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2015/09/29(火曜) 00:23

聖なる防衛、イラン・イラク戦争における抵抗と勇気

聖なる防衛、イラン・イラク戦争における抵抗と勇気

イラン暦のシャフリーヴァル月31日からメフル月6日、西暦の9月22日から28日までの期間は、8年間の聖なる防衛、つまり80年代のイランイラク戦争におけるイランの戦士たちの偉業をたたえ、「聖なる防衛週間」と名づけられています。この名前がつけられたのは、この期間にイラン・イラク戦争が始まったからです。

1980年9月22日、バアス党・サッダーム政権下のイラクがイランの数箇所の空港を空爆すると同時に、イラク軍がイランの西部と南部を侵略し、8年間に及ぶイラン・イラク戦争が始まりました。イスラム革命の勝利からおよそ1年7ヵ月後のこの戦争で、サッダーム・フセインはイランとイラクの国境を定めたアルジェ協定を、バグダッド・テレビの前で一方的に破棄しました。

新たに生まれたイランのイスラム共和制に対する脅迫は、イスラム革命の勝利が始まってから行われ、イスラム体制は常に覇権主義大国の標的となっていました。なぜなら、イランの革命とその地域における広がりは、彼らの利益を危険にさらし、彼らはその恥ずべき目的を追求する中で、戦争の破壊的な影響に大きな望みを託していたからです。この押し付けられたイラン・イラク戦争は、イランの人々が革命の後の復興期を過ごし、国の復興と安らぎが自然に戻ってくると考えていた中で開戦しました。この時期、経済的な問題と制限、政治的な対立、集団的な妨害行為、テロや破壊工作、革命的、専門的な人材の不足、各部族の動向は、新たに生まれたイランのイスラム体制を苦しめ、革命を脅かしたのです。

イラン・イラク戦争の期間、イラクは国際的な政治、資金、武器面での支援を受けていました。フランス、ソ連、イギリス、中国はイラクが必要とする武器を輸出する主要な国々でした。またドイツはイラク軍が使用した化学兵器を提供した主な国であり、ペルシャ湾岸地域のアラブ諸国は必要な石油、資金、輸送上の需要を満たす主要国でした。

こうしたイラクに対する大国の支援にもかかわらず、イランの国土を防衛したのは、この戦争における神の奇跡でした。200年前、ガージャール朝の王ファトフ・アリー・シャーの時代以後、イランは100万平方キロメートルの面積を割譲されてきました。しかし、このイラン・イラク戦争では、イランの国土は一寸たりともイラク軍に奪われなかっただけでなく、イラクを国際体制と法の侵害国としたのです。

イスラム、国民、指導者は、イスラム革命の勝利に貢献した要因であり、まさにこれらの要因が、革命を防衛し、この強制的な戦争の中でそれを救うのに大きな役割を果たしました。イスラムとその至高なる教え、神の道における殉教の文化も、この大いなる勝利において他のものに代えがたい役割を果たしたのです。これに関して、殉教者の遺言状は、価値ある歴史的資料として、まったく疑う余地を与えていません。

また、一方で、人々がこの困難な局面に全力で、連続的に参加したことは、新たなイスラム体制にとって力強い支えとなりました。言葉や宗派、人種は異なっても、人々は団結し、心をひとつにしました。人々が体制責任者に協力しなければ、戦争による莫大な出費や経済制裁の中での、この困難な経済危機を乗り越えるのは不可能だったのです。人々は戦争の困難な状況を理解し、消費を大幅に自制・節制し、数々の問題を取り除く中で、体制責任者に協力しました。

人々の役割は、後方支援に限られませんでした。イランはわずかな期間に戦争で自国の力をよく示すことができ、大勢の人材がその場に加わり、その勇気と抵抗を戦場で示すことができたのです。

