりました、親方」。そして、かまどの横に座りました。それから、親方の言う通り、ふいごを吹きました。少年が取っ手を動かすたびに、皮の袋から空気が送り込まれ、かまどの炎が命を吹き込まれたかのように勢いづきました。こうして小一時間ほど経った頃、怠け者の少年は疲れ果て、親方に向かって言いました。「親方、ちょっと疲れたので、右足を伸ばして、ふいごを吹いてもいいでしょうか?」。鍛冶屋の親方は、額の汗をぬぐい、言いました。「もう疲れたのか?構わない、右足を伸ばしてやりなさい」。するとまもなく、また怠け者の少年が言いました。「親方、左足も伸ばしてもいいでしょうか?」。親方は言いました。「いいだろう」

少年はそれでも、落ち着きませんでした。時間が経つにつれ、作業が困難になっていったのです。そこで、言いました。「親方、ちょっと横になって作業をしてもいいでしょうか?その方が、かまどがより熱くなると思うのです」。親方は首を振って言いました。「そんな話は聞いたことがない。横になったまま、ふいごを吹くなんて、同時に出来るわけがないだろう。でもまあ、いいだろう。君にとってその方が楽なのなら、異存はない」。怠け者の少年は、作業を続けました。しかし、すぐに少年は次のように考えました。「僕は何て馬鹿なんだ。かまどの横で眠ればいいんじゃないか。その方が絶対に楽だ」。こうしてひとつあくびをすると、親方に向かって言いました。「親方、熱くありませんか?人間は少し仕事をすると、疲れるものです。かまどの横で、眠りながらふいごを吹いてもいいでしょうか?」。鍛冶屋の親方は、とうとう怠け者の少年の言動に怒り出し、槌を放り投げると言いました。「何でもいいから、ふいごを吹け!」

このときから、怠けてばかりいて、口実を設けては、仕事から逃げる人間に対して、このことわざが使われるようになりました。

それでは、今回の2つ目のことわざです。「卵泥棒の行く末は、ラクダ泥棒だ」

昔々、あるところに、幼い男の子がいました。男の子は、泥棒とはなにか、どんな行為を泥棒と呼ぶのか、全く知りませんでした。男の子は、目玉焼きなど、卵を使った料理が大好きでした。ある日のこと。男の子は目玉焼きが食べたくて仕方なくなり、母親に言いました。「お母さん、目玉焼きが食べたい」

母親は言いました。「今度ね。今卵を切らしてしまって1つもないの。うちで飼っているにわとりが次の卵を産むまで待ちましょう」。男の子は、たかが目玉焼きのためとはいえ、2日も待っていられないと思い、家を飛び出しました。男の子の隣の家には、鳥小屋があって、そこでは雄鶏と雌鳥が飼われていました。男の子は鳥小屋に入ると、柵の間から手を伸ばし、卵を2,3個つかみとって、家に向かいました。

それはお昼時のことで、蒸し暑く、隣の家の人たちは、部屋で休んでいました。誰も、男の子が来て去っていくのを見ておらず、卵が盗まれたことにも気づきませんでした。男の子は大喜びで家に帰ると、母親に卵を渡して言いました。「お母さん、卵だよ。これで目玉焼きを作ってね」

母親は言いました。「あら、この卵、どこから持ってきたの?」。男の子は笑って言いました。「お隣の鳥小屋から」。

母親は、このとき、息子に次のように言うべきでした。「まあ、何て悪いことをしたの。これは泥棒よ。卵を元の場所に返してきなさい」。ところが、母親は息子をしかる代わりに、少し考えてから、こう言いました。「誰かに見られていないわよね?」。息子は言いました。「大丈夫だと思う」

母親は優しく言いました。「さあ、それじゃ、玉子焼きを作ってあげましょう。でも、これだけは覚えておきなさい。隣の人の鳥小屋から卵を盗むなんて、悪いことをしたのよ」。こうして男の子は、近所の人に、自分のしたことを悟られてはいけないのだと理解しました。

数日後、また家に卵がありませんでした。そこで今回、男の子は、ゆっくりと忍び足で、隣の家の鳥小屋に近づき、その家の人に気づかれないよう細心の注意を払いました。鳥小屋に近づくと、いくつか卵を持ち出し、急いで家に帰りました。卵を母親に渡したとき、母親も何も言いませんでした。ただ、「近所の人に見られなかったか」と尋ねただけでした。そして優しく言いました。「あなたのしたことは、いいことではないのよ」。数分後、目玉焼きができあがり、二人で一緒にそれを食べました。

男の子は少しずつ成長し、時折、あちこちから何かを盗んでいました。彼は盗んだものを、家に持ち帰ったり、あるいは自分と同じような友達と一緒になって浪費したりしていました。こうして数年が経った頃、男の子が背の高い若者に成長したある日、とうとう、事は大事件に発展してしまいました。彼はある家に入り込んで、ラクダを盗み、その家の主人と周囲にいた人々に捕まえられてしまったのです。彼はいつか自分が捕まるなどと、夢にも思っていなかったので、彼らの手から逃れようと必死に抵抗しました。しかし、抵抗すればするほど、ひどく殴られてしまいました。こうして希望を失った傷だらけの泥棒は、判事のもとに連れて行かれました。

判事は、泥棒の罪が立証された後、「法では、泥棒の指を切るきまりになっている」と言いました。執行人が指を切るためにやってきたとき、泥棒は叫び声をあげました。「お願いですからやめてください。少し待ってくれませんか?母親に会いたいのです」。こうして、判事の命により、泥棒の母親が連れてこられました。泥棒は言いました。「もし誰かを処罰すべきなのなら、それは私の母親です。母は、私の小さな盗みを防ごうとしませんでした。母は、数個の卵を盗むにすぎなかった私を、プロの泥棒にしたのです」

判事は黙っていました。母親は自分の犯した罪を認めました。判事の心に、哀れな泥棒への同情が芽生え、判事は泥棒を赦してやりました。しかし、代わりに母親を投獄するよう命じました。このときから、もし誰かの小さな過ちが阻止されず、それによって、大きな過ちを犯すようになった場合に、こんな風に言われるようになりました。「卵泥棒の行く末は、ラクダ泥棒だ」

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