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2015/12/20(日曜) 22:28

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第90節~第101節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第90節~第101節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第90節~第101節

 

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

 

第90節~第93節

وَأُزْلِفَتِ الْجَنَّةُ لِلْمُتَّقِينَ

وَبُرِّزَتِ الْجَحِيمُ لِلْغَاوِينَ

وَقِيلَ لَهُمْ أَيْنَ مَا كُنْتُمْ تَعْبُدُونَ

مِنْ دُونِ اللَّهِ هَلْ يَنْصُرُونَكُمْ أَوْ يَنْتَصِرُونَ

「[その日、]天国が敬虔な者たちに近づき、地獄が道に迷った人々のために明らかになる。彼らは言われる。『あなた方が崇拝していたものは、どこにいるのか。神以外のものはあなた方を助けたり、またそれら自身を守ったりすることができるのだろうか』と」 (26:90~93)

 

預言者イブラヒームの人生に関して述べた節に続き、この4つの節は、神の言葉で天国と地獄について述べています。まず、天国の人々と地獄の人々を、敬虔な者、道に迷った者という表現で互いに区別し、人間を天国に導く要素は敬虔さであり、地獄の人に責め苦が下る要因は、迷いに陥ることだとしています。

 

地獄の人々は、現世で崇拝していたものには、自分たちを助ける力も、地獄から救う力もないことが分かったとき、苦悩します。その日彼らは、自分たちが迷いに陥ったことを理解しますが、それまでは、敬虔な人々こそ、迷いに陥っていると考えていました。

 

第83節と84節の教え

・天国と地獄が人間の前に明らかになるのは、行動の記録が締め切られ、誰にも何もできなくなったときです。

・敬虔な人間の地位は非常に高く、楽園が用意されるほどです。

・偶像や自分を守ることさえできない人間が、どうして、最後の審判で私たちを守ることができるでしょうか。

 

第94節~第98節

فَكُبْكِبُوا فِيهَا هُمْ وَالْغَاوُونَ

وَجُنُودُ إِبْلِيسَ أَجْمَعُونَ

قَالُوا وَهُمْ فِيهَا يَخْتَصِمُونَ

تَاللَّهِ إِنْ كُنَّا لَفِي ضَلَالٍ مُبِينٍ

إِذْ نُسَوِّيكُمْ بِرَبِّ الْعَالَمِينَ

「そこで彼らと迷った人々は地獄に落とされる。またイブリースの軍勢も皆[、落とされる]。彼らはそこで互いに争いながら言う。『神に誓って、私たちは明らかな迷いの中にいた。あなた方を世界の創造主と同等に配していたのだから』」 (26:94~98)

 

コーランの別の節にもあるように、最後の審判の日、神は、多神教徒や偶像崇拝者が崇拝していた偶像を集め、現世で彼らが崇拝していたもの、貢物を捧げていたものには、今、何の力もないことを、彼らに理解させようとします。神の命により、偶像が地獄に落とされるとき、彼らには自分自身をさえ擁護することなどできません。ましてや、偶像崇拝者たちを助けることなど、なおさら不可能です。偶像や偶像崇拝者だけではなく、悪魔やその軍勢も地獄に落とされます。彼らは地獄で互いに争い、互いを非難しあいます。

 

友好的で愛情に溢れた天国の雰囲気に反し、地獄は、憎しみと嫌悪、敵対に溢れています。地獄の人々は互いを嫌いあい、自分の過去を嘆いて後悔し、迷いに陥っていたことを認めるのです。

 

第94節~第98節の教え

・現世で罪や逸脱を軸に形作られる友好は、最後の審判で、憎しみや争いに変わります。地獄の人々はそこで、互いに争い、敵対します。

・最後の審判で、人間の良心は目覚め、自分自身を強く叱責します。しかし、そのときに後悔しても手遅れです。

 

第99節~第101節

وَمَا أَضَلَّنَا إِلَّا الْمُجْرِمُونَ

فَمَا لَنَا مِنْ شَافِعِينَ

وَلَا صَدِيقٍ حَمِيمٍ

「私たちを迷わせたのは、罪びとたちである。その結果、私たちには調停者もおらず、信頼できる友人もいない」 (26:99~101)

 

最終的に、多神教徒や偶像崇拝者たちが言うのは、自分たちが迷いに陥ったのは、罪を犯した人々に引き込まれ、不幸にされたためだということです。彼らはこう主張します。「彼らは富や権力を悪用した。私たちも彼らに従い、彼らの道を歩めば、自分たちも幸福になれると考えていた。だが今日、迷いに陥っていたことを悟った。なぜなら、私たちを調停してくれる人も、私たちを助けてくれる友人もいないからだ。偶像が私たちを調停することもなく、敬虔な人間の中に、今、私たちのために何かをして助けてくれるような友人もいない」

 

第99節~第101節の教え

・最後の審判では、誰もが責任を他人に擦り付けます。多神教徒や迷いに陥った人たちは、自分の指導者たちのことを非難します。

・最後の審判では調停がありますが、多神教徒はその対象にはなりません。預言者とイマームたちは、その資格を備えた敬虔な人間のみを調停します。

・人間は最後の審判でも、良き友を必要とします。現世でも来世でも私たちを助けてくれるような人々と友人になりましょう。そのような人とは、信仰を持つ人々です。

 

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