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2015/12/26(土曜) 20:21

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第167節~第175節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第167節~第175節

コーラン第26章 シュアラー章 詩人 第167節~第175節

 

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

 

第167節~第168節

قَالُوا لَئِنْ لَمْ تَنْتَهِ يَا لُوطُ لَتَكُونَنَّ مِنَ الْمُخْرَجِينَ

قَالَ إِنِّي لِعَمَلِكُمْ مِنَ الْقَالِينَ

「彼らは言った。『[ルートよ、]もし[そのような言葉を]やめないのなら、間違いなく、あなたは追放される人になるでしょう』 ルートは言った。『本当に私はあなた方の行いに強く反対します』」 (26:167~168)

 

前回の番組でお話したように、預言者ルートは、自らの民の醜い行いに疑問を呈し、彼らのそのような行いを否定していました。この2つの節は次のように語っています。「彼らは、預言者たちの忠告に耳を傾け、同性愛などの醜い行いをやめる代わりに、ルートを脅迫した。もし訓戒や忠告をやめずに私たちの邪魔をするのなら、あなたを町から追い出すだろうと。安心して自分たちの望みをかなえることができるように」 しかし預言者ルートは、彼らの脅迫を恐れる代わりに、私はあなた方の行いを忌み嫌っており、あなた方の醜い行いに反対することをやめるつもりはないと、はっきりと答えたのです。

 

興味深いのは、ルートが、「私はあなた方に敵対する」と言っているのではなく、「私はあなた方の行いに敵対する」言っていることです。「醜い行いをやめれば、再び、私たちの間には親密さと友好が築かれる。私はあなた方の醜い行いと戦い、その拡大を防ぐために、いかなる措置もいとわない」

 

第167節~第168節の教え

・清らかな人物を追放することは、圧政的で穢れた人物のやり方です。彼らはそうすることで、安心して罪や違反を続けようとします。

・禁じられた行いに対して沈黙することは相応しくありません。醜い行いが公に行われるのと同様に、それに対する嫌悪の表明もまた、公に行われる必要があります。そして言葉だけでなく、行いによっても、相応しくない行動に対抗しなければなりません。

・神の預言者たちは、神のみを拠り所にしています。そのため、敵の脅迫を恐れることはなく、いかなる状況においても、圧制や腐敗、堕落との戦いをやめることはありません。

 

第169節~第171節

رَبِّ نَجِّنِي وَأَهْلِي مِمَّا يَعْمَلُونَ

فَنَجَّيْنَاهُ وَأَهْلَهُ أَجْمَعِينَ

إِلَّا عَجُوزًا فِي الْغَابِرِينَ

「『主よ、私と私の家族を、彼らが行うことからお救いください』 それで彼とその一族全員を救った。残った人々の中にいた[ルートの妻である]老女を除いては」 (26:169~171)

 

預言者ルートは継続的な指導や忠告によって、罪を犯す人々への最後通告を終えました。しかし彼らは、神の預言者に対して陰謀を企てていました。そのため、ルートは神に向かって、彼とその仲間たちの前に救いの道を示し、罪を犯す人々の悪から逃れられるようにと求めました。神はこのルートの要求を叶えました。そして、彼と、彼に信仰を寄せ、彼の一族と見なされていた全ての人は、他の人が寝ている夜の間に町を出て、責め苦が下されるときには町にいないよう命じられました。とはいえ、ルートの一族の中で、彼の妻は道を踏み外し、誤った行いとの戦いにおいてルートを助けることはありませんでした。そのため、ルートの妻は民の中に留まり、他の人々と同じように責め苦が下されました。

 

第169節~第171節の教え

・堕落し、穢れた環境に留まることはふさわしくありません。そのような環境から逃れることを考えましょう。あるいは、その環境を改めるか、少なくとも、そこから自らを救い出す必要があります。

・神にとって、規則は関係よりも優先されます。預言者の妻であっても、逸脱すれば滅ぼされ、神の預言者との関係によって、その人が救われることはありません。

 

第172節~第175節

ثُمَّ دَمَّرْنَا الْآَخَرِينَ

وَأَمْطَرْنَا عَلَيْهِمْ مَطَرًا فَسَاءَ مَطَرُ الْمُنْذَرِينَ

إِنَّ فِي ذَلِكَ لَآَيَةً وَمَا كَانَ أَكْثَرُهُمْ مُؤْمِنِينَ

وَإِنَّ رَبَّكَ لَهُوَ الْعَزِيزُ الرَّحِيمُ

「その後、我々は他の人々を滅ぼした。彼らの上に[石の]雨を降らせた。警告を受けていた人々への[責め苦の]雨は何と悪いことか。明らかに、この中にはしるしがある。だが、彼らの多くは敬虔な人間ではなかった。本当に汝の主は、寛容で全能な方であられる」 (26:172~175)

 

ルートと、彼の信仰を持った一族や仲間たちが、夜の間に町を離れた後、恐ろしい大きな揺れがそこを襲い、住民の頭上に町が崩れ落ちてきました。揺れが彼らの町を揺らし、家々が崩れ落ちただけでなく、神は、細かい石の雨を彼らの頭上に降らせました。まるで、大地と天が一度にこの堕落した反抗的な民に対して反乱を起こし、町をひっくり返そうとしているかのようでした。その住民たちは廃墟の中に埋もれ、完全に消滅してしまったのです。

 

細かい石が、彼らの頭上にどのようにして降り注いだのか、これについて、一部の人々は、大きな嵐が起こり、大小の石を彼らの頭上に降らせたか、あるいは休火山が噴火し、噴石の雨が降り注いだと語っています。

 

別の神の預言者たちの運命について述べていた節と同じように、この節は続けて、次のように語っています。「責め苦が下されたのは、多くの人が、神のしるし、最後通告を示されてもなお、信仰を寄せようとせず、神の預言者に対して陰謀を企てたためである」

 

第172節~第175節の教え

・堕落し、腐敗した社会は、神の責め苦と懲罰を待つべきです。その懲罰は、あらゆる方向から、あらゆる形で下される可能性があります。

・警告や忠告は、最後通告のために必要であり、最後通告の前に責め苦が下されることはありません。

・自然は神に支配されています。天から雨を降らせる力のある神は、石の雨を降らせることもまた可能です。

 

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