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2015/12/26(土曜) 20:11

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第157節~第166節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第157節~第166節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第157節~第166節

 

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

 

第157節~第159節

فَعَقَرُوهَا فَأَصْبَحُوا نَادِمِينَ

فَأَخَذَهُمُ الْعَذَابُ إِنَّ فِي ذَلِكَ لَآَيَةً وَمَا كَانَ أَكْثَرُهُمْ مُؤْمِنِينَ

وَإِنَّ رَبَّكَ لَهُوَ الْعَزِيزُ الرَّحِيمُ

「だが彼らはラクダを殺してしまった。その後、[自分たちの行いに]後悔した。それで彼らには責め苦が下った。まことにその中にはしるしがある。[だが]彼らの多くは、敬虔な人間ではなかった。まことに汝の主は、慈悲深く全能な方である」 (26:157~159)

 

前回の番組でお話したように、サムードの民は、預言者サーレハに奇跡をもたらすよう求めました。そして神の意志により、山の中からラクダが姿を現しました。

 

サムードの民の長老たちは、ラクダの手足を切断して殺してしまうよう命じました。彼らは、そのラクダが人々の間に存在すれば、人々がサーレハに信仰を寄せ、自分たちの教えから離れていってしまうと感じていました。そのため、この神の奇跡としるしが、人々の間に残るのを望みませんでした。とはいえ、人々はそのことに決して満足していませんでした。コーランは、ラクダの殺害を全ての人のしたことだとしています。この奇跡は、人々の要請によって現されたため、そのラクダを殺してしまったことで、神の責め苦のしるしが明らかになりました。人々は、責め苦のしるしを目にし、自分たちの行いを悔いました。しかし、そのときに後悔しても、遅かったのです。責め苦を目にしたときに罪を悔いても、何の意味もありません。その結果、神の懲罰が彼らを襲いました。恐ろしい稲妻が大地の激しい揺れと共に起こり、堕落した民の上に家が崩れ落ち、彼らを滅ぼしてしまいました。

 

コーランは、サムードの民の物語の終わりに、フード、ヌーフ、イブラヒームの民の物語の終わりで述べていたのと同じことを繰り返し、次のように語っています。

「これらの預言者が本物であることのしるしが人々に明らかになった。だが彼らは真理を受け入れようとせず、なおも頑なに拒んだ」

これらの民の運命はそれぞれ、他者にとっての教訓の源でした。しかし彼らはそこから学ばず、先人たちの誤った方法に従い続けました。彼らは、神とその預言者に勝つことができると考えていました。しかし、神は決して敗北を喫することのない愛すべき存在です。しかし、本当に罪を悔い改める人々に対しては、慈悲と恩恵の扉が開かれています。

 

第157節~第159節の教え

・地上における神の力のしるしを消滅させることは、預言者に反対する人々の行いです。彼らは、多神教信仰との戦いという名のもとに、宗教の指導者たちのしるしを破壊し、望むと望まざるとに拘わらず、それを目指します。

・他人の行いに満足すれば、それはその人たちの報奨や懲罰を共有することになります。シーア派初代イマーム、アリーは、「一般の人々もラクダを殺害することに納得したため、彼らにもその懲罰が下された」と語っています。

・神の怒りは、私たち自身の行いによるものです。そうでなければ、神は慈悲深く寛容なお方です。

 

第160節~第164節

كَذَّبَتْ قَوْمُ لُوطٍ الْمُرْسَلِينَ

إِذْ قَالَ لَهُمْ أَخُوهُمْ لُوطٌ أَلَا تَتَّقُونَ

إِنِّي لَكُمْ رَسُولٌ أَمِينٌ

فَاتَّقُوا اللَّهَ وَأَطِيعُونِ

وَمَا أَسْأَلُكُمْ عَلَيْهِ مِنْ أَجْرٍ إِنْ أَجْرِيَ إِلَّا عَلَى رَبِّ الْعَالَمِينَ

「ルートの民も、神の預言者たちを否定した。ルートの兄弟は彼らに言った。『あなた方は[神を]崇拝しないのか?まことに私はあなた方にとって、信頼できる預言者である。だから神を崇拝しなさい。そして私に従いなさい。私はそのことについて、あなた方から報奨を求めない。私の報奨は、世界の創造主である神からのみ、与えられる』」 (26:160~164)

 

この5つの節は、この章にでてきた 以前の預言者たちの言葉と同じものです。これは、全ての預言者たちの導きや言葉が同じものであったことを示しています。敬虔であり、醜い行いを避けること、それは全ての神の預言者が唱えた第一の言葉であり、社会に善行を広めるための土台を整えるものです。

 

第165節~第166節

أَتَأْتُونَ الذُّكْرَانَ مِنَ الْعَالَمِينَ

وَتَذَرُونَ مَا خَلَقَ لَكُمْ رَبُّكُمْ مِنْ أَزْوَاجِكُمْ بَلْ أَنْتُمْ قَوْمٌ عَادُونَ

「世界の人々の中から、男性だけと交わるのか?あなた方の主があなた方のために創造した配偶者を捨てるのか?あなた方は罪を犯す人間である」 (26:165~166)

 

神の命に背いてはならないという総体的な指示の後で、預言者ルートはこれらの節の中で、人々の間に広まっていた醜い行いを具体的に挙げ、彼らの良心を目覚めさせるためにこのように語っています。「あなたたちには配偶者がいないのか。それなのに他の男性たちを求めるとは。あなたたちはそのような行いをどう説明するのか?それは神の境界への明らかな侵害である」

 

性的な行動の逸脱と見なされる同性愛は、ルートの民の間に広がっていました。そのため、男性たちにとって、それは自然な権利として認識され、預言者ルートの言葉は、彼らにとって真理に反するものと見なされていました。現代でも、残念ながら同性愛は、男性の間だけでなく、女性の間にも広がっています。通常、同性愛者となる人々は、自分の体は自分のものであり、相手との合意があれば、どんな形によっても性的なニーズを満たすことができると考えています。宗教では、人間には、自分の好きなように、自分の肉体やそのニーズについて決断を下す権利はないとされています。人間は神の僕であり、肉体は、神から預かったもので、神から合法とされた事柄についてのみ、自分の体に対して行うことができ、それ以外のことをすれば、それは法に反した高位となります。一部の国の法律では、国会の承認により、同性愛という醜い行いが合法とされています。

 

第155節~第156節の教え

・あらゆる社会に広まっている禁止事項を確認し、その拡大を防ぐために、適した方法でそれを禁止しなければなりません。

・好ましくない行いを防ぐためには、まず、自然のニーズを満たすための正しい方法を示す必要があります。預言者ルートは、結婚を、性的なニーズを満たすための論理的で適した措置として提起しました。

・神は、人間の本能を満たすために自然な方法を提示しています。そのため、神の宗教は、人間に結婚を奨励しているのです。

・同性愛などの性的な逸脱は、自然の法則からの完全な逸脱であり、神や人間の価値観への侵略と見なされます。

 

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