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2015/12/20(日曜) 22:29

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第102節~第109節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第102節~第109節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第102節~第109節

 

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

 

第102節~第104節

فَلَوْ أَنَّ لَنَا كَرَّةً فَنَكُونَ مِنَ الْمُؤْمِنِينَ

إِنَّ فِي ذَلِكَ لَآَيَةً وَمَا كَانَ أَكْثَرُهُمْ مُؤْمِنِينَ

وَإِنَّ رَبَّكَ لَهُوَ الْعَزِيزُ الرَّحِيمُ

「私たちが現世に戻ることができたら、敬虔な人間になっていただろうに。本当にこの中には教訓としるしがある。だが彼らの多くは信仰を寄せなかった。あなたの主は間違いなく、寛容で全能であられる」 (26:102~104)

 

前回の番組では、地獄の人々について語られていました。地獄の人々は罪を犯した人に従ったことを後悔し、自分が迷ったことを彼らのせいにしていました。この3つの節で、神は、「現世に戻りたい、もう一度現世に戻ることができたら、敬虔な人間の仲間になっていたのに」と後悔する地獄の人々の要求を述べています。彼らは今になって、自分たちの現世の道が誤っていたこと、自分の手で自分を滅ぼしたことを理解したのです。

 

しかし、このときになって後悔しても意味がありません。なぜなら、現世に戻ることはありえないからです。コーランは彼らに対してこのように答えています。「現世には、彼らが導かれるための多くのしるしがあった。だが彼らは真理を理解せず、それを受け入れようとはしなかった。神は彼らに一生の猶予を与え、誤った道から引き返し、真理へと加わるようにした。だが彼らは、この猶予をも悪用し、誤った道と方法をとることを続けた。そうして今になって、口先だけのことを言っている。彼らは再び現世に帰ったとしても、信仰を寄せる民になるかどうかは、定かではない」

 

第102節~第104節の教え

・最後の審判の日は、後悔の日です。しかし、そのときの後悔には何の意味もなく、現世の過ちを償うことはできません。

・人間が頑なになり、真理を受け入れようとしなければ、神の大きなしるしや節も、彼らを導く上で何の役にも立ちません。

・神は慈悲深く寛容であると同時に、力の持ち主でもあります。そして頑なな心で真理を拒む人々に対して厳しく対応します。

 

第105節~第107節

كَذَّبَتْ قَوْمُ نُوحٍ الْمُرْسَلِينَ

إِذْ قَالَ لَهُمْ أَخُوهُمْ نُوحٌ أَلَا تَتَّقُونَ

إِنِّي لَكُمْ رَسُولٌ أَمِينٌ

「ヌーフの民は預言者たちを否定した。彼らの兄弟のヌーフは、彼らに言った。『[神に]従わないのか?まことに私は、あなた方のための誠実な預言者である』」 (26:105~107)

 

預言者イブラヒームの運命について述べた後は、預言者ヌーフの物語が述べられています。

とはいえ、歴史によれば、預言者ヌーフはイブラヒームよりも昔の預言者で、コーランは、イブラヒームはヌーフの教えに従っていたとしています。しかしコーランは歴史書ではありません。そして先人たちの運命に対する見方も、歴史的なものではありません。そのため、歴史的な順番を守る必要はないのです。

 

預言者ヌーフの名前は、コーランに43回登場します。神はヌーフに特別な平安を送っています。ヌーフの民は彼を否定しましたが、コーランは次のように語っています。「ヌーフの民は、全ての預言者たちを否定した。なぜなら預言者たちは皆、同じ目的を持っていたのだから、そのうちの一人を否定するということは、全員を否定することに等しい」

 

それぞれの預言者は、その時代、誠実で正直な人物と見なされ、人々から、そのような特徴を持つ人間として知られていました。しかし、人々の反抗の精神や頑なさにより、預言者が真理について語ると、人々はそれを否定し、個人の利益や満足を守ろうとしました。預言者たちは、「なぜ、創造主に対して恥じ入ることがなく、醜い行いをするのか」と疑問を投げかけたり、愛情を持って語りかけたりしました。しかし、彼らは、このような忠告に耳を傾けることもなく、人々のためを思っていた預言者たちから離れていきました。

 

第94節~第98節の教え

・神の全ての預言者は、同じ目的を追求していました。そのため、そのうちの一人を否定することは、実際、全ての預言者を否定することになります。

・預言者は、人々に接する際にも、決して上の立場に立っていたわけではなく、自分たちを人々の兄弟として紹介していました。

・人々の眠った良心を目覚めさせるためには、命令を下すのではなく、疑問を呈し、人に考えさせるというやり方を用いるべきでしょう。

・神の預言者たちは、それぞれが生きた時代、人々の間で評判が高く、人望を得ていました。にも拘わらず、多くの人は、彼らに信仰を寄せませんでした。

  

第108節~第109節

فَاتَّقُوا اللَّهَ وَأَطِيعُونِ

وَمَا أَسْأَلُكُمْ عَلَيْهِ مِنْ أَجْرٍ إِنْ أَجْرِيَ إِلَّا عَلَى رَبِّ الْعَالَمِينَ

「だから神を崇拝し、私に従いなさい。この[導きの]ためにあなた方に報奨を求めたりはしない。私の報奨は、世界の主からのみ、受け取る」 (26:108~109)

 

ここで再び、敬虔さということが繰り返されています。なぜなら、人間が罪へと走る原因は、私たちに恩恵を与えてくれた神のことを忘れるところにあるからです。預言者ヌーフは、自分の民にこのように言おうとしているようです。「どうしたら神の命に背くことができようか?毎朝毎晩、あなたたちは神からの日々の糧を口にし、神の命によって生きているというのに」

この節は続けて、罪から遠ざかり、真理に達する道を示し、次のように語っています。「私はあなたたちを導くために、神から遣わされた。だから私の言葉に耳を傾けなさい。あなたたちのためになるように行動しているのだから。あなたたちの行動が私に利益をもたらすことはない。私は決して、名声や財産を狙っているわけではない。あなたたちには、何も要求していない。だが私がもし、自分の責務をきちんと果たせたなら、神は私に報奨を与えてくださるだろう」

 

第108節~第109節の教え

・人々を教育し、指導する上で、敬虔さや神のことを思い出すなど、一部の忠告は、人々が逸脱や怠慢に陥らないよう、常に繰り返される必要があります。

・宗教の伝道師、人々を宗教の教えに導く人々は、人々に対して物質的な見返りを期待すべきではありません。それどころか、純粋な気持ちで神のために行動し、神に頼る必要があります。そうすれば、彼らの言葉は、人々の中に強い印象や影響を及ぼすでしょう。

 

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