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2015/12/20(日曜) 20:19

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第69節~第77節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第69節~第77節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第69節~第77節

 

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

 

第69節~第71節

وَاتْلُ عَلَيْهِمْ نَبَأَ إِبْرَاهِيمَ

إِذْ قَالَ لِأَبِيهِ وَقَوْمِهِ مَا تَعْبُدُونَ

قَالُوا نَعْبُدُ أَصْنَامًا فَنَظَلُّ لَهَا عَاكِفِينَ

「[預言者よ、]彼らにイブラヒームの物語を語りなさい。彼が父と民に、『あなた方は何を崇拝するのか』と言ったとき、彼らは言った。『私たちは偶像を崇拝し、常に、それらに仕える』」 (26:69~71)

 

この章の預言者ムーサーの人生に関する物語は、前回の番組で終わりました。この3つの節から、預言者イブラヒームの物語が始まります。イブラヒームの名前は、コーランの中で、ムーサーに次いで多く出てくる預言者の名前です。歴史書やユダヤ教の聖典にもあるように、イブラヒームの父親の名はターレフでした。この節でイブラヒームの父親として紹介されている人物は、実際、彼の本当の父親ではなく、彼の保護者と見なされる人で、その名前はアーザルといいました。とはいえ、世界の多くの文化において、学問や宗教の偉人は「父」という称号で呼ばれ、キリスト教徒は、司祭を、「父、神父」を意味するファザーと呼んでいます。

 

メッカの偶像崇拝者や多神教徒は、預言者イブラヒームを知っており、毎年のハッジ・メッカ巡礼の儀式を、彼が残したものとみなしていました。そのため、神は預言者ムハンマドにこう語ります。「イブラヒームの人生の物語を人々に語って聞かせなさい。そして彼が人生の初めから、偶像崇拝と戦っていたことを彼らに想い起こさせなさい」 イブラヒームはまだ年若かったにも拘わらず、身近な人々を怠惰の眠りから目覚めさせるため、様々な質問を投げかけ、彼らが理性に訴えて、偶像崇拝が正しいか否かを考えるように促しました。預言者イブラヒームは、彼らが何を崇拝するかを知っていましたが、次の質問の土台が整うよう、彼ら自身にそれを言わせました。当然のことながら、誰でも自分の行いを正当化し、それを正しく論理的なものと見なします。偶像崇拝者たちも、「あなた方は何を崇拝するのか?」と尋ねたイブラヒームの質問に対し、はっきりとこのように語ります。「私たちは偶像を崇拝するだけでなく、常にそれらに仕え、それらに頭を垂れる」

 

 

第69節~第71節の教え

・先人たちの歴史、特に偉人たちの歴史を見れば、彼らの運命から教訓を得、それを今日の自分たちの生活の模範とすることができます。

・逸脱した思想や信条と戦う際には、直接、対峙するのではなく、質問を投げかけるやり方を用いてみましょう。それによって相手に、適した回答について考えさせるのです。

・社会で広まっている風俗習慣、あるいは身近な人々の間で広まっている考え方に盲目的に従うのではなく、自分でしっかりと考え、正しい道を選ぶようにしましょう。

・逸脱や迷いと戦う上で、少数であることを恐れてはなりません。預言者イブラヒームは、たった一人で偶像崇拝者と戦いました。

 

第72節~第74節

قَالَ هَلْ يَسْمَعُونَكُمْ إِذْ تَدْعُونَ

أَوْ يَنْفَعُونَكُمْ أَوْ يَضُرُّونَ

قَالُوا بَلْ وَجَدْنَا آَبَاءَنَا كَذَلِكَ يَفْعَلُونَ

「[イブラヒームは]言った。『それらに祈るとき、あなたたちの言葉を聞いているのか?また、あなたたちに利益や損害をもたらすことがあるのか?』 彼らは言った。『いや、私たちの父も同じことをしていたのを見た』」 (26:72~74)

 

預言者イブラヒームは、偶像崇拝者たちに、彼らの行いが無益なものであることを悟らせようとしました。そのため、別の質問を投げかけました。当然のことながら、誰にでも起こる疑問を尋ねたのです。「それらはあなたたちの言葉を聞いたり、あなたたちが何を必要としているかを知っていて、あなたたちのために何かをしてくれるのか?本当にそれらの偶像は、あなたたちに利益をもたらしたり、あるいは危険を生じさせたりするのか?それなのになぜ、それらの前に頭を垂れたり、それらのために犠牲を捧げたりするのか?」

 

興味深いのは、これらの質問に対する彼らの答えが否定的なものだったことです。彼らは、偶像には何もできず、何の意味もないことを知っていましたが、彼らが偶像を崇拝していたのは、単に、先人たちの習慣に従っていたためでした。彼らは部族の偏った考え方によって、先人たちに従っていました。まるで先人たちは完全な知性を持ち、全てのことを知っていて、決して過ちを犯さない人々であるかのように。しかし、先人たちの風俗や習慣に盲目的に従うことは、時に、正しく考えることを妨げ、凝り固まったり、遅れを取ったりする原因になります。

 

第72節~第74節の教え

・私たちの状態を知り、同時に、私たちのニーズをかなえてくれるような存在を崇拝しましょう。それは、至高なる神以外に存在しません。

・歴史の中で、無知や愚かさ、また愚かで盲目的な模倣が、人類社会の思想や行動の逸脱の原因となってきました。

 

第75節~第77節

قَالَ أَفَرَأَيْتُمْ مَا كُنْتُمْ تَعْبُدُونَ

أَنْتُمْ وَآَبَاؤُكُمُ الْأَقْدَمُونَ

فَإِنَّهُمْ عَدُوٌّ لِي إِلَّا رَبَّ الْعَالَمِينَ

「[イブラヒームは]言った。『では、あなた方が崇拝する事柄について、よく考えたのか。あなた方とあなた方以前の祖先たち、彼らは皆、私の敵である。世界の創造主を除いては』」 (26:75~77)

 

預言者イブラヒームは、偶像崇拝者との論理的な話し合いの後、最後に彼にこのように語っています。「あなたたちとその父親は、あなたたちの何の役にも立たず、現世の生活において何の役割も果たさないようなものを崇拝している。だが私は、世界の創造主のみを崇拝する。そして彼以外のものを崇拝することを嫌悪する。なぜなら、神以外のものへの崇拝は、いかなるものであっても、損害の源となり、私には損害以外の何ものももたらすことはない」

 

第75節~第77節の教え

・世界の創造主への信心は、模倣や想像ではなく、理性や思考に基づくものであるべきです。信条の原則を模倣することは、概して、容認されない事柄です。

・真理を明らかにするためには、様々な思想の信奉者の間で議論を行うことが必須です。論理的、道徳的な原則を守った上で他人と議論を行うことは、神の預言者たちのやり方の一つです。

・偽りの崇拝の対象は、人類の向上と幸福にとっての敵と見なされます。

  

 

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