これらの要素の中で、最高指導者の役割も、大変決定的なものでした。一方でイランイスラム共和国創始者のホメイニー師の人格的特性が、他方で法の代行者としての特性とその影響力ある役割が、この国民の偉業を作り出した重要な要素でした。ホメイニー師はほかの人間にはない特性を備えていたのです。彼は法的、学術的な側面とは別に、勇敢さを備え、人々を団結させ、宗教的な民主主義体制を作り、導く上で社会運営における新たなモデルを確立し、その思想と勇気により、現代においてもっとも長く続き、数十カ国の西側・アラブ諸国の支援を受けたイラク軍との戦争をよい形で動かし、成功と栄誉を納めた形でこの困難を脱出しました。

ホメイニー師は戦争の脅威を革命思想の輸出に向けた機会に変えることで、革命の思想を他国に広めるための戦争による恩恵に触れ、次のように語っています。「毎日、われわれは戦争による恩恵を得ており、あらゆるところでそれを享受している。われわれは革命を戦争の中で世界に輸出しており、自身に対する抑圧と侵略者の暴虐を戦争の中で証明している。われわれは戦争の中で、世界の偽善者の偽りの顔を暴いている。われわれは友と敵を認識している。われわれは戦争の中で、自分たちの足で立つべきだという結論にいたり、威厳ある戦争の中で、東西両陣営を敗北させた。そして戦争の中で、イスラムの実り豊かな革命の根本を強化した。われわれはまた、戦争の中で1人1人の同朋意識や祖国への愛を信じるようになり、世界の人々、特に地域の人々に、全ての大国に抵抗し、長年にわたり防衛することができる、ということを示した」

真理を求める心、献身、質素な生活とそれへの満足、寄付と殉教精神は、8年間のイラン・イラク戦争における遺産だといえるでしょう。前線や後方支援における兵士や司令官の生涯の記録は、崇高な道徳的行動の目撃証言を戦争後の世代に伝えています。聖なる防衛における殉教者の遺言は、彼らの崇高な精神と叡智を物語っています。

この聖なる防衛の期間にわたり、人々、とりわけイスラム戦士の間で行われた、命を差し出すほどの自己献身は、かつてないほどに広がりを見せました。たびたび爆弾の爆発を防ぐため、兵士たちはそれに急いで覆いかぶさり、自分の身体を犠牲にして、その破片が仲間の兵士に当たるのを防ぎました。あるいはたびたび兵士たちは有刺鉄線の上に横たわり、他の兵士たちがその身体を踏んで渡れるようにしました。また、兵士たちはしばしば進んで地雷を踏み、その身体を犠牲にして、道を開けました。

幸運なことに、イランの人々は、戦争により、状況を改善する最高の機会を作り出し、今日までうかがえる大きな成果を手にしました。戦争はまさに、人格形成の工場ともいうべき場だったのです。イランの若者はこの期間、多くの不可能な事柄を可能とし、その献身の精神を戦争後の時代に伝えることで、イスラム革命の柱を強固なものとしました。この戦争の影響により、戦争に関してほとんど経験を持たなかった若者たちの中から、高い地位の司令官が育成されました。優秀で情の厚い体制責任者が国の運営のために育成され、戦争後、国を復興しました。

イラン・イラク戦争の聖なる防衛の期間、外国勢力によって奪われていたイラン人の自信を再び取り戻すことになりました。イランの人々は「望む文化、能力、勝利」というスローガンを再び記憶に取り戻した後、彼らは正しい望みをかなえることが出来ると信じたのです。農業部門での生産拡大、非石油製品の輸出の増加、国内における軍事機器、非軍事機器の製造、医療分野、核エネルギーにおける革命など、すべてはこの8年間の聖なる防衛により可能となったのです。

強要されたイラン・イラク戦争におけるよい結果のひとつは、人々が祖国を防衛する決意を固める中で、宗教の力を世界の人々の前に提示したことです。国の権力と栄光を守る重要な要素として、宗教の力を提示したことは、この戦争の中で獲得した成果のひとつでした。世界は、どのように宗教が奇跡を起こし、世界の人々が驚くような形でイランの人々が勇気を奮い立たせたのかを目の当たりにしたのです。

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