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2015/12/20(日曜) 22:27

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第83節~第89節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第83節~第89節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第83節~第89節

 

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

 

第83節~第84節

رَبِّ هَبْ لِي حُكْمًا وَأَلْحِقْنِي بِالصَّالِحِينَ

وَاجْعَلْ لِي لِسَانَ صِدْقٍ فِي الْآَخِرِينَ

「主よ、私に知識と英知を与え、私を善良な人の仲間に加えてください。また私のために、未来の人たちの間でよい名前を与えてください」 (26:83~84)

 

前回の番組では、預言者イブラヒームが、自らの神と多神教徒の神を比較し、それによって、偶像には何もできないこと、全ての行いは世界の創造主である神の手の中にあることを示しました。この2つの節と次の節で、預言者イブラヒームは神にいくつかのことを求めていますが、それは、「**」という言葉で始まっています。これは、人間の神との近しい関係を物語っています。「神は世界と創造物全ての主であるだけでなく、私に非常に近い存在であり、私は彼を自らの神として捉え、神とこのようにして語り合う」

 

預言者イブラヒームは、いくつかの事柄を神に求めます。一つは英知。確かな理論を伴った知識によって真理を知ることです。二つ目は、善行において善良な人々の仲間に加わること。知識を持ち、善い行いをする預言者が、それでもなお、神に対し、この2つの思想と行動の点で過ちに陥らないよう助けを求め、すばらしい行動と知識を授けて欲しいとしています。イブラヒームの三つ目の要求は、自分の後の思想と行動の確立です。実際、預言者イブラヒームは、自分がこの世を去った後、唯一神信仰の道が忘れられることのないよう求めています。イブラヒームは神に、自分の後の人々のために、常にその名が善と共にかたられ、未来の人々のための彼の計画が続けられるようなモデルを求めているのです。

 

第83節~第84節の教え

・あらゆる行いにおいて、特に知識や精神の面で成長するために、神に助けを求めましょう。

・知識や英知は神からの贈り物であり、清らかで準備の整った心に授けられます。

・正しい言動は、正しい思想や考え方から生まれます。

・知識を備え、善良な人々の仲間に入ることは、最高の幸福です。

 

第85節~第86節

وَاجْعَلْنِي مِنْ وَرَثَةِ جَنَّةِ النَّعِيمِ

وَاغْفِرْ لِأَبِي إِنَّهُ كَانَ مِنَ الضَّالِّينَ

「私を恩恵に溢れた楽園の後継者としてください。そして私の父をお赦しください。迷った人間の一人です」 (26:85~86)

 

預言者イブラヒームの4つ目の祈りは、死後の世界に関するものです。私たちは皆、現世のために努力する傍らで、来世のことも考え、そのために努力しなければなりません。その中で、神に対し、恩恵と慈悲をもって私たちに接し、私たちを恩恵に溢れた楽園に連れて行って欲しいと求めます。また、父親が子供のために実りの多い庭園を遺し、子供たちが何の苦労もなく、その果実を利用することができるように、神もまた、僕のために言葉に葉尽くしがたい楽園を準備しています。それは私たちの些細な行動では、とても手に入らないようなものであり、神が恩恵によって、善良な人たちにそれを継がせています。

 

預言者イブラヒームの次の祈りは、自分の保護者を赦してほしい、というものです。イブラヒームの保護者は多神教徒で、イブラヒームは彼が信仰を寄せることを望んでいました。そのため、神にその赦しを祈ると約束しました。イブラヒームはその約束を守り、保護者のために赦しを求めました。それにも拘らず、保護者は唯一神を信仰しようとせず、最終的に、イブラヒームは彼から離れることにしたのです。

 

第85節~第86節の教え

・楽園の永遠の恩恵は、私たちの些細な行いと比べると非常に大きな恩恵であり、善良な人間がそれを引き継ぎます。

・近親者の赦しを求めて祈ること、それは、神の預言者たちのやり方です。

 

第87節~第89節

وَلَا تُخْزِنِي يَوْمَ يُبْعَثُونَ

يَوْمَ لَا يَنْفَعُ مَالٌ وَلَا بَنُونَ

إِلَّا مَنْ أَتَى اللَّهَ بِقَلْبٍ سَلِيمٍ

「皆が蘇らされる日、私を卑しくしないでください。財産も子孫も何の役にも立たない日。ただ穢れのない清らかな心で神の前に立つ人を除いては」 (26:87~89)

 

預言者イブラヒームの最後の祈りは、神から与えられた責務に対する、彼の使命感を示すものです。その重大な責務は、遂行を怠れば、最後の審判で屈辱を蒙ることになり、何も、誰も、それを償ったり、なくしたりすることはできません。現世では、富や財産で罰金を支払って懲罰を帳消しにしてもらったり、賄賂を支払って懲罰を免れることができますが、最後の審判では、富や財産は何の役にもたちません。現世では、子供たちが両親を助けてくれますが、最後の審判では、家族制度は崩壊し、誰もが自分のことしか考えなくなります。そして、現世では愛情の象徴である母親でさえ、子供たちのことを忘れ、自分のことしか考えません。最後の審判で人間の役に立つ唯一のものは、心と行動です。とはいえそれは、健全で清らかな心から生まれる行動です。多神教信仰や不信心、策略に穢れた人の善い行いは来世には届かず、その報奨を現世で受け取ることになります。

 

第87節~第89節の教え

・人間はいかなるときも、自らの行いを確信すべきではなく、常に責務の怠りを心配すべきです。そして、最後の審判で屈辱を受けないよう、神に助けを求めましょう。

・来世での屈辱は、最後の審判の最悪の状態です。なぜならそこでは、他の人に私たちの欠点が知られてしまうからです。第14章イブラヒーム章アブラハムの第87節によれば、最後の審判に関する数々の事柄の中で、屈辱を受けないことについて語られています。

・財産や子孫、地位や権力といった現世の物質的な事柄は、来世では全く役に立たず、私たちを救ってくれる材料とはなり得ません。

・善い行いは、多神教信仰に穢れていない清らかな心によって行われるとき、受け入れられます。

 

